人喰姫-ヒグメ-

志人

第一章 二鬼ノ人喰姫編

第一話 『人喰姫』

 『魍魎もうりょう』…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

此処ここにある言い伝えが記されている。

この世にはその昔『百鬼ひゃっき魍魎もうりょう』が存在したと。

そして、これから語られる話は、百鬼ノ魍魎がうごめく時代の物語である。



 ここに『藤の村』という小さな村があった。人口は二十余りだが、それでも賑やかだ。

村の人々は皆温かく、一つの家族の様だった。

その中に村一番の働き者が居た。

名を『柳楽やぎら十太郎とうたろう』と申す。

歳は十と六。愛想の良い少年だった。


藤の村では毎年八月になると、夏祭りが行われていた。村の人々が酒をみ交わし、人々の未来を祈願する為のものだ。

そしてもう一つ、その祭りでは必ず行われる行事が存在した。それは厄祓やくばらいだ。

代々伝わる伝統的な文化で、刀に火を灯し、まつるのだ。

その日もまた、夏祭りの前日であった。



 十太郎は火を起こすために必要な木材を調達する為、村の外れの森を訪れていた。

大きな荷車を引き、森の中を進む。

木漏れ日が差し、小鳥のさえずりが聞こえる。

なんと清々すがすがしい。

荷車に乗せていた小さな風呂敷ふろしきを取り出すと、包んであった握り飯を口いっぱいに頬張る。


「うめぇー!!!」


空を眺め、深く深呼吸をする。空気がうまい。

これが大自然というものだ。

握り飯を食い終えると、荷車からおのを取り出した。

ちょうどいい大きさの木を見つけ、斧を叩きつける。

夕方には村へ戻れるだろう。

十太郎は一生懸命働いた。



 思いのほか、日が暮れるのが早く感じた。

気づけば辺りは真っ暗だ。急いで木材を積み、荷車を走らせる。

夜の森はとても危険だ。

獣にでも襲われたら大変だ。それに…。


すると十太郎は、突然足を止めた。

木の影に何かを見たのだ。

荷車を置き、恐る恐る近寄る。


「わっ!」


突然何かが飛び出してきた。

思わずその場に尻餅しりもちをつく。


「いててて…。」


見上げた先に立っていたのは、あかい着物をした若い女子おなごだった。

肩の辺りまで伸びた黒い髪が風に揺れる。

村の娘では無い。どこかの街の娘だろうか。

どちらにせよ、この森に居るのは危険だ。


「迷子か?この森は夜になると危険だ。一緒に村まで行こう。」


すると女子おなごは何も言わず、ただ微笑んだ。

そして十太郎を手招きする。

揶揄からかっているのか。

女子おなごは森の中へと走っていった。

森の中に置き去りにするのは、流石さすがに気が引ける。

十太郎は仕方なく跡を追った。


「おい!そっちは危ないぞ!」


十太郎の呼びかけに応じ、女子おなごは足を止めた。

振り返ると、十太郎を見るなり再び微笑んだ。

不思議な子だが、決して悪い気はしなかった。


「そろそろ森を出よう。熊や猪に襲われる。」


女子おなごは首をかしげた。


「それに…夜の森は『人喰姫ヒグメ』が出るんだ。村の皆んながそう言ってた。」


すると女子おなごは初めて口を開いた。


人喰姫ヒグメ?」


初めて耳にする女子おなごの声に少し驚いたが、そのまま話を続けた。


「人間の魂を喰らう化け物だよ…。明日はその化け物から村を守る為に、厄祓いの儀式が行われるんだ。まぁ実際に人喰姫ヒグメを見た人は居ないんだけど、代々伝わる大事な行事なんだ。」


女子おなごは困り果てた表情で十太郎を見つめた。


「って言っても表向きは夏祭りだ。村の皆んなで楽しく騒いだり、美味い料理や酒なんかが飲める!」


十太郎は女子おなごの緊張を和らげる為、満面の笑みを浮かべた。

それにつられ、女子おなごの表情にも笑みがこぼれる。


「あ、そうだ。俺は柳楽やぎら十太郎とうたろう!よろしく!」


十太郎は右手を差し伸べた。

女子おなごは少し照れくさそうに歩み寄る。

そして右手をゆっくりと前へ出す。



「…わらわの名は『清姫きよめ』。」




「……え…?」




女子おなご華奢きゃしゃな白い腕は、十太郎の左胸を貫いていた。



「ぐっ……ごほっ…!!」


激しく吐血する十太郎。地面が赤く染まる。

意識が朦朧もうろうとする中、女子おなごの顔を見つめる。


「……っ!?」


先程までの黒髪は、長い灰色へと変化し、鋭い八重歯が剥き出しになる。

それはまるで別人であるかの様な狂気に満ちた笑みを浮かべていた。


「クックック……くはははははは!!!」


清姫きよめの不気味な笑い声が響き渡る。


あわれな人間よ。わらわ魍魎もうりょうだとも知らずに近づきおって。」


「ひ……人喰姫ヒグメ…?」


人喰姫ヒグメ?それは人間が付けた仮の名じゃ。わらわの名は『魍魎もうりょう清姫きよめ』。じゃが…よくもまぁ人喰ひとぐひめなどと名付けたものじゃ。」


胸を貫いた右腕は、ゆっくりとぬしの方へと戻っていく。

その手の中には、えぐり取られた心臓が脈を打っていた。

再び吐血する十太郎。痛みなど感じる間も無く、全身の感覚が奪われていく。


「貴様は先に、人喰姫ヒグメを見た者は誰もおらぬと言ったな?」


ひたいから汗が吹き出る。

ただならぬ緊張感が走る。


「貴様の様に、喰われて消えるからじゃ!」



(ドッ…!)



刹那せつな、鈍い音と共に清姫きよめは大きく目を見開いた。

そしてその目に映った光景を疑った。


「なっ…!?」


十太郎の右腕が自分の胸を貫いていたからだ。


「…案外…もろいんだなぁ…人喰姫ヒグメってのも…」


十太郎は最後の力を振り絞り、清姫きよめの心臓を抉り取る。

息を切らし、今にも倒れそうになるが、それでもなんとか持ち堪えた。


「はぁ…はぁ…はぁ…これで…逆転だ…」


「き……貴様ぁ…」


しかし、体は限界に近づいていた。地面に崩れ落ち、立膝たてひざをつく。

そして右手に捕らえた心臓をにらんだ。


「人間如きが…何故わらわの体を…」


「人間…舐めんなよ。どうせ…このまま死ぬんだ。だったらせめて…村の皆んなの為に…」


十太郎は深く息を吐いた。次は大きく吸った。

そして口を大きく開いた。


「やめろぉおおおお!!!」


慌てて飛びつく清姫きよめだったが、遅かった。



「バクッ!」



人の魂を喰らうがわ人喰姫ヒグメが、

人に魂を喰われる瞬間だった。


心臓の味…

とても食えたものじゃない。

生ぬるく、血腥ちなまぐさい。

今にも吐き出しそうだ。

それにかなり弾力がある為、しっかりと噛まなければ吞み込めない。

咀嚼そしゃくするたびに後悔が襲ってきた。

しかし、まねばまれる。

十太郎は無我夢中で清姫きよめの心臓を喰らった。


「あ……あぐ……うっ……」


胸を押さえ、狼狽うろたえる清姫きよめ


「ごくり……。」


ついに心臓を呑み込んだ。

その瞬間、辺りに大きな鼓動が鳴り響いた。

清姫きよめの体は、黒い灰となり崩れていく。


「くっ…くそぉ!こんな…こんなことが…」


清姫きよめは急いで十太郎の心臓に喰らいついた。

しかし、既に歯はおろか、顔の半分が灰となり、消え始めていた。

心臓を持った右手もすぐに灰と化す。

木から落ちる林檎りんごの様に、十太郎の心臓が地面に落下する。

同時に清姫きよめの姿は跡形もなく消え去った。



 体が震える。拒絶反応と言うのだろうか。

いや、そもそもこの震えの原因は分からない。

心臓を抜かれ、まだ息をして立っている事も。

目の前には落ちた自分の心臓がある。

まだかろうじて脈はある。持って医者に見せれば元に戻せるだろうか。

十太郎には処理しなければいけない情報の量が多すぎた。

頭で考えたところで、この摩訶不思議まかふしぎな出来事をどうやっても受け入れる事が出来なかった。

しかし体は正直だ。

心臓は主人あるじを引き寄せる。

十太郎はゆっくりと心臓の元へ足を進める。



「……え?」


信じられない事が起きた。

自分でも何をしているのかが理解できない。

足元に血溜まりが出来る。

十太郎は自らの足で、自身の心臓を踏み潰したのだ。

それと同時に、自分の体が自分のものでは無い感覚に気がつく。

心臓を踏み潰した右足から徐々に、体の内側がざわざわとうずき出すのが分かった。

そして右腕は十太郎の意思とは関係なく、腕自体が一つの生き物の様に動き出した。

そのまま自分の首を締め付けにかかる。


「うぐっ…!」


体は後退し、大木にぶつかる。

自らの腕で自らの首を締め付けられる、異様な光景だ。

そこで十太郎はあることに気がつく。

自分の体は今、清姫きよめに乗っ取られているのだと。

主導権を奪われた十太郎には、成す術もなく、次第に意識は遠のいていく。


「み…んな……ごめ……ん…」


そこで記憶は一旦途絶えた。



 走馬灯そうまとう…死ぬ間際に昔の思い出がよみがえることを言うらしいが、どうやらこれがそうみたいだ。

村の人々の顔が思い浮かぶ。

弟のようにしたっていた勘太郎かんたろうには、結局木の切り方を教えてやれなかった。

最年少の花奈はなとは、もっと一緒に遊んであげたかった。

鍛冶屋かじや弘兄ひろにいには、刀の打ち方を教えてもらうはずだったのに…。


光が徐々に失われていく。地獄にいるようだ。

心なしか空気があつい。


いや…気のせいなんかじゃない。

体の感覚が戻りつつある。

どうやら意識を取り戻したようだ。



 目を開けると、そこは確かに地獄だった。

村は焼けただれ、地は血で染まり、足元には死体が転がる。

よく見ると、それは見覚えのある顔だった。


「か…勘太郎…。」


目の前の現実に絶望する。

怒りと悲しみが一度に襲ってくる。

今にも叫び出しそうな十太郎を他所よそに、何処どこからともなく声が聞こえてきた。


「小僧…貴様の為に最高の晩餐ばんさんを用意した。貴様の分じゃ。喰え。」


その声は紛れもなく清姫きよめのものだった。

十太郎は悟った。

清姫きよめは自分の中で生きている。


わらわを喰った貴様はもはや人では無い。この先、魍魎もうりょうとして人の魂を喰らいながら生きてゆくのじゃ。」


「誰が…そんなこと…」


「本来ならばわらわが全て喰い尽くしているところじゃが…どうやら貴様の体を乗っ取っていられる時間には限りがあるようじゃ。」


言われてみれば、今は自由に体が動く。

それにどう言う訳か、左胸に空いた穴は塞がっていた。

これが人喰姫ヒグメの能力なのか、それとも人喰姫ヒグメの魂を喰ったからなのか。

十太郎には、この異常事態を整理する程の余裕は無かった。

この状況をどうにか打破しなければならない。


「じゃがそうして居られるのも今のうちじゃ。貴様が喰わずとも、わらわの『妖力ようりょく』が元に戻れば、再び貴様の体を乗っ取り、全ての人間の魂を喰らう。新鮮さには欠けるが…まぁ良いじゃろう。」


それだけは何としても阻止しなければならない。

十太郎は頭が割れるくらい考えた。

どうにか清姫きよめを抑え込むことは出来ないだろうか。


その時、十太郎はある方法を思いついた。

そして全速力で走り出す。


「何をしても無駄じゃ。」


辿り着いたのは、村の鍛冶場かじばだった。

何度か店を手伝った事があるから覚えている。

夏祭りの厄祓いに使う刀が、この地下に保管されていること。

階段を下り、くさりで頑丈に閉ざされた扉をこじ開ける。

中には刀が収納されている木箱があった。


「なんじゃ?それは…」


清姫きよめが問いかける。

十太郎は木箱を開け、中から刀を取り出す。


弘兄ひろにいが…明日の祭りの為にみがいてくれた大切な刀だ。」


「それは…厄祓いの…!」


十太郎はさやから刀を抜き、大きく振りかぶる。


「あぁそうだ!お前をはらう為の刀だ!」


剣先は十太郎の腹に目がけて突き刺さる。

自らの腹を刺したのだ。


「貴様…何を…!?」


血まみれになりながらも、何故か十太郎は笑っていた。


「はぁ…はぁ…お前は一緒に…あの世へ連れて行く……」


するとその瞬間、刀は光を放ち、その光は全てを包み込んだ。

それと同時に、辺り一体が大きな爆発と共に吹き飛んだ。



 十太郎は地面の上で倒れていた。

右手には、先程腹に刺した刀を持っていた。

やがて雨が降り、しずくが頬を伝う。

気を失っていた。どれくらい経っただろうか。

夜はとうに明けていた。

意識はまだ、はっきりとはしない。

ただ、聞き覚えのある声が、ずっと頭の中で響いている。

誰かの呼ぶ声が…。


「起きろ小僧!やってくれたなぁ!」


目を開けると、地面と並行に横たわる刀の刀身が視界に映る。


「貴様…よくもわらわをこんな刀に封印しおったな!」


声の主は清姫きよめだった。

確かに刀の中から声が聞こえる。


「…封印…?」


十太郎は重い体を起こし、立ち上がる。

視界に飛び込んできたのは、まっさらな荒野。

そこに村の面影などりはしなかった。


「そんな…嘘…だろ。」


「それはこっちの台詞せりふじゃ!早くここから出せ!」


十太郎は刀を見つめる。

怒りが込み上げてきたが、ぐっと堪えた。

そして刀を勢いよく地面に突き刺した。

衝撃で地面が割れる。


「…皆んな…俺…」


「貴様にはもはや人間として生きる道は無い。わらわと共に魍魎もうりょうとして生きていくのじゃ。」


十太郎は目をつむった。


「…もう…誰もこんな思いはさせねぇ。」


そう呟くと、地面に刺さった刀を力強く引き抜き、空にかざした。


「俺が必ず…全ての魍魎もうりょうをこの手で封印してみせる。」


少年の旅の記録は、ここから始まった…。

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