フィルムの中の妹

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フィルムの中の妹

 その姿に驚いたのは大量の荷物の量に押し潰されそうな小柄な姿が電話のときのイメージと違ったからだった。一週間前にアポイントが入ったときの低めの声でハキハキと喋る感じは、頼りがいのある長女のような雰囲気があったのに、調べて知った年齢よりも見た目は遥かに幼く見えてまだ学生のようだった。しかしながら、背負っている荷物にも負けずに地を踏みしめる様子はやはりイメージ通りだろうか。

 終電後の田舎の駅はいまだに白熱灯の明かりしか光源はなく、ポツポツと暗闇を申し訳なさそうに照らしていた。

 駅員室で帽子を被り直し、窓口から顔を出して努めて笑顔で対応をする。

「こんばんは。写真の撮影ですよね? お話は窺っています。こちらの終了業務が終わるまでの三十分ほどですが、時間は大丈夫ですか?」

「ご迷惑は掛けられませんので大丈夫です。多分、時間は十分足りると思いますし」

「終わりましたら、またお声がけください。線路にも下りていいですが、足下が暗いですのでお気を付けて」

「お気遣いありがとうございます」

 重い荷物に慣れた様子で、改札を通りすたすたとホームへと入っていった。ああ見えて意外と力はあるのかもしれない。時計を見ると深夜零時三十分を過ぎたところだった。私はデスクへと戻り、自分の業務へと戻ることにした。

 彼女は最近名前の知られつつある若手のフォトグラファーらしい。

 一週間前に終電後の駅で写真を撮りたいと電話で依頼された。駅長に掛け合ったところ「廃線秒読みのローカル線だし、今あるうちに使って貰おう」とのことで快諾したのだった。

 休憩時間に電話で聞いた桂木という名前を検索すると、ウィキペディアに情報がまとめられているくらいには界隈では有名な人らしい。

 年齢は私と同じで二十八歳。フォトグラファーとしての活動はもうすぐ五年だという。

 なぜこんな田舎で撮るのかと思ったら、理由は単純で小学生の頃はこの周辺に住んでいたのだそうだ。このことを駅長に伝えると、「思い入れがあるのなら尚更」と少し嬉しそうでもあった。

 初期は風景を、最近ではポートレートを撮っていて、主に写っているのは妹さんなのだそうだ。

 いくつか画像検索で出てきた写真を見るに、全体的に優しくてどこか懐かしい写真を撮るようだった。懐かしく思えるのは、主にフィルム写真で撮っているということもあるのだろう。少しくすんだような質感で、ナチュラルな色味とぼやけに原風景を呼び起こす。

 一通りの締め業務が終わり、再び時計を見るとまだ一時になっていなかった。

 制服から私服に着替えて鞄を肩に掛け、駅に行くとフラッシュが焚かれる度に光が散っていた。その姿をホームの端から見ていると、気配に気付いた桂木さんが振り向いた。

「もう時間ですか?」

「まだ時間じゃないので、撮っていていいですよ。見学していてもいいですか?」

 少し考えるような素振りがあって、渋々といったように返事をする。

「まぁ……はい、大丈夫です」

「すみません、気が散るなら戻ります」

「いえ、そういう訳ではないので! 人がいてもたぶん大丈夫。それより……」

 少し考えた後に桂木さんは聞いた。

「霊感とかありますか?」

「無いです! もしかしてなんか見えたり……?」

 今日みたいに深夜まで駅にいることが多いので、霊がいるというなら怖い。この駅で人身事故があったという話も聞いたことは無いはずなのだが……。

「私も霊感無いんですよ。何も見えないです」

 どこか残念そうにそう言って、また撮影に戻っていった。

 電車を撮り、線路を撮り、ゴミ箱を撮り、ベンチを撮り、風景を撮る。

 闇に紛れて写真を撮る姿を遠目に見ていると、シャッター音と目映いフラッシュで居場所が分かる。撮影しているのはどこか楽しそうで、真っ暗なのにどこか空気が暖かい。

「今日は風景を撮ってるんですね」

「ええ、まぁ、はい」

 煮え切らない返事だった。最近の作品には妹さんが写っているから、てっきり二人で来るものと思っていたのだ。

「半年後に個展の予定があるんです。その作品用の撮影で。撮ってるの見てて楽しいですか……?」

「楽しそうに撮っているから、こっちも楽しいですよ。それと同い年の人が頑張ってるのってなんだか嬉しくて」

「なるほど、じゃあDM送りますね。良かったら来て下さい」

「絶対行きますね!」

「……個展に来たときに、何か気付いたことがあっても誰にも言わないでいて貰えますか」

 最後にやはり言いにくそうにそう言って、その日の撮影は終わった。



 しばらくすると、駅宛に個展のDMが届いた。ハガキには『先日はありがとうございました』と丁寧な字で書かれていた。個展の初日は丁度シフトが入っていなかったので、意気揚々と向かうことにする。

 都心でやっている個展の場所を調べるために、検索をかける。場所を確認した後、検索の下の方に前回検索したときには無かった一つの噂が目についた。このときは眉唾物の噂なんて気にも留めなかったから、中身なんて読まずにすぐに閉じたのだ。

 個展は初日ということもあってか、人で賑わっていた。受付には桂木さんもいて、同業者らしき人と話しているようだったから会釈をすると、こちらに気付いて身振りで『ゆっくり見ていって下さいね』と伝えてくれた。

 花畑にいる妹さんの写真から始まり、二人で思い出の場所を巡っているようだった。

 進んでいくとうちの駅の写真が飾ってあるところまでやってきた。駅のゴミ箱から、妹さんの足が伸びている写真がある。なんだこの写真は、と続きを見ていると線路にも踊るようにステップを踏む妹さんがいる。ピースをして写る姿は楽しそうで、撮影している桂木さんと笑いながら写真を撮っている姿が想像できるようだった。

 しかし私はこんな人がいることを知らない。目眩がするようだった。

 あのときは、確かに桂木さんは一人で来ていたはずだ。ならば、ここに写っているのは誰だ? あの日私が見落としたとでも言うのか? そんなの有り得ない。

 そこで私は先程検索したときに出てきた噂を思い出した。

『桂木は誰もモデルと一緒にいるところを見たことがない。被写体となっている妹はもう死んでいる』

 思い出すのは「霊感はありますか?」と聞いた桂木さんのことだった。あのとき残念そうだったのは、どういうことだ?

 入り口にいた桂木さんを見ると、唇の前に人差し指を立てて秘密にするようにと伝えていた。見終わって入り口に戻ると、私の動揺を察したようだった。

「一体どういうことですか……?」

「見られてしまいましたから、説明します。あと一時間くらいで個展は終わるので、それまで駅前のカフェで待っていて貰えませんか?」

 了承して、私はそのまま個展を出ようとする。「あっそれと」と桂木さんは引き止める。

「怖いことなんて一つもないので、気を楽にしてくださいね」

 可愛らしい笑顔と共にひらひらと手を振って、私を見送った。

 気を楽に、と言われたって出来るわけがない。

 駅前のカフェでカフェラテを頼み奥のソファ席で待っている間、噂を検索しながら待っていた。

 しばらくするとお待たせしました、とブラックコーヒーを手に桂木さんがやって来た。二人がけのソファの片側に寄って座る。

「ネットの噂は本当だったってことですか……?」

「噂のこと知ってるんですね。それなら話は早い。妹は死んでるんですよ」

 さもなんでもないことのように言って、桂木さんはコーヒーを飲む。その姿が余裕で優雅だったから、混乱が増した。

「じゃあ、あの写真は妹さんの幽霊を撮ったということですか……?」

「そういうことになりますね」

「あっけらかんと言わないでくださいよ……!」

 噂は本当だったのだ。

「見えも感じも出来ないんですけどね。写真を撮らないと私には存在を感じることが出来ないんです。ゴミ箱から足が出ている写真あったでしょう? よくやりますよね」

「ほんとあの写真には驚きましたよ……」

「私がしろと言いました」

「桂木さんのせいじゃないですか!」

「あのパンプス、妹が働いてたときに履いてたものなんですよ。就職祝いついでに私がちゃんとした革のパンプスを買って、半年ほどしか経ってないのにボロボロなんです」

 ゴミ箱から伸びる足のパンプスを思い出す。確かに、ボロボロのパンプスだった。けれど手入れはちゃんとしていたようで、大事に履いていたようにも見えた。

「就活の時点で苦労していて、やっと入れた会社はいわゆるブラック企業。就活で苦労してやっと自分を選んでくれた会社だから、会社のために尽くしていたけど、会社が見ているのは売上で妹のことなんて使い捨ての駒としてしか見ていなかった。よくある話ですよね。悲しいですが」

 窓の向こうを見ながら桂木さんは言う。悲しい気持ちと悔しい気持ちが混ざった、複雑な感情が言葉に滲んでいた。

「それでじわじわと病んでいって、昨年の五月に自殺しました」

 想像するだけでも辛くて、思わず目を私は涙ぐんでしまう。誤魔化すために、私はマグカップを持ち飲み干すようにして顔を隠した。

「けど自殺したら吹っ切れたらしくて、どうも自由を謳歌してるみたいなんですよね……」

「……なるほど?」

「明るい子で悪戯が好きで元々写真にも写りたがりなんですが、四十九日を過ぎてから私の撮る写真に写り込むようになっちゃったんですよね……こう、心霊写真みたいにひっそりと立ってるんじゃなく、普通にピースして」

「元気そうじゃないですか」

 死んでいるのに元気、とは。まぁけど幽霊になってまで落ち込んだり呪ったりするよりは全然いいのかもしれない。

「成仏しなさいよ!? と最初は怒ったものですが、まぁ楽しそうだしいいかなと野放しにしています」

「野放しに」

「ただ困ったことが一つだけあって」

 そう言って鞄から箱に入ったフィルムをテーブルに置いた。

「このフィルム知ってますか? CMが印象的だったので、それくらいは覚えてませんかね。当時の新技術を使ったすごいフィルムなんです」

「CMは覚えていますよ」

 有名なカメラメーカーの出しているフィルムだ。子どもの頃によくCMを見ていたし、父がたまに写真を撮っていたからなんとなく覚えている。色が綺麗に写るとかなんとか、そんな売り文句だったはずだ。

「色々試したのですが、妹はこのフィルムの写真にしか写らないんですよ。だから現像するまでいるかどうかの確信が持てないんです。頼んだポーズは取ってくれるから私の言葉は届いているけど、妹の言葉はどうやったって届かない。もどかしいですよね」

 それでね、と話を続ける。

「唯一写るこのフィルムが、廃盤になってしまうんですよ」

「廃盤に?」

「フィルム写真ってもう斜陽で、ただでさえフィルムは高くなったのに、フィルムがどんどん廃盤になっていっているんですよ。このフィルムもその内廃盤になるとは思っていたのですが、ついに来てしまいました。買い占めれるだけ買い占めるつもりだけど、使用期限というものもある。フィルムの廃盤が妹の寿命。━━まぁもう死んでるので寿命も何も無いんですが。だから写せる間はいっぱい撮りたいなって。いつかフィルムが無くなっても、写ってくれるなら撮り続けたい」

 二人で撮っていると楽しそうで、空気がどこか暖かい。あのときの駅の様子を思い出す。

「今も隣にいるんですかね?」

「いるのかも知れないですね」

 例えフィルムに写らなくなっても、二人はずっと仲が良いのだろう。ソファ席の隣に桂木さんは微笑んで、どこか空気が暖かくて妹さんが微笑み返しているのが見えるような気がした。

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