第三十五話 『初雪』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 この物語の主人公…『柳楽やぎら十太郎とうたろう』は、山城国さんじょうこくの姫…『月乃つきの』と共に、『百鬼ひゃっき魍魎もうりょう』とそのかしら…『空亡そらなき』を封印すべく旅に出た。

その最中さなか、『魍魎剣士』と名乗る組織…緋叉那ひさな風樹かざき八重一郎やえいちろうの三人と出逢い、二人は同志として魍魎剣士となった。

そして現在いま…『北の国』を目指す道中に立ち寄った『九泉くせん』という湯元に滞在していた。



 相変わらず湯気がもくもくと立ち込める。

九泉の朝は、街中が霧がかった様に白で覆われており、一寸先の景色も見えない。


露天の湯に浸かっているのは御者ぎょしゃの二人…吉介きちすけ大介だいすけである。

二人は岩にもたれ、湯気でぼやけた青空を眺めていた。


「大介よぉ…ひでぇとは思わねぇかぁ?」


「何がです?先輩。」


「俺ぁ十太郎と月乃とは長い付き合いだ。少なくともあの三人よりかはなぁ。」


「…はぁ。」


「なのになんで旅の仲間から外されてんだぁ!おかしいだろ!」


吉介は勢いよく立ち上がり、大介の目の前にみにくなにさらす。


「先輩…俺たちは馬を操縦する御者ですぜ?旅の仲間になるって事は、化け物と闘うってことになりますが…」


すると吉介は少し考えたのち、再び湯船に浸かった。


「ぎょ…御者ってのは裏方で輝くもんなんだ。

いざって時にいつでも走れる様、万全の準備を整えておかなきゃなぁ!」


「勉強になります!先輩っ!」


大介は吉介の背中に向かって言い放った。

すると吉介は、再び空を見上げて呟いた。


「それにしても…あいつら、出発前だってのにどこ行きやがったんだ…?」



 九泉を出て、少し歩いた所に滝が在った。

滝壺たきつぼからは蒸気が立ち込める。

そこへ十太郎達が現れた。


「緋叉那さん、九泉に来た本当の理由って…」


十太郎が問いかけると、緋叉那は滝の中心を指差した。


「あの滝から流れているものは何だと思う?」


緋叉那は十太郎に質問を返した。


「水…?」


「違う。源泉だ。」


すると十太郎は苦笑いを浮かべた。


「もしかして…また温泉入るの?」


温泉には飽きた様子の十太郎。

すると緋叉那は滝壺の方へと歩き出す。

そしてふところから筒状の容器を取り出した。

そのまま池に溜まった源泉を容器の中に流し込む。

十太郎と月乃には、緋叉那の行動の意図が読めない。

すると緋叉那は口を開いた。


「今から我々が向かう地…石加賀は場所によっては氷点下二十度…何の装備も無しに足を踏み入れれば、一瞬にして凍りつくだろう。」


十太郎は唾を飲み込んだ。

緋叉那は容器にふたをし、十太郎達に見せつけた。


「ここ…『湯の滝』の源泉は、飲めば体温を常に一定に保つ事が出来る特殊な湯だ。これを持って行く。」


すると十太郎はある疑問を抱き、緋叉那にぶつけた。


「そんな極寒の地に、現地の人はどうやって暮らしているんだ?」


十太郎の質問に対し、答えたのは風樹だった。


「何言ってんだ?北の国…石加賀は人口ぜろ氷国ひょうこくだぞ。人なんか住んじゃいねぇよ。」


風樹の言葉に十太郎と月乃は不信感を抱いた。

十太郎は風樹に問いかけた。


「ちょっと待って…恒次つねつぐさんの説明では、石加賀にある『金華きんか』って地域で、天下五剣の最後の一振を生み出した『光世みつよ』って人とその奥さんが暮らしていたって…」



「…当時はな。」


言葉を放ったのは緋叉那だった。

その意味深な発言に対し、十太郎と月乃の興味はそちらに向いた。


「亡霊…『大典太光世おおでんたみつよ』。誰もその真相を知る者は居ない。ゆえにある説も出回っている。」


「説…?」


「亡霊となった光世が、自らの故郷を滅ぼしたと言う説だ。」


十太郎と月乃は驚いた。


「先ほども言ったが…真相を知る者は居ない。だからこの目で確かめに行く。」


緋叉那は十太郎達の元へ戻る。


「さぁ…源泉をみ次第出発するぞ。」



 一行は再び九泉に戻ると、順に馬車の屋形に乗車する。


「ったく…どこをほっつき歩いてたんだよ!」


吉介は十太郎達に強い口調で言い放つ。

しかし皆は関心を向けず、そのまま屋形の中へと進んでいく。

十太郎は、表情の強張る月乃に優しく語りかける。


「月乃…大丈夫だ!絶対刀を手に入れて、その右腕を治してやるからな!」


「十太郎…」


月乃はその笑顔に励まされた。


「ありがとう!…でも、私も頑張るから!」



馬のいななく声と共に、二台の馬車は勢いよく発進した。



 心地よく揺れる屋形は眠気を誘う。

馬の足音と、車輪が地面を滑る音が一定に聞こえてくる。

つい転寝うたたねをしてしまうのは仕方のない事だろう。


十太郎は口を半開きにさせながら、深く息を吸い込んではゆっくりと吐き出す。

その吐息は既に白く染まっていた。



「…あ!雪だ!」


月乃は屋形の外に映る雪景色に見れていた。

既に道には、所々に積雪が見受けられる。


吉介の馬車の後ろを追っていた大介は、道幅が広がると同時に馬の尻をむちで叩き、馬車を加速させた。

そして吉介と並走する様に馬車を隣につける。


「どうしたぁ!大介!」


「先輩!まだ源泉飲まなくて大丈夫ですか!?かなり寒くなってきましたよ!」


すると二人の会話に割って入る様に、緋叉那が屋形から顔を覗かせた。


「何を言っている!まだ石加賀の本土には着いていないんだぞ!この程度で根を上げていては石加賀で凍死するぞ!」


二人にかつを入れ、再び屋形の中へと戻って行った。

すると吉介は奥歯を噛み締め、今にも爆発しそうな怒りを懸命に押し殺した。


「てめぇらは屋形の中だからいいよなぁ。このまま外にいたら石加賀に着く頃にゃあ凍死してるっつーの…。」


吉介は独り言のように呟いた。



「何か言ったか?」


すると屋形の中から再び緋叉那の声がした。

吉介は飛び上がる様に驚き、首を横に振った。


「いえっ…!何でもありませんっ…!」


吉介を見る大介の目は、余りにも冷たいものだった。


時に十太郎はと言うと…この寒さの中でもまだ目を覚さずにいた。

月乃は風呂敷から羽織を取り出し身にまとう。

すると馬車の揺れにより、立て掛けてあった十太郎の童子切が足元に倒れた。

月乃は倒れた童子切に視線を向ける。


「…清姫ちゃん。」


そう小さく呟くと、倒れた童子切を拾い上げ、再び十太郎のそばに立て掛けた。



 暗闇の中で赤子の様にうずくまる清姫。

刀の中はとても静かで、そして冷たい。

光の無い世界はとても孤独で、出口の無い暗黒は永遠と続いている。


ながい夢を見ているのか…清姫は深い眠りについている。


そして何処からともなく、誰かが名前を呼ぶ声が聞こえてくる…。



「…め。……よめ。………きよめ…。」



男の声だ。

初めて耳にするその声は、とても優しく、清姫を安心させたのだ。


「清姫。」


名前を呼んだのは、まだ幼い空亡であった。

彼は清姫を抱きかかえ、我が子の様に扱った。


「私の名は空亡だ。おはよう…清姫。」


「…そら…なき…」


清姫は不器用ながらも、言葉を初めて発した。

清姫が誕生して一年が経っていた。


それからまた一年が過ぎ、空亡は清姫に闘い方を教えた。

魍魎として、『約束』を果たしてもらう為に。


あわせて三年の月日が流れた。

清姫の体は成長を遂げ、空亡と同じ成人の姿となっていた。


空に浮かぶ朧月おぼろづき

空亡は清姫を後ろから優しく包み込む。


「空亡様…」


「清姫…私はお前に頼みがある。」


「頼み?」


「百鬼ノ魍魎の一鬼として人間の魂を私に献上けんじょうして欲しい。」


「…何故!?」


「お前が争いを好まない事は分かっている…。だがこれは、私にとって必要な事なのだ。」


清姫は悲しげな表情を浮かべてうつむく。

すると空亡は清姫の目の前に立つと、下を向いた頬に優しく手を当てた。

清姫はゆっくりと顔を上げる。

空亡は清姫の目を見て言った。


「お前が私の望みを叶えてくれるならば…私もお前の望みを叶えてやろう。」


その表情はとても温かく、優しいものだった。


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