第53話 昔の話②
「ママとパパの仲が悪くなったのも、私が原因でした」
テレサは語った。母親の夢と期待を一身に背負ったテレサは、生まれた瞬間から子役としての活動を始めた。母親譲りの眉目秀麗な顔立ちと、父親の日本人の血が合わさり、白人には珍しい童顔の性質を持ったテレサの容姿は天使のようだと称された。各界に多大な影響力を持つ大富豪の父親は、母親の望み通りに権力とコネを行使して映画界にテレサを売り出した。テレサも母親の期待に応えようと、言われた通りに仕事をこなし、次々と大作の主演級を射止めていき、生まれ持った可憐な容姿と英才教育で磨き上げられた演技力が高く評価され、瞬く間にスターダムをのし上がっていった。
「私は生まれた時からずっと、ママが望む通りの子供を演じてきました。そうすることでママが喜んでくれたから、これが正しいことなんだって思っていました。でも、心の奥ではもう一人の私が悲鳴を上げていました。言われた通りにしなきゃいけない、我が儘を言って困らせてはいけない、そんなのはおかしい。他の子はみんなそうしてるのに何で自分だけはダメなんだろうって。一度だけ我慢できなくなって、ママに本心を打ち明けたことがありました。そしたらママはこう言いました。あなたは特別だから普通の子と同じようには生きられない。あなたはスターになるために生まれたんだって……私を失望させないでって」
自分の夢を子供に押し付けて強制させている時点でどうかと思っていたが、自分勝手な母親にもほどがある。テレサの手前だから何も言わなかったが、正直まともな人とは思えなかった。
「その時の私はすでに売れっ子でした。出演した映画はどれも大当たりで、テレビ番組の出演や、CMと商品パッケージのオファーが舞い込んできて、寝る間もないくらい大忙しでした。ママは私のマネージャーでもあったんですけど、私を通して各界のお偉いさんと知り合いになれたのが嬉しかったみたいで、四六時中あちこち連れ回されました」
「テレサの手柄を自分の物だと勘違いして、それで自分がスターになったみたいに錯覚したんだろうな」
俺ははっと口を噤んだ。声に出すつもりはなかったが、どこまでも自分勝手なテレサの母親の振る舞いに苛立ち、つい口に出してしまった。
「私もそうだったんじゃないかなって思ってます」
「ごめん、悪く言うつもりは……」
「良いんです。客観的に見たらそう言われても仕方がないことをママはしてましたから」
「……その後はどうなったんだ?」
訊ねると、テレサは一呼吸置いてから口を開いた。
「過労で倒れました」
「そうなるだろうな」
「……それだけじゃなくて、しばらくの間、声が出せなくなりました。お医者様には心因性のストレスが原因だって言われました」
俺は目を剥いた。これは世間に公表されていない事実だ。
「引退をしたのはそれが理由だったのか?」
「それも理由の一つではありますけど、一番はパパが怒ったからです」
テレサは暗い顔をした。テレサの父親は仕事で家を空けることが多くても、テレサに深い愛情を注いでいた。母親の言う通りにテレサの活動を全面的に支援していたのも、良い子を演じているテレサを見て本人も望んでいると思っていたのが理由だそうだが、テレサが過労で倒れてストレスで声が出なくなったと知ると、テレサを巡って大喧嘩をした。娘を操り人形のように仕立て上げて自分がスターになったように振る舞う母親に怒りを露わにしたのだ。
テレサの父親は日本人として差別を受けながらも、一代で財を成してアメリカの不動産王に成り上がり、所有している不動産を元に数々の事業を展開し、それらをすべて成功へと導いた、子会社を含めれば万を越える人々の人生を背負う稀代の傑物だそうだ。その台頭を快く思わない現地民と鎬を削り、時にはギャングやマフィアに命を狙われることもあり、映画のような死線を実際に潜り抜けてきた強者でもある。略歴を聞いただけでどんな人物なのか想像が付く。正直会いたくない。
そんな戦国武将のような父親が鞘当てされたように激怒したのだ。さすがの母親も委縮して何も言えなかったそうだ。
それから父親はテレサに胸の内を問うた。どうしたいのかと。
そしてテレサは答えた。普通の生活がしたいと。
「パパは私の望みを叶えてくれました。色んな人に頭を下げて回って、私を引退させてくれました。それから時期を置いて日本に移住してきたんです。お爺ちゃんとお婆ちゃんはとても良くしてくれました。外国人学校に通うって話もあったんですけど、当時はまだ引退したばかりで顔を知られていたので、家庭教師を呼んでずっと自宅学習をしていました。パパの実家は居心地が悪かったのか、ママは別の家で暮らしていました」
テレサの家庭事情は想像していた以上に複雑なものだった。有名人で金持ちだから必ずしも幸せとは限らないようだ。それでもお金があればより幸せに近付けるのは事実だが、テレサの父親のように自分が死ぬか相手を殺すかのように競争社会を生きてまでお金が欲しいかと言われると、俺はそうでもない。違う視点の実情を知るとこうも考えさせられるのか、と俺は唸った。
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