第18話 追い詰められた元聖女
ありえない! ありえない! ありえないわっ!!
わたくしには聖女の力があるって言ったじゃない! それに、お父様まで騎士に連れていかれて、これからわたくしはどうなるのよ!?
帰りの馬車の中で、これからどうすればいいのかずっと考えていた。
聖女じゃなくても、要は皇后になりさえすれば今までと変わらない。むしろわたくしには皇后こそがふさわしい立場なのだ。
そのためには、セシルが邪魔だ。最初から目障りだったからさまざまな手を使って、セシルが皇城から去るようにしむけていたのに、なにもうまくいっていなかった。
魔女に呪いの制服を作らせたのだって費用だけかかって、セシルを追い出せなかった。
お父様やエル様に頼んで毒を仕込ませたり、暗殺者を送ったりしたのに、ちっともうまくいかなかった。どうしたら皇后の座が手に入るのか、考え続けた。
あっという間に屋敷に着いて、いつものように馬車から降りる。
わたくしが帰ると出迎えるはずの家令も侍女も誰もいなかった。
「ちょっと! わたくしが返ってきたのに出迎えもないなんて、どういうことなの!?」
怒鳴りつけても誰も出てこない。そこへお母様の叫び声が聞こえた。
「そ、そんな! お願いだからここに置いてちょうだい! 行くところなんてないのよ!」
それはお父様の執務室から聞こえてきた。そういえば、会議で家督を譲れって陛下が命令していた。
それなら、今この侯爵家の当主はお兄様だ。急いで階段を駆け上がり、廊下の奥にある扉を開いた。
「お兄様! お母様!」
「シャロン! ねえ、助けてちょうだい! ここから追い出されそうなのよ! それに、あなたが聖女ではなくなったなんて嘘でしょう?」
お母様の言葉に耳を疑った。お兄様は当主になってすぐさまわたくしたちを追い出そうとしている。
いくらお父様が罪人として捕まったとはいえ、わたくしたちがここから出ていく理由はない。
「お兄様! この仕打ちはあんまりだわ! お母様もわたくしも家族でしょう! ここで暮らす権利はあるはずよ!」
「家族だって?」
聞いたことがないような、冷たい声が突き刺さった。あの女と同じ翡翠の瞳は静かな怒りを孕んでいる。
「お前たちは僕のたったひとりの妹である、セシルを追い出しただろう! あの時は僕に力がなかったから守れなかったけど……自分たちの都合のいいことばかり言うな!!」
「だって、闇魔法の使い手なんて危険じゃない。それにわたくしだって半分は血のつながりがあるのよ!」
そこでお兄様は鼻で笑って、書類を投げつけてきた。バラバラと床に広がるのはなにかの調査結果のようだ。
「お前は僕の妹じゃない。血のつながりなんてないからな。父上を騙して侯爵家に転がり込んだ、詐欺師の娘だ」
バッとお母様に視線を向けると、青い顔でガタガタと震えている。お兄様の言ったことが真実なら、貴族を欺いた平民は間違いなく投獄される。
慌てて数枚の書類を拾い上げて読んだ。そこに書かれていたのは、お母様の当時の暮らしぶりだ。
お母様は酒場で給仕の仕事をしていて、複数の客と関係を持っていたらしい。その中のひとりがお父様だった。
最後の書類には、わたくしとお兄様に血縁関係がないとはっきり書かれていた。
「嘘……そんな……」
「そもそも、こちらの家系にお前のような髪色はいない。お前の母親もブルネットだし、光属性の魔法適性もない。父との間にお前のような子が生まれるのがおかしいんだ」
今まで信じていたものがガラガラと崩れ落ちていく。わたくしは貴族の令嬢で、光属性が使える聖女で誰からも愛されていた。
それがたった一日で、すべて幻のように消えていった。
「信じられないわ……そうよ、この調査結果が間違っているのよ!」
「……この調査は陛下の影をお借りして調べたものだ。間違いない」
「陛下? どうして陛下がそこまでするのよ!?」
本当に意味がわからない。いつも辛気臭い顔をしていたお兄様を、なぜ陛下が助けるのか。
「陛下は本当にセシルを大切に思ってくださっている。だからこそだ。今回の教会の不正調査に協力するならと、力を貸してくださったのだ」
悪魔皇帝は思ったよりも馬鹿らしい。あんな魔女を大切にしているなんて信じられない。どう考えたって、わたくしの方が皇后にふさわしいのに。
そんなこともわからない男なんてこっちから願い下げだ。
そこでわたくしはひとつ可能性を見出した。
「待って、それじゃあ、エル様との婚約はどうなるの!?」
「それはこれから協議となる。あちらも知らせがいって当主がエルベルト様になっただろうから」
「それなら、今はまだわたくしの婚約者ということね!?」
「……正式な婚約解消はしていない」
それなら、まだチャンスはある。わたくしが皇后になるための方法が。
「わかったわ。それなら、わたくしは屋敷を出ていきます。でもお兄様、わたくしはお母様がお父様を騙しているなんて知らなかったの。だからそれは見逃してもらえないかしら?」
「シャロンッ! あなた、母親を見捨てるの!?」
「犯罪者の母親なんていらないわ。わたくしだって、お母様のせいで罪に問われるところだったのよ!」
強く言えばお母様は口を閉ざした。膝をついて呆然としている。こんな犯罪者が母親だったなんて本当に勘弁してほしい。
「わかった。屋敷から出ていくなら善処しよう。それから、明日には貴族籍から除名するから、そのつもりで」
「ええ、大丈夫よ。そうだわ、そこの犯罪者の処分はお兄様に任せるわ。わたくしはもう聖女じゃないから」
「……わかった。家紋なしの馬車であれば、出ていく時に使ってもいい」
「まあ、ありがとうございます。お兄様」
こうしてわたくしは侯爵家から身ひとつで出ていくことにした。御者に行き先はフューゲルス公爵家だと伝えた。
フューゲルス公爵家は馬車で三十分ほどだ。荷物を置いてきたのはわざとだった。エル様に泣きついてわたくしとの婚姻を即決させるしかない。
馬車から降りて門番にエル様を呼んでほしいと頼む。わたくしの顔は覚えてくれているから、あっさりとエル様に会えた。
「シャロン! どうしたんだ? 突然会いにくるなんて……今立て込んでいて手が離せないのだが……」
「エル様っ! わたくし、どうしたらいいかわからないの! このままでは二度とエル様に会えなくなってしまうわ!」
そう言いながら、ポロポロと涙をこぼせば真剣な表情でわたくしの話を聞いてくれる。本当に扱いやすい男だ。
「シャロン、なにかあったのか? 私の婚約者なのだからいつでも会えるだろう」
「それが、お兄様が当主になったら、わたくしが追い出されてしまったの。お母様は冤罪をかけられて、騎士に連れていかれたわ。エル様との婚約も解消すると言っていたの。だから、もうエル様とは会えなくなってしまうの……!」
「なんだって!?」
まだお母様がお父様を騙した話は知られていないから、このまま押し切ってしまえば目的は果たせそうだ。
「エル様、わたくしはどうすればいいの? 明日には貴族籍からも抜かれて、平民になってしまうわ。そうしたらエル様にもう会えない……!」
「シャロン、今すぐ婚姻しよう。反対していた父上はいないし、母上も領地に下がってもらう。当主の私の意見は絶対だ。私がシャロンを守るよ」
「エル様! エル様ぁー!!」
泣きながら抱きつけば、エル様も腕を回してくれた。婚姻さえすれば、わたくしは公爵夫人として自由にできる。
そして、フューゲルス公爵家はわずかとはいえ皇族の血が入っている。現皇帝が救いようのない馬鹿なら、エル様が皇帝になれば必然的にわたくしが皇后だ。
婚姻宣誓書を提出した後、エル様と情熱的な一夜過ごした。
翌朝、気だるい体をすり寄せて、甘えた声でねだるように囁いた。
「嬉しいわ、これでずっとエル様のそばにいられるのね」
「もちろんだ、これからもずっと一緒だよ」
「でも、ひとつだけ不満だわ」
「なにが不満なんだ?」
ここでほんの少し瞳を潤ませて、上目遣いで夫となったエル様を見つめる。
「エル様は、正式な後継者なのに、あんな悪魔皇帝が帝国を治めているなんて、納得いかないの」
「いや、確かに皇族の血は入っているが、それも五代前に皇女が嫁いできたきりだ」
「でも、正当な後継者よ。だって今の悪魔皇帝は子爵家の側妃様だったから冷遇されていたのでしょう? 家格や血筋的にもエル様が皇帝になるべきよ。この前の特別会議もひどかったわ」
「それはそうなんだが……」
そこでエル様は口をつぐんでしまった。
いきなり皇帝になれと言ってもすぐに決断などできないだろう。だからそっと背中を押してあげる。
「エル様、わたくしはエル様こそ皇帝にふさわしいと確信しているわ。それに光魔法が使えるわたくしが皇后になれば民衆の心も掴めるし、悪魔皇帝と魔女を倒した正義の皇帝として後世に語り継がれるのは間違いないと思うの」
「う、うむ……」
「エル様が皇帝になって英雄としてこの国を治めるのよ。エル様にしかできないわ」
「そう……か。そうだな。今回の教会の件もやり方が卑怯だったのだ。こんな悪政を許してはいけないな」
少しずつその気になっているエル様に、最後の後押しだ。わたくしはエル様の胸に顔をのせて、ひと粒の涙を落とす。
「エル様、お願い。お父様の仇を取って」
「シャロン、泣くな。私が必ず、皇帝になってこの国を立て直すからな」
「エル様、愛してますわ……!」
「ああ、私も愛してる!」
完璧な計画に笑いを堪えるのが大変だった。
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