熱中症(残された子ども)

岩田へいきち

熱中症(残された子ども)

「誰かいないのか? もうぐったりしてるぞ」「救急車、救急車、誰か呼んでくれ」


ここは、家電量販店の駐車場、8月の灼熱の太陽が駐車中の車やアスファルトをジリジリと容赦なく焼き付けていた。他の車と少し離れた所に駐めてある黒塗りの高級車の周りに人が集まり始めている。


「店員を誰か呼んで来い。子どもが閉じ込められている。急がないと死んでしまうぞ」


高級車の後部座席に5.6歳くらいの男の子が横たわっている。


「反応が無いぞ。汗ももう乾き切ってるようだ。危ない。急げ」


偶然、この車の脇を通りかかって、車内の異常に気づいた40歳くらいの男性が後部座席の窓に顔を付けて、窓ガラスを手で叩きながら誰に向かって言うでもなく大声で叫んでいる。それにつられて更に人は増え、高級車を取り囲む野次馬と化した。白く輝く太陽は、その様子を眺めている。

誰が呼んだのか呼んでないのに現れたのか量販店の制服を着た店員も車に駆け寄っていた。それを機にあまり役に立てそうにないと自覚した野次馬は、邪魔にならないように自ら距離を取り、車の窓を中心とした円となって来た。誰が呼んだのか遠くから救急車のサイレンの音も聞こえ始めている。

駆けつけた店員は、この量販店勤務13年目の中堅社員、島田たけし35歳。

たけしは、中の様子を見ると空かさず、店内に駆け戻り、ハンマーを手に再びやって来た。車のエンジンはかかっておらず、エアコンも動いてないらしい。車内の温度は、4.50度を超えていそうだ。子どもは、ぐったりしていて窓を叩く音にも反応しない。

たけしは、助手席の窓の前でハンマーを振り上げて一瞬手を止めた。野次馬たちにも緊張が走り、暑さを忘れ、汗も止まる。たけしは、ドアが開かないかもう一度ノブを引きながら

「開いてるドアがないか確認してください」と叫んだ。

それと同時にまだ車の近くに残っていた野次馬が一斉に残りの3箇所のドアノブを引く。気の利いた者は、トランクも開けてみようとしている。そして、全員、一様に首を振る。

 

 たけしは、今一度、ハンマーを振り上げ、野次馬たちも再び息を止める。 


――これって、ベンツだよな。ヤクザの車だったらどうしよう。会社は弁償してくれるか? 揉めそうになっても俺を庇ってくれるか? 家にいる奧さんと2人の幼い子どもは大丈夫か? 家族が酷い目にあったりしないのか? 


そう思って、再び手を止めた瞬間、防犯ブザーが鳴り響き出した。トランクまで開けようとした動作が防犯ブザーを刺激したようだ。


たけしは、一旦止めたものの、その音に引き金を引かれるようにハンマーを振り下ろした。

ガラスは、強化ガラスだが、意外とあっさり丁度いいぐらいに割れて、野次馬も息を吹き返した。割れた窓から手を入れ、ロックを解除。それと同時に駐車場内に救急車かが入って来た。最初に発見した男性が後部座席のドアを開け、中の男の子を抱え上げて車から出す。

野次馬は、再び息を止める。

たけしは、


――この子が亡くなってたらどうしよう? 俺の判断が遅かった。躊躇していなければ助かった? この子がヤクザの子どもでお前のせいで息子は助からなかったとかいちゃもんつけられたら家族はどうなる?


などと考えながら息を止めた。

男性が子どもを抱えたまま、子どもの口元に耳を近づける。また周りに緊張が走る。白く輝き、ジリジリ焼き付ける太陽のことは、みんなもう忘れている。


「息をしていないぞ」


今度は、胸の辺りに耳をくっつける。

丁度その時ストレッチーを引きずった救急隊員が到着。男性は、首を捻りながら男の子を隊員へ渡す。野次馬からは、溜息が漏れ聞こえてくる。

隊員が男の子をストレッチャーに載せ、ベルトを掛けながら肩を叩いて、


「分かる? 聞こえてる?」


と意識確認をして、返事が無いことを確認して今度は、胸に耳を当てる。


再び野次馬や男性、たけしは息を止め、隊員の声を待つ。隊員は、今度は手を胸に当てて、

「止まってる。中で電気ショックだ」


再び野次馬の溜息が漏れ聞こえ、隊員が救急車の方へストレッチャーを動かし始めた瞬間、後ろの方から


「のぼる、のぼるじゃないか。どうして出てるんだい?」


少し白髪混じりの中年の男性が走り寄ってきた。男性は、夏物の涼しげなスラックスに高そうな夏物のシャツを着た紳士だった。


「お宅のお子さんですか? 呼吸と心臓が止まってます。今から電気ショックをしながら緊急搬送します。ご同行願えますか?」


「緊急搬送? これはまたえらいことになっとるな」


男性は、少し考え込むように白く輝く眩しい太陽を見た。


「急いで下さい、生命に関わります」


野次馬は、たけしや助けた男性と共に息を止めたままだ。


「のぼるは、人形じゃよ。息もしてないし、心臓なんて最初から動いてない。連れて行かないでくれ」


野次馬は、それぞれが思い思いの安堵の声を上げ、また息をし始め、暑さを思い出した。


しかし、最初に発見した男性とたけしは、まだ息が戻らなかった。


――ええっ、人形? ベンツの修理代は、家族は? 大丈夫なの? だから躊躇したのに。もっと躊躇してやめておけば良かった。この人、ヤクザだったらどうしよう?


さっきまで躊躇したことをあれほど悔いていたのにこんな事を考えていた。


一方、発見した男性は


――なんだよ。紛らわしい人形、乗せてるんじゃねぇよ。でも俺は、ガラス割ってねぇし、店員でもないから逃げ切れる。遠巻きの野次馬に紛れよう。


などと考えていた。そして間もなくサイレンを鳴らしてパトカーも到着した。


――ヤバい、逮捕されるのか?


2人共同時にそう思った。救急車を呼んだ女性店員を突き止めた救急隊員は、女性から事情を訊いていた。


人形を『のぼる』と言っていた紳士は、人形を高々と頭の上へ持ち上げて、


「ほら、人形ですよ〜」


と大きな声で野次馬全体に向かって語りかけると、そそくさと人形を後部座席に押し込んで助手席の窓が割れたままのベンツを運転して駐車場から出て行った。


それを見ていたたけしと発見者の男性は、


――無罪? 帰っちゃった。 いいの?

とまた一緒に思ったとたん、警察官が普通の人に見えてきた。


☆ ☆ ☆ ☆


駐車場から逃げるように出て行ったベンツの中では、


「もう、博士ったら遅いんだから。大変なことになるところだったじゃないか」


「悪い悪い、店の中に特設の生ジュース屋さんが出来ててな、可愛い子が『生ジュースいかがですか〜?』なんて声をかけるからついつい飲んでしまって、しばらく話し込んでおったわい」


「ぼくは、博士が造ったアンドロイドだから車の中がいくら暑くなろうと平気だけど、子どもを車の中に置いて行くとこんな事になるんだから置いて行っちゃだめだよ。ただの人形のふりをするの大変だったんだからね。だから付いて行くと言ったのに。今度からはぼくも必ず連れてってね。アンドロイドだろうが人間だろうが子どもを車内に置き去りにするのは禁止だよ。特に博士は、付いていかないと若い子に何するか分かったもんじゃない」



終わり



※ ※ ※ ※ ※


子どもやお年寄りが車内に取り残される事故が無くなることを願っております。





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熱中症(残された子ども) 岩田へいきち @iwatahei

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