神邪森羅

「なあ血染」

「なに?」

「俺さ、学校の廊下でも歩いてる?」

「あはは、良い例えだね!」


 別に学校のようなというと少し違うが、廊下の大きさが正に学校の廊下を歩いているのと同じ感覚だった。

 俺たちの前を歩く女性、立花さんというらしいが外で少し話したっきり彼女は何も口にしなかった。


「……………」

「緊張してる?」

「少し……な」

「ま、気楽に行こうよ。あたしは何を言われても大丈夫、別にここに喧嘩をしに来たわけじゃないからね」

「そうだな」

「たぶんだけど目ん玉ひん剥いて驚くじゃないかなぁ」

「女の子がそういうことを言うんじゃありません」

「は~い♪」


 ちなみに、俺たちがこんなやり取りをしているが真白は血染の影の中に潜んでおり出てきていない。

 おそらく、今日は血染にとって大切な日だと真白も思っているからこそジッとしているんだろうか……本当に思い遣りのある子に育ってくれたよ。


「ここですね。あなたは……」

「兄さんも一緒に入るよ。だって今のあたしの家族であり、大切な恋人なんだから当然でしょ?」

「……なるほど、畏まりました」


 スッと頭を下げて立花さんは下がった。

 コンコンと血染がノックをすると、中から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。


「どうぞ」

「行くよ兄さん」

「あぁ」


 血染が扉を開け、俺たちは二人で中に入った。

 中には一人の女性が椅子に座っており、優雅にカップに注がれた紅茶か何かを飲んでいた。

 血染にそっくりなその美貌はやはり綺麗で、景色を眺めていたその瞳がこちらを射抜いた。


(……相変わらず綺麗な人だな)


 そもそも血染と似た容姿という時点で綺麗というのは当然なんだが。

 彼女は血染を見て僅かに目を見開いた後、次いで俺に視線を向けて口を開いた。


「いらっしゃい。あなたは久しぶりね?」

「えぇ。まさか、こうしてまた会うことになるとは思いませんでしたけど」

「それは私もだわ――血染、あなたにまた会うとは思わなかった」


 俺に向けていた視線は血染へと向いた。

 そして放たれた言葉は娘に向けるような優しさは込められておらず、明らかに赤の他人に向けるのと同じだった。


「取り敢えず座ると良いわ。お客様だもの、お茶とお菓子は用意してるから」

「え? ほんと? ちなみにチーズケーキは?」

「あるわよ。あなた、それは好きだったものね」

「らしいよ兄さん! 早く座ろ!」

「お、おう」


 良く分からんが、取り敢えず固かった空気は柔らかくなったかな。

 血染に促されるようにしてテーブルに向かうと、早速血染は手を合わせてケーキを口にした。


「うん。美味しい」

「……ったく、ちょっと考え過ぎてるのがアホらしくなるぜ」

「それで良いんだよ」


 ちなみに、このやり取りを血染の母は無表情で眺めていた。


「こほん。あの時は名乗らなかったわね――神邪森羅しんらよ」

「六道大河です。よろしくお願いします」


 森羅さん、それが彼女の名前らしい。

 俺たち二人が改めての自己紹介をする中、血染はずっと美味しそうにチーズケーキを頬張っており、彼女の様子が俺の緊張を緩和してくれる。


「ふぅ、美味しかった。ご馳走様」

「……………」


 ご馳走様と手を合わせた血染に森羅さんは反応せず、優雅に紅茶を飲むだけだ。

 血染としても返事がないことは気にしていないようで、特にそのことに関してリアクションもしない。


「さてと、母さん」

「私はもう――」

「あ~いいからそういうの。私はもうあなたの母親じゃない、だからそんなことを言わないでなんて返事求めてないし?」

「……………」


 中々に鋭いジャブだった。

 特に話す内容があるわけではなく、血染がただただ伝えたいことを伝えて今日は帰るつもりなので、血染が伝えようとしていることは果たして森羅さんを驚かせるかどうか……。


「ねえ母さん、あたしは全てを恨んでた。どうして生まれた時からずっと、こんなにも周りから良くない目で見られないといけないのかって。どうしてあたしはこんなにも不幸なんだって」

「……………」


 俺は目を閉じて初めて彼女に会った時のことを思い出す。

 そもそもゲームの世界に転生したということ自体が驚きだったが、その中で血染に殺される大河というのも更に驚いたものだ。

 あんな結末になりたくない、殺されたくない、そんな気持ちに突き動かされたのはもちろんだが……一番は彼女のことが好きだったこと、そして彼女を俺なりに助けてあげたかった。


(……それが今、こうして形になって血染や真白と繋がっている。俺たちの未来はこれからも続いて行くんだ)


 だからこそ、俺は見届けないといけない。

 おそらくは血染がずっと会いたくなかったであろう母親との対面、それを俺はジッと見届けるんだ。


「母さんだって知ってたはずだよね? あたしがずっと塞ぎ込んでいたこと、この世界のことを恨んでいたことを……どうしてこんな境遇にあたしを生んだんだって、母さんを恨んだことを」

「えぇ」

「その気持ちは今でも変わってない……でも、そんなことを考えても仕方ないって思うようにはなれた。だって――」


 そこで血染は俺を見た。


「たとえどんなに絶望しても、どんなに悲しくて苦しくても……あたしを助けてくれたヒーローが居たから」


 その言葉に森羅さんも俺を見た。

 二人に見つめられ、ヒーローだとマジマジと言われたことは恥ずかしくもあったけれど、俺はやっぱり彼女を救うことが出来たんだなと改めて嬉しくなったのだ。


「そんな兄さんにあたしは元気付けられて、本当の意味で一人の女の子として見てもらって、普通の人と同じように接してもらって……身近に自分のことを想ってくれる人が居る喜びをあたしは知ったの」

「……………」

「それからあたしが兄さんを好きになるのは早かった。好きで好きでたまらなくなって、恋をすることの素晴らしさを知って……あたしはそこで初めて、この世界に生まれて良かったって心の底から思ったんだよ」

「……血染」


 森羅さんにとっても血染の変化は驚くべきものだったんだろう。

 彼女にとって血染を手放したことを後悔はしていないだろうし、何よりあの時に俺に言っていた言葉の全てに嘘はないはずだ。

 さっき部屋に入った時の血染を見て驚いたのも、あれからの変化を経て今の彼女を見たからこその驚きだったんだと思いたい。


「母さん」

「……何かしら」


 血染は言葉は紡ぐ。

 伝えるべきことを、伝えないといけないことを。


「あたしは母さんの娘、だからこそある程度のことは分かってしまう。あたしのことを放り出したことに清々はしても、心のどこかで気に掛けていた。それは無意識に近いものだと思うけど、母さんは確かにあたしのことを考えていた。だって、そうじゃないと不自由ないほどのお金を渡そうなんてしないでしょ?」

「考え過ぎでしょう。少なくとも、一人の人間を預ける時点で大金を渡すのは当然のことで何も間違いではないわ。あなただけではない、その預けた家の六道君のことも考えた結果だから」


 それに関しては本当に感謝してもしたりない。

 子供だけで生きて行くには限界があるのだが、それでもバイトなどをせずに血染と不自由なく生きて行けるのは間違いなく森羅さんのおかげだ。


「そう、じゃあ考え過ぎってことにしとくね。その上で、あたしがこうやって幸せになれたのは間違いなく多くの要因が重なったおかげなの……だから母さん、あたしを生んでくれてありがとう。そのおかげであたしはこの世界で幸せになれた」

「っ……ふざけ――」

「だから怒鳴らなくて良いってば。娘を捨てたんだからこれくらいは受け入れなさいっての」

「むっ……」


 こう言ってはなんだけど、むっとする仕草は血染と森羅さんはそっくりだ。

 やっぱり親子なんだなと、会話と雰囲気がそうでなければ笑顔で溢れる空間だろうことが容易に想像出来るほどだった。


「母さん、約束する――あたしは大丈夫だから。もう幸せだから……だから母さんは背負わなくて良い。あたしは自分の身に宿った力を大好きになれたから」

「……ほんと、立派になったな血染は」

「えへへ、兄さんのおかげだよん♪」


 そこで血染はあの子の名前を呼んだ。


「真白、おいで」

「うん」

「っ!?」


 スッと真白は現れた。

 血染と同じ姿を持ちながらも、人ではないと分かる彼女の登場に森羅さんはとてつもなく驚いた様子だ。


「この子があたしの力の原石、でもあたしと同じく兄さんに救われた存在なの。真白って名前を与えられて、この子も大好きになったんだよ兄さんのことを」

「うん。凄く大好きになった」


 口をパクパクさせる森羅さんに血染は苦笑した。


「今日は伝えたかっただけ、あたしは幸せだからってことを。それと生んでくれたことに対する感謝をね」

「血染はもう大丈夫。私とお兄様が傍に居る」


 その二人の言葉に森羅さんは下を向き、そうっと小さく呟くのだった。

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