第20話 最初で最後のデート


 フィオナの洗礼の儀式をした翌日、解呪の時間にレイからある提案をされた。


「今日はこの後なにか予定はあるか?」

「特にないわよ。どうして?」

「そうか、それなら一緒に行きたいところがある」

「どこへ?」

「いろいろ……だな」


 明言しないレイに釈然としないものの、フィオナもまだ目を覚まさないから問題ないかと、侍女たちに準備を進めてもらった。


 用意された衣装は、皇后らしいドレスではなく育ちのいい町娘のようなロイヤルブルーのワンピースだった。

 コルセットも不要なので、自分で着ると言って身支度したくらいだ。


 そこへ例も準備を終えてやってきた。レイもいつもの皇帝の衣装ではなく、布地こそ高級だけど、デザインは商会の息子が着るような衣装だ。


 アイボリーのシャツに濃紺のジャケットとスリムなスラックスを身につけている。


「うわ、いつもと全然違う! こういうのも意外と似合うのね」

「こういう衣装の方が着慣れているんだ。セシルもよく似合ってる」


 柔らかく微笑むレイにドキッとする。でも、この部屋にはまだ侍女たちがいるから、すぐに演技だと思い出した。


 お揃いのブレスレット型の魔道具をつければ、周りには違う姿で見えるようになると聞かされた。


 しかしこの魔道具は一般的には出回っていない代物だ。

 こんなふうに姿を変えられたら犯罪に使われてしまう。さすが皇帝は違うと感心した。


「この格好をするってことは、街に出るの?」

「ああ、買い物に付き合ってほしい。夕食も街で食べる予定だ。いいか?」


 仕事以外で街へ出かけると思うと、心が軽くなった。やっぱり皇城で貴族のように生活するのは、私には合っていないのだ。


「もちろん! ねえ、屋台も食べたいのがあるんだけど、いい?」

「くくっ、好きにしろ。寄りたいところがあったら言ってくれ。時間が許す限り付き合う」

「やったー! えー、じゃあ、どの屋台がいいかなあ。串焼きは外せないよねー、あと、クレープも食べたいし……」

「食べ切れる量にしろよ」

「当然、全部食べるから!」


 そんな感じで私はウキウキしながら街に繰り出した。




 街の中心部は活気にあふれ、大勢の人たちが通りを闊歩している。親子連れや友人同士、カップルなどさまざまだ。

 三階建ての建物が並び、一階や二階は店舗として、上の階は住まいとして使われている。


 私が住んでいた時の帝都よりも断然明るく賑やかになっていた。レイの治世がうまくいっている証拠だろう。


「帝都なんて久しぶりー! まだあのお店残ってるかな……?」

「セシル。最初に行きたいところがある。ここだけ先に済ませてもいいか?」

「ええ、もちろん。どこなの?」

「ユニバル商会に行く」

「なにを買うの?」

「家だ」

「家? 皇城があるのに?」


 なにか街の視察の時にでも使うのだろうか。お忍びで使うなら拠点があった方が便利なのかもしれない。


「セシルが住む家だ。前の住まいはもう引き払っただろう?」

「あ……そういう、ことね……」


 確かに皇城に来て一カ月くらいの時に、家賃がもったいないからと荷物を引き上げて契約解除してもらったのだ。


 今まで浮かれていた気持ちはきれいに霧散して、沼の底へに沈み込んでいくみたいに気持ちも落ちていく。


 なにを馬鹿みたいに浮かれていたんだろう。レイはただ私が皇城から出ていった後の住処を用意しようとしているだけだ。そんなの用意する必要ないのに。


 結局、私は成長していないのだと痛感した。婚約破棄された時のことがフラッシュバックして、周りからも音が消えていく。


「セシル? 大丈夫か?」

「うん、大丈夫。それでどんな家なの?」


 家なんていらないと言おうと思ったけど、レイの嬉しそうな顔を見たら断れなくなってしまった。


 皇帝の執務をこなしながら作ってくれた時間だし、断ったらこの時間が終わってしまいそうで余計に言えなくなった。


 それに最初からわかっていたことなんだから、こんな風に落ち込む方がおかしいのだ。


 レイは私がいなくても、全然平気みたいな顔で話を進めているから、ちょっとだけムカつくけど。


「セシル、ふたりで住むならこれくらいの広がベストだと思うがどうだ?」


 ふたりって……あ、ミリアムからフィオナのことを聞いたのか。さすがに十歳の子を連れて路頭に迷うわけにはいかないものね。


「うん、いいわね。じゃぁ、ここでいいわ」

「そうか。ではこの家を妻名義で購入したい」


 もう妻のふりもしなくていいのに。ああ、契約期間だから仕方なくか。あの契約に縛られているのは私だけじゃない。


「もしかしたらって……思った私が馬鹿だったわ」


 もしかしたら、レイも少しは寂しく思ってくれてるのかもって。だから今日は街に出ようと誘ってくれたのかもなんて考えてた。


「なにかあるか?」

「ううん、なんでもない。ありがとう、レイ」

「これくらい、なんでもない」


 仮面があるからわからないけど、いつもみたいな尖った空気が少しだけ和らいでいるように感じる。


 私と離れるのがそんなに嬉しいのかと思ったら、落ちていく自分の気持ちをもうとめられなかった。


「他に買いたいものはあるの?」


 思ったよりも低い声になってしまったけど、真剣に悩むレイは次は生活に必要なものを揃えるのだと、商人の持ってきたカタログを開いた。

 その家に住む私よりも、よっぽど真剣に選んでいた。


 二時間ほどで内装や家具まですべて手配してくれたので、引っ越ししたらすぐに生活が始められそうだ。


 至れり尽くせりで、そこは感謝しないといけない。商会を出てきちんとレイに向き直った。


「レイ、ありがとう。これですぐに生活が始められそうだわ」

「ああ、セシルはひとり暮らしの経験もあるから問題ないだろう。俺が——しまった、ひひとつ頼み忘れたことがある。ここで待っててくれるか?」

「わかったわ」


 商会に戻るレイを見送って、私は視線を通りへ向けた。


 目につくのは仲睦まじそうにしているカップルだ。誰も彼も幸せそうに笑みを浮かべているし、相手を見つめる瞳には恋情が宿っている。


 他にも幸せそうに笑う家族づれや、三人の女の子がカフェで楽しそうにおしゃべりしていた。


 どれもこれも私には縁のないものだ。深いため息がこぼれる。


「……はあ」

「セシル、待たせた。どうした? 具合が悪いのか?」

「あっ、なんでもない。久しぶりに人が多いところに来たから、身体がついてきてないみたい」

「そうか……場所を変えよう。いいところがある」


 そっと私の手をとって、レイは歩き出した。




 レイのゴツゴツとした指が、決して離さないと言ってるみたいに私の指に絡んでいる。


 それだけでも落ち着かないのに、気遣う様子で優しくエスコートしてくれた。仮面の奥の深い海の底のような青い瞳は、穏やかに私を見つめる。


 もういいから。これ以上、優しくしないでほしい。


「…………?」


 ねえ、契約なんだよね?

 そうレイの背中に問いかけるけど、魔法契約により私の声は届かない。


「ここだ。歩けるか?」

「うん、大丈夫」


 連れてこられたのは植物園だ。広大な敷地に帝国中の植物がすべて集められた、商業施設だが人はまばらだ。


「ここなら空気もいいし、あまり混み合ってない」


 広大の敷地の中には温室や薬草園、それから遊歩道や公園まである。


 私はレイに手を引かれたまま、遊歩道へと進んだ。小鳥のさえずる声を聞きなから、清涼感のある空気を吸い込んでゆっくりと木々の間を歩いた。


 言葉はなくても手のひらから伝わる温もりでだけで、心が凪いでいく。ずっとこの時間が続けばいいのにと思った。


 やがて少し開けたスペースに出ると、ベンチが複数置かれていて休憩できるようになっていた。


「ここでひと休みしよう」


 レイが腰を下ろしたベンチに私もそっと座る。

 そよそよと頬を撫でていく風が心地いい。


「少し落ち着いたか?」

「うん、ありがとう。もう大丈夫。せっかく買い物に来たのにごめんね」

「それはかまわない。もう大事な用件は済んでる」


 少し強めの風がレイの髪を弄んでいる。深い海のような碧眼は、いつもと変わらず仮面の奥からこちらを覗いていた。


 言葉はぶっきらぼうなのに態度は優しくて。いつも私をからかうのに、その瞳はまっすぐに私を見つめてくる。

 触れ合うと熱が伝染するみたいに広がって、途端に落ち着かなくなった。


 ムカつくこともあったけど、それ以上に私の胸の中を占めるのは、切なくて甘くて熱い気持ちだ。


 繋いだ手からレイの温度を感じる。

 契約だから、優しくしてくれてるのに。

 ひと月後には別れが待っているのに。

 これが最初で最後のデートなのに。


 もう誰も愛さないって決めたのに。




 それなのに私は、こんなにもレイが好きだ——


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