第15話 黄昏

森から砦へと吹く風は、昼の太陽に暖められた生温いものから湿った冷たい風へ。

昼の間ずっと倉庫手伝いをしていた俺は、自室の窓から外を眺めていた。


というのも夕方になり鏡の間から人が帰り始めると、邪魔になるとばかりに抱え上げられ自室へと押し込まれてしまった。


俺は猫かよ!


まぁ、今の俺は世話になっている身であるわけで。

仕事の邪魔になってしまうと判断されたなら仕方ない。


外は既に夕日が落ち、僅かに残った赤色すらも消えかけた黄昏時。

向かいの岩壁の窓から忙しなく行き来する人影が見える。

光量の少ない塗料の明かりでは何をしているかまではよく見えないが、案外この見えなさがあの少し頼りない明かりの理由だったりするのかもしれない。


目立っていたら、森から魔物が集まってきかねないだろうし。


薄暗い風景に黄昏ながら、皿に盛られたジャーキーを一つ摘まむ。

これは倉庫番の手伝い中にデュダから貰ったもので、塩がキツく効いていて身も驚く程に硬い。


倉庫の手伝いをしている最中、デュダも俺も昼飯を食べなかった。

朝夕のご飯がやけにボリューミーな辺り、昼は食べずに軽く摘まむ程度で済ますような風習なのかもしれない。


この砦で目覚め、丸一日が経った。

相変わらず分からないことだらけだが、この砦の人たちが良い人たちということはよくわかった。


ずっとお世話になるわけにはいかないが、手伝えることを手伝いながら言葉やこの世界の常識なんかを学んでいく展望はひらけた。


正直、森で彷徨っていた時の俺には想像できない状況だ。


森を無事に出ることができたとしても。

言葉が分からなければ、常識を知らなければ。

いいように使われるだけなのはこの世界だって変わらない……どころか、むしろその傾向は強い筈。


どこに行くにせよ、どんな生き方をするにせよ。

生きていくのに必要不可欠な基礎を教えてもらえるというのは、何にも勝る大きな贈り物だといえるだろう。

ただの親切なのか、理由は分からないが本当にありがたい。


そういえば。

俺が逃げ出すときに持ち出してきたものは、部屋の棚の中に入っていた。

何度も世話になったシンプルな作りの短剣に、ナップザック。

火打石やタオル、水筒まで運んでくれていたらしい。


日用品とはいえ、あの森での生活を共にしてきた愛着ある品だ。

無くなっていても仕方ないと丸っきり諦めていたものだから、とても嬉しい。


ナップザックには金や銀の粒の入った袋や赤い結晶に本、指輪といった金目の物までもがそのまま残っていた。


これにはさすがに面食らう。


治療費や食費として持って行ってくれてもいいのに、ここまでいくと親切すぎて逆に怖くなってくる。


まぁ、ここまでしてくれる理由については少しでも早く言葉を覚えることで解消するとして。


例の、指輪とセットの手紙(らしきもの)についてはナップザックの小ポケットにぐちゃぐちゃになって入っていたから見られていないらしかった。


何が書かれているか知れたものじゃないので、こちらは自力で解読することにする。


包帯はもう使い切っていたし、紐は多用しすぎて半ば切れかけていた。

となると、あの時持ち出した中で無くなったのは……小瓶だけか。


布に包まれて置かれていた上に細やかな装飾のなされた小洒落たデザインの瓶だから貴重品なのでは?と持ち出した。

しかし、肝心の中身について分からない以上手を付けることもできず、結局移動中の間ずっとただの荷物になってしまっていた。


途中からはここまで運んだのに今更捨てられないと意地になり、辿り着いた街で売れれば……と運んでいたが、最終的にあの目玉との戦いの中で割れてしまったのだろう。


こんなことなら途中で放り出しておけばよかった。


一つ一つ道具を見ていると、森での生活を思い出す。


痛み。

不安。

孤独。

苦慮。


あの茎のように苦々しい日々だったが、同時に達成感や自分一人ですべてを行うことによる自信にも満ちた日々でもあった。


日本での生活では、良くも悪くも人と人との関係からは離れられない。

誰かの働きで動いているインフラがある都市部はもちろん。

どれだけ森の奥地に入ろうが、ひょんなことで人と会う可能性があるほどの人で列島中が溢れているし、どこの土地にも大抵所有者や管理者がいる……と考えるとどうあっても他人を意識しないなんてことはできない。


人と関わらないで生きるなんて、それこそ生きている間は不可能だ。


だからこそ。

それができたこと、結末はどうあれ曲がりなりにも生き残ったことが自信につながっているのが自分自身でもよくわかる。

そしてそんな環境から帰ってきて、暖かい人に囲まれたこと。


それは、あの日殺して、火を放って逃げた時からずっと胸の中で燻ってきた仄暗く胸を熱くするような濁った自信を押し流し、霧散させるのに十分なほどの変化で……。


……。


消えていった夕日を見ながら、そんなことを考えていた。


ただ、どうしても。

どうしても、遠い山際にわずかに残る黄昏の赤のようにか細い暗い火が、心の奥底に残る。

どんなに小さくなっても、降り積もるほかの感情に埋もれて意識しなければ自分でも気がつけない程に目立たなくなっても強く燻り続ける。


それは、


女神への復讐心。

理不尽への怒り。

あの日感じた絶望の黒い薪。


それだけは、今の幸福感にも押し流されず、かき消されずに残っていた。


残ってしまっていた。


あぁ、残っていてくれて良かった。

本当に、良かった。

本当に。


……。


視界の遥か先、遠い地と空の境界線。

赤を飲み込んだ藍色が見えたのはほんの一瞬だけ。


すぐに夜のとばりは落ち、とうに欠けきった月が昇っていたことにようやく気が付いた。

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