気付きを経て心を縛る

 大河の妹である血染の日々は充実していた。

 大河と出会ってから全てが変わり、血染がずっと望んでいた日々が大河の手によって齎されたと言っても過言ではない……大河はそんなことはないと言うだろうが、少なくとも血染はそう思っていた。


「ねえ血染、今日はどうするの?」

「今日かぁ……う~ん」


 血染の周りには多くの生徒が集まっており、如何に彼女がこのクラスにおいて人気者かどうかが窺える。

 女子は当然近くで屯しているが、男子もある程度の距離を保ちながらも血染の判断を気にしていた。


「ごめんね? 今日はちょっと家の用事があるから先に帰るよ」

「えぇ……残念」

「仕方ないよ。我儘ばかり言えないって」


 本当にごめんね、そう手を合わせて血染は謝った。

 同年代の彼らにとってあまりにも刺激が強い美しさと妖艶さを兼ね備えた彼女、そんな血染に謝罪されると逆に彼らが気にしないでと慌ててしまう。


「ちょっと、これじゃあどっちがどっちか分かんないよ」

「だってぇ……」

「血染に謝られると……ねぇ?」


 どういうことなんだよと血染はクスクスと笑った。

 少し前までは絶対に考えられなかった光景がそこには広がっており、誰も血染を仲間外れにしなければ遠ざけるようなこともしない……だからこそ、血染の内心は彼らに対する冷たさで満ちていた。


(都合の良い連中……何もかもが浅ましい)


 決して口にはしないが、それがずっと血染の抱く彼らへの印象だった。

 表では明るく振舞い、文武両道を地で行く血染は生徒だけでなく教師からの信頼も厚くなったが、やはり仕方ないとはいえ今までのことがあるせいでその彼らからの友好的な感情がどうも薄っぺらく感じられるのだ。


(別に今までの扱いを恨んでいるわけじゃないし気にしてるわけでもない。そんなどうでも良いことを気にするほどあたしは小さな女じゃないんだから。兄さんの隣に並んで恥じることのない理想の姿を目指す……それしか興味ない)


 血染はどこまでも義理の兄である大河のことしか考えていなかった。

 心が壊れかけていた時、真の意味で血染自身を見つめてくれた大河のことを血染はどこまでも愛しているのだから。


(アンタも興味無さそうだものね)


 血染の心での問いかけに内なる怪物――黒血染も頷いた。

 表の血染はともかく、黒血染は彼らを……いや、表に生きる全ての生き物は自分の腹を満たす餌のようにしか思っていない。

 そんな彼女が彼らに一切の興味を示さないのは餌とすら思っていないからだろう。


(それだけあたしたちにとって兄さんの存在が大きいってことか)


 影が揺れた……どうやら黒血染も同意らしい。

 そんな風に血染の学生生活は充実していたが、裏のことを知っていれば如何に彼女が冷めた気持ちで日々を過ごしているかが良く分かる。


(……早く兄さんに会いたいな)


 家に帰れば大好きな大河に会える、思いっきり甘えることが出来るし甘やかせてくれる……その時間が血染は何よりも好きだった。

 最近の血染の変化を大河は良い傾向だと感じており、だからこそ内心は冷めているんだと気付かれて心配させるのも嫌だった。


(でも決して心が擦り切れるわけじゃない。兄さんの存在があたしの心を、あたしたちの全てを支えてくれているから)


 だから学校に居る間はいつも大河のことを血染は考えている。

 そして時間は流れて放課後になり、すぐに荷物を纏めて教室を出ようとしたその時だった。


「な、なあ六道さん」

「なに?」


 これから兄と合流するのに邪魔だなと、そんな感情が芽生えた。

 黒血染も既に喰う体勢に入っており、これ以上時間を引っ張られたら間違いなく殺すという意志が感じられた。


「この前、六道さんが一緒に街で歩いていたのって……確かお兄さんだよね?」

「? それがいつかは知らないけど、あたしが街で出歩く異性は兄さんくらいだよ」

「そっか……そうだよね」

「だから何?」

「あぁいやごめん。六道さんの恋人ならもっとかっこいい人を選ぶと――」


▼▽


「……遅くなっちまったか」


 放課後になり、すぐに学校を出ようとしたんだがちょっと先生に捕まってしまい遅くなってしまった。

 今日は血染と一緒に買い物をする約束をしていたのだが、それでも大事な用だったのもあってすっぽかすわけにもいかなかった。


「一応遅れることは伝えたけど……あ、居た」


 待ち合わせ場所に向かうと血染はスマホを弄りながらそこに居た。

 一人の大学生くらいの男が血染に声を掛けているが、血染は特に気にしていない様子で全く反応を返していない。

 俺はあの大学生にもしものことがないように血染の元に急いだ。


「血染!」

「あ、兄さん!」


 声を掛けると血染は瞬時に顔を上げて俺の胸に飛び込んできた。

 同時に背後からも黒血染に抱き着かれたようで、素晴らしい感触が前と後ろから俺を癒してくれた。


「悪い遅くなった」

「ううん、大丈夫だよ」


 その割にはスマホを見ていた時の顔はとても寂しそうだったけどな。

 俺は敢えてそれを指摘することはせずに、それじゃあ行こうかと血染と一緒に歩き出した。


「腕組みまぁす! えへへ♪」


 ギュッと俺の腕を胸に血染は抱いた。

 その間にチラッと例の大学生に目を向けたが、それはもう邪魔者を見るような目で俺を見つめており、俺は特にその視線にビビったりはせず何も反応を返さずに血染と一緒にその場を去った。


「兄さんと買い物、兄さんと買い物♪」


 ただ冷蔵庫の中が寂しくなったからこその買い物なんだけど、ここまで嬉しそうにしてくれるのは兄貴として嬉しいもんだ。

 ……ただ、俺は少し血染から違和感を感じた。


(……何かあったか? いや、あくまで直感だけど)


 どこか血染に元気がないように見えたのだ。

 生憎と誰かの気持ちを瞬時に察せられるような鋭さは俺にはない、なら時にはこの直感に従うのも良いかもしれないな。


「なあ血染、ちょっとカラオケにでも行かないか?」

「カラオケ?」

「あぁ。買い物して早く帰るのもありだけど、今日は外で血染と遊びたい気分だ」

「兄さん……良いよ。行こ!」


 それから一時間ほど、思いっきり俺は血染とカラオケを楽しんだ。

 俺自身が楽しんだのはもちろん、血染も歌う中で色々と発散していたようなので楽しんでくれたと思う。


「あ~楽しかった! 偶には思いっきり歌うのもありだねぇ! 兄さんが傍に居るからってのもあるけど」

「そうか。なら良かったよ」


 最近は本当に彼女の笑顔を見れたらそれだけで幸せになれるようなものだ。

 それじゃあ当初の予定である買い物に行くとするか、商店街に向かって歩き出そうとした時、血染が待ってと俺を呼び留めた。


「ねえ兄さん、どうしていきなりカラオケに行こうって言ったの?」


 やはりというべきか、咄嗟に思い付いたことに血染は疑問を感じていたらしい。

 俺と違って鋭いなと思いつつも素直に答えた。


「なんとなく、元気が無さそうっていうか……ちょっと気分が落ちてるように見えたんだよ。どうだ?」

「……そう見えたかな?」

「その様子だと間違ってなかったか」

「うん……バレないようにってわけじゃないけど、いつも通り振舞ってたはずなんだけどな」

「ふ~ん?」


 ……こういう時、少しかっこよくしたいって考えるのが俺のいけないところなんだが口は止まらなかった。


「別に全部分かるわけじゃないけど、血染のことなら大抵は分かるさ。たとえ出会ってまだ一年経たないとしても、俺たちはその辺の兄妹より遥かに絆は強く結ばれてると思ってるしな!」

「……………」


 ポカンとした様子の血染に俺は外したかと恥ずかしくなった。

 目を丸くしていた血染は下を向いたまま、ゆっくりと俺の腕にまた抱きついて身を寄せてくる。


(……あ、頬が赤い)


 頬だけでなく耳まで赤いことに気付いたが、こういうことは指摘しないのが思い遣りってやつだ。

 それから改めて買い物に向かい、途中からは血染もいつもの調子を取り戻した。

 二人で食材の質を値段を見ながら相談しながらの買い物はやっぱり楽しく、終始俺と血染は笑顔だった。


「……これも我慢したご褒美なのかな」

「我慢?」

「うん。パクってしそうになったのを鋼の精神で耐えたあたしへのご褒美ぃ♪」

「??」


 良く分からないけど、血染が笑っているならそれだけで良い。

 もしも気分が落ちた時は遠慮なく言ってほしいと伝え、血染はそんな俺の言葉に力強く頷くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る