第2話 日葵ちゃん登場
いつも見慣れた街路樹は、いつも見慣れた長方形の積み重なったブロック塀と、いつも見慣れた犬のフンは持ち帰っての張り紙のついた電柱と、いつも見慣れた路面排水の役割の側溝で形成されている。
そこを超える。
大きな車道が目に入る。歩行者用信号機が点滅する。横断歩道を急いで渡った。人気のない細い道に入り、進むほどに店の数が減っていく。雑木林が見えてくる。空乃は迷うことなく雑木林に向かっていく。凜花がその後ろをついていく。雑木林には道があって、目を凝らせば凝らすほどに闇が深くなっている。均された土を、緑の落ち葉を、くの字に曲がった小枝を踏んづけていく。頭上には木漏れ日すらなく、どこかでカラスが鳴いて、不気味なほど大きく梢が揺れた。
凜花がたまらずといった風に立ち止まる。
「どこに連れて行く気⁉」
空乃としては通いなれた道だけど、凜花からしてみればおよそ人の通る道ではないのかもしれない。
空乃も立ち止まり、
「私の家だよ?」
「こんな死体を隠しやすそうなところに家があるの?」
「ひどいなあ。さすがにこんなに木がいっぱいのところじゃなくて、ここを抜けたところに家があるんだよ」
「ふーん、どうだかねえ!」
「そうだ、今のうちに幽霊のこと聞きたいな。いつから幽霊の声が聞こえるの? 今もなにか言ってるの? 幽霊の姿は見えたりするの?」
「いま聞くの?」
「だめなの?」
凜花が辺りを見回して、体がちょっとした物音にびくりと動いた。前髪のバッテンのヘアピンに触れ、ぎゅっと握りしめた。
「とりあえずここを抜けましょう。話はそれから」
「そう? 時雨沢さんがそう言うなら。あ、幽霊の話以外ならしてもいい?」
「つまらなさをたっぷりと享受したいのならお好きに。私は話下手だもの」
歩き再開。
「そのヘアピン可愛いね。学校でもずっとつけてるし、お気に入りのやつなの?」
「小さい頃からずっと使ってるし、外すに外せないだけ」
「小さい頃ってどれくらい?」
「小学生ぐらいから。もしかしたら幼稚園からかもしれないけど。どうも小さい頃の記憶って曖昧で、このヘアピンをいつ手に入れたのかも覚えてないの。というよりも
幼稚園とか小学校の低学年の記憶なんてまったく覚えてないわ」
「わかるかも。それまで忘れてたのに、昔のアルバムの写真とか見たり親の話を聞いたりしてああそんなこともあったなあってやっと思い出すの。きっかけがないと案外昔のことなんて忘れたままなんだなあって。あるあるだよね」
「そんなことないわ」
ばっさりだった。一拍を置いて、そっかあしか言えなかった。
空乃はめげずに話を振り続けた。先の調子で、ばっさりといかれることも少なくなかったが、それでもわかったことがいくつかある。
今どきの高校生に珍しく凜花は携帯端末を持っていない。アプリに興味もなく、友達がいないから連絡を取る必要もない。だから、そもそも持っている意味がないのだとか。
それに休日に着るような服も持っていない。別に見せる人もいないから、制服があればそれで十分らしい。
田舎に建っただけでも話題になるような大手喫茶店にも行ったことがなく、学校で必ず入らないといけないはずの部活にも所属しておらず、趣味なんて高尚なものは持っていないとまで言い切った。
どうやって日々を過ごしているんだろう。
単純な疑問を抱えた時には、すでに雑木林を抜けていた。
自宅が見える。
立地が独特なせいで自宅周辺に家はない。玄関の門は立派な鉄づくりで、一般家庭のものよりもとても重厚なものに見える。そこから垣間見える庭は、何の変哲もない芝生と花壇ぐらいしか確認できない。そして家自体は屋根が赤レンガの洋風建築となっている。しかしそれほど大きくは感じない。ちょっと大きいなあと、あくまでも感想程度に思うぐらい、もしくは話の繋ぎには丁度いいぐらいの感じである。
玄関の門を開けて空乃は中に入るように凜花を促す。
凜花がごくりと喉を鳴らした。
決意を持った一歩を踏み出した。
「別にそんなにかしこまらなくても。あ、ちょっと待っててね。自転車を停めてくるから」
玄関の門を閉めてから、空乃は屋根のある自転車置き場に行った。両立スタンドを立て、スクールバッグをカゴから取り出して、くるりと玄関のほうに体を向ける。
玄関に戻ってくると、そこには凜花の姿がなかった。
「あれ、どこか行っちゃったのかな?」
もしかしたら帰ったのかもしれないと思って玄関の門を見た。閉まったままだ。留め具に、ちょっとした力の加え方のコツがあるので、玄関の門を空乃が戻ってくるまでに開ける、そして閉める、の二つの作業はさすがに難しいと思う。
庭には人影はない。
玄関のドアは、開いている。
時雨沢さんが一人で私の家に入った? さっきは門を超えることすら躊躇していたのに?
それは違うと思った。
だったら答えは一つだろう。
空乃は玄関のドアをくぐって、
「ねえなにしてるの?」
空乃は、おおよそ予想通りの光景を眺めた。
凜花が玄関に立っていて、その場で身動きできずに立ち尽くしている。その理由は、彼女の顔を物珍しそうにぺたぺたと触っている女性がいるからだ。女性は、顔がどっちを向いているのかわからないぐらいに髪が長く、どこにでも売っていそうなダボダボのジャージを着ている。一目でわかるほどの猫背をしていた。怪しいへへへへへという笑い声を出していた。
日葵ちゃんだった。
「あらおかえり。ねえ珍しいお客さんね。どこのどなたさんかしら。とっても変な感じ。なんだかこう、家の結界を入ってきた時に違うなあって感じたの。なんでそう思ったのかしら、見た感じは普通なのに。人間の皮を被ったなにか? だったらこの皮を剥ぐのも面白いかも。ねえねえ、あなたはいったいなんなのかしら? 教えて」
鼻の触れそうな距離の日葵を見ずに、凜花は空乃のほうを見た。
「こういう魂胆だったのね。高菜さんは私を目の前のマッドサイエンティストに売った、そういうわけね。ふふ、いいわ。生皮を剥ごうが四肢をもごうがやってみたらいいじゃない。精いっぱい悲鳴を上げてあなたたちを楽しませてあげる。覚悟しなさい!」
「なんで私を見ないの? どうして私がマッドサイエンティスト? どうして私が覚悟をするの? 生皮を剥ぐのも四肢をもがれるのも慣れっこってこと? ねえどういうこと、ねえねえ」
「もお、とりあえず離れて日葵ちゃん」
空乃は自分の手のひらを合わせ、それを二人の間に潜り込ませて広げるようにした。二人の間に、人が本来持つべき距離感が保たれた。
「そうやって興味のあるものにぐいぐい行くの止めたほうがいいよ。ごめんね驚かせちゃって。この……ああもう髪の毛で顔が見えなくなっちゃって。ほらちゃんと顔みせて」
空乃は日葵の顔にかかっている髪を耳にかけてあげた。空乃の評価として、日葵は三十代半ばにはとても見えないような顔をしている。それは顔だけじゃなくあらゆる言動的にも言えることだと思う。さっきみたいな、何ら大人の知性を感じさせない立ち居振る舞いを見れば一目瞭然だ。だから顔以上に年若く見える。二十代半ばぐらいに見えないこともない。しかし、本人的にはもっと若い自意識を保っていたいらしく、娘である空乃に、名前呼びとちゃん付けを強要している。空乃は、自分の母親をそんなわけで日葵ちゃんと呼んでいる。というよりもちっちゃい頃からそう呼んでいるからもう今更呼び方なんて変えられない。
「これでよし。時雨沢さん、こっちは私のお母さんの日葵ちゃん。マッドサイエンティストじゃなくて一応は魔法使い。たぶんだけど時雨沢さんの力になってくれるはずだよ」
「これが……」
「空乃ちゃんの友達なのかな。じゃあ、日葵ちゃんって呼んでね」
じゃあってなんだと思う。
しかし、日葵の目には有無を言わせぬ威圧感がある。笑っているのに笑っていないような感じがする。
それに気圧されるように凜花は答えた。
「は、はい」
「それでさっきも言ったんだけど日葵ちゃんには時雨沢さんの力になってほしいの。あのね、幽霊の声が時雨沢さんには聞こえるんだって。こういう不思議なことは日葵ちゃんの分野かなあって思ったんだけど、どう?」
空乃の上目づかいを受け止めて、日葵は、幽霊と小声でつぶやいて何度か反芻する。それからなんだか微妙そうな顔をして、
「とりあえずリビングで話を聞こうかなあ」
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