17.強襲
あれから数日が経つが、週刊誌に撮られてからも、特にトラブルに見舞われることはなく、小夜子は何も変わらない日々を送っていた。
この日も、何事も無く定時で仕事を終え、小夜子は帰路に着いていた。
自宅マンションまであと少し、という所で、ふと違和感を覚えた。
(あれ、マンションの前に誰かいる)
違和感だけで留まったのは、そこにいるのが一人の女性だったからだ。
マンションの前には、妙に綺麗な格好をして、化粧もしっかりとしている美人な女性が、スマホを見ながら立っていたのだ。マンションの住人だっただろうかと思い起こすが、すれ違った覚えはなく、小夜子は首を傾げた。
ただ、ここはキータイプのオートロックマンションなので、偶に鍵を無くしたか忘れたかで締め出されている人がマンション前に居たことがあり、女性というのもあった為、そこまで警戒心は抱かなかった。
一応挨拶として会釈をしながら、小夜子が玄関に入ろうとする。
すると、その女性が姿を捉えるなり、勢いよく目をかっぴらいたので、小夜子は思わず面食らった。
そして、高いヒールを履いているというのに、殴りかかられるのではないかと感じるほど素早く近づいてきて、小夜子は堪らず小さな悲鳴を上げた。
「ひっ……⁉」
「あんた、この前ここで昴と撮られた女でしょ⁉」
ここでようやく、この女が昴の厄介なファンだとわかり、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。
澄ましていた時はあんなに綺麗に見えたのに、怒りに満ちた表情になると、少し濃い目のメイクがとても恐ろしく見えた。
突然怒鳴られたことで衝撃に固まっていると、その女は小夜子を上から下までじろじろと見た後、不機嫌そうに舌打ちをするので、更に怯えてしまった。
「ほんっと昴って、女の見る目無いわ。性格終わってる女優とやっと別れたかと思ったら、今度はつまんない人生送ってそうな地味な女と付き合うとか、意味わかんないんだけど?」
(わ、私は貴方の方が意味わからないけど……⁉)
初めて会った人に、いきなり全てを否定されてしまい、心の中で突っ込みを入れるが、口に出すのは恐ろしくて憚られてしまった。
あまりの恐怖に、心臓がドクドクと嫌な高鳴りを打ち、呼吸が浅くなっていくが、小夜子はなんとか口を開いた。
「……ひ、人違いです!」
「嘘吐いてもバレバレなんだよ!」
ようやく絞り出した嘘を速攻で見破られてしまい、小夜子は泣きそうになりながらも、逃げるようにマンションの玄関を開けようとする。
「おい、どこ行くんだよ‼」
すると、女は慌てて中に入ろうとする小夜子を追いかけて、閉めようとする扉に身体を捻じ込ませて、中に入ってこようとした。まさかここまでするのかと、本格的にこの女の事が恐ろしくなった。
「やめてください……! つ、通報しますよ!」
女がやっている事は立派な不法侵入で、何故こんなに思い切りがあるのだと疑問を覚えながらも、周りに聞こえるように、出来うる限り大きな声で言った。
だが、女は全く怯まず、血走った目で睨みつけて来た。
「そんなのどうだっていい、あんたみたいな勘違い女を昴に近づかせないのが、あたしの役目なんだから!」
そういいながら、扉に手を掛けて、こじ開けようとする。完全に自分が悪いと思っていないようで、もはやこの女からは使命感すら感じた。
「あの……大丈夫ですか?」
すると、マンション内から声を掛けられて、二人は咄嗟に手を停めると、そちらの方を見た。そこにはマンションの住人が、心配そうな顔でこちらの様子を伺っていた。その住人は、出勤時に毎回すれ違っては挨拶を交わしていた男性だった。
「外から凄い怒鳴り声が聞こえるし、窓から見たらマンション前に人だかりが出来てたんで、心配で見に来たんですけど……」
そう言われて外を見てみると、騒ぎを聞きつけたのか、マンションの前には数人の野次馬が、遠巻きにこちらの様子を伺っていた。
「……チッ!」
女はここで多勢に無勢と判断したのか、舌打ちをすると、扉に掛けていた手を外し、小夜子を指さした。
「二度と昴に近づくなよ、ブス女が‼」
捨て台詞を吐いて、女は高いヒールをカツカツと鳴らしながら、早足でその場を去ってしまった。
「……」
小夜子は脱力し、青い顔でその場にへたり込む。男性は慌ててその場にしゃがみ込むと、心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 警察呼びます?」
「……大事に、したくない、ので……大丈夫です。すみません、ありがとうございます」
とにかく気持ちを落ち着けようと、何度も深呼吸しながら切れ切れに伝えると、震える足でなんとか立ち上がった。
「大丈夫ですか、ちゃんと帰れます……?」
「はい、大丈夫です。すみません、お礼は後日で……」
小夜子は頭を下げると、心配そうに見守る男性に背を向けて、よろめきながらもエレベーターに乗り込んだ。
自宅に入り、きちんと鍵を閉めたか確認すると、小夜子は玄関前の廊下に倒れこんでしまった。
意識はあったが、極度の緊張状態から解放され、身体が思うように動かなくなってしまったのだ。
(……昴に、言った方がいいかな)
昴には何かあったら必ず言うように言われていたが、いざその状況になると、躊躇ってしまう自分が居た。大事な時期だというのに、こちらに気を割かせてしまうのは本意では無いのだ。
だが、あの女の矛先が昴の方へと向かう可能性は十分にあるので、伝えた方がいいと判断した小夜子は、放り投げた鞄からスマホを取り出すと、震える指で昴に電話を掛けた。
コールが鳴り止むまでの間が永遠の様に長く感じられ、小夜子はそれに耐えるようにぎゅっと目を瞑っていると、昴の声が耳に入った。
『もしもし、どうした?』
その瞬間、小夜子は目の奥が熱くなって、一瞬言葉を詰まらせた。昴の声を聞いて酷く安堵して気が緩み、一瞬泣き言を言いそうになったが、そんなの自分らしくないと、滲んだ涙を手で乱暴に拭った。
「……ついさっき、変な女の人がうちのマンションの前で待ってて、その人、私が昴と撮られた女だって確信してて……危うく中に入られそうになった」
『はぁ⁉』
昴は音割れするほど大きな声で言った。
「ちょっと危なかったけど、他の住人が声を掛けてくれて、なんとか事なきを得たから、一応大丈夫……」
『いや、大丈夫じゃないだろ……マジか。そんなにすぐ特定されんのかよ……』
相当ショックなようで、昴の声色がどんどん沈んでいく。暫く沈黙が降りたあと、大きく息を吸う音が聞こえた。
『……一応、こっちで出来ることが無いかやってみる。悪い、面倒な事に巻き込んで』
「別に昴のせいじゃないでしょ……」
『それでも巻き込んだのは俺なんだから、責任はあるだろ。とにかくなんとかするから、暫く一人で行動するな。家に帰る時も、タクシー使うか誰かと一緒に帰れ。あと、マンションの前に張られるかもしれないから、管理会社に連絡して、裏から入れるようにしてもらえ』
「わ、分かった……」
てきぱきと指示され、小夜子は戸惑いながら頷く。この手慣れ具合に、昴も以前こんな目に遭ったのだろうかと、少し考えてしまった。
すると、昴はわざとらしく言った。
『じゃあ、これからどうすんだ。不安なら、ずっと通話繋いどいてもいいんだぜ?』
「……何よ、私の事子供だと思ってる? 大丈夫よ」
くすりと笑みを浮かべると、スピーカー越しに微かな笑い声が聞こえた。
『そんな風に強がれるんなら、心配いらないな。じゃ、おやすみ』
穏やかに囁くと、昴は電話を切った。
電話を掛ける前よりは大分安心出来て、小夜子は小さく溜息を吐くと、立ち上がる。いつの間にか、足の震えは収まっていた。
ただ、あの女とまた鉢合わせるのではないかという恐怖が消えることはなく、その日は上手く眠る事が出来なかった。
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