第6話 ペンギンだらけの運動会第二種目
空乃は砂浜で拾ったボールを触っている。
それはてかてか光ったピンク色で、指で押したらけっこう深くに指が沈んで、両手で挟んでみると小さな穴から空気の抜ける音がする。投げてみれば決して少なくない空気の抵抗を受けてあまり飛ばないし、砂の地面では当たり前のようにまったく弾むことはない。ビーチバレーでもしようかと思っていたけどこれでは少し難しい。ボールとしての用途にはあまり使えそうにない。
ペンギンたちが次の種目の発表を待っている。じれったそうにこっちを見つめてくる。
大縄跳びみたいに、交互に点数を稼ぐようなのじゃなくて同時に体を動かして勝敗を競うようなものを考えたい。
手元には、三角コーンの手のひらサイズみたいなやつもある。
数は四つ。
ベコベコのピンクボールと、四つの小さな三角コーン、これらを組み合わせてどうにかできないものか、
ちょっと考え、
思いつく。
ビーチフラッグである。スタートラインに数人が立って、笛の合図で砂に立っている小さな旗を取りあうためにいっせいに走り出す、砂浜ではもう定番と言ってもいいあれである。しかし参加者はペンギンで、しかもたくさんで、とすれば従来のものとは別のものでなければならない。
だったらたくさんのペンギンの参加できるようにリレー形式にしよう、小さな三角コーンを使ってスタート地点と折り返し地点を定めよう、フラッグはないけどフラッグよりも目立つピンクのボールをゴールに置こう。一つを思いつけば次々と種目の形が思いつく。
決まった。
空乃は重ねた四つの三角コーンといくらか空気の抜けてるピンクのボールを、近くの三羽のペンギンに持たせる。
彼らに対して、三角コーンを置く場所を指示する。ペンギンたちは、せかせかと空乃の指示通りに動く。
三角コーンはまるで長方形を描くように置かれた。
短辺の部分がたぶんだけど四メートルで、長辺の部分がおそらくだけど二十メートルである。長さがあいまいなのはもちろんメジャーがないからだ。べつに長さは大事じゃなくて、大事なのはちゃんとした長方形になっているかだ。そうじゃないと平等じゃない。長方形にはちゃんとした意味がある。短辺の両端が、それぞれの陣営のスタート位置であり、長辺の距離が、ペンギンたちが実際に走る距離である。
ちっちゃな三角コーンの置く位置はこれでいい。
次は、フラッグとしての役目を持つピンクボールの位置をどうしよう。
考え、空乃は額の汗を拭いながらピンクボールの置く場所を指示する。指示した場所は三角コーンで形成された長方形の少し離れたところ。ペンギンは指示通りにピンクのボールを置いた。あれが、今回の競技のゴール地点になる。
「準備はできたし、じゃあ簡単なルール説明をしようかな。みんな集まって」
言うまでもなく、ペンギンたちはすでに集まっている。
空乃はちっちゃな三角コーンを指差し、
「まずはこの間隔の狭い二つのコーン、ここがそれぞれのスタート地点ね。ずんちゃん陣営とつんちゃん陣営でとりあえず一つのコーンの場所に集まってみて」
言われた通りに、ペンギンたちは一つのコーンを取り囲むように動く。
「その場所からまっすぐ先にあるコーンを目指して走るの。飛んだら駄目だよ。ちゃんと自分の足を使ってたどり着くこと。それに違反したら負けになるからね。癖で飛んだりしないようにしっかりと気をつけること」
念を押して言う。
ペンギンたちは空乃の言葉にうんうんと頷いている。ルールを把握しようと、かなり真剣に聞き入っているのだと思う。そんなにかしこまられるとこっちも緊張してしまうしなにか自分の言葉に大変な間違いがないだろうかと不安にもなってくる。
説明をわかりやすくしようと注意を払って、
「目指していたコーンにたどり着いたらなんだけど、そこに待機していた次のペンギンさんに交代するの。交代したペンギンさんは、さっき走っていたペンギンさんのスタートのコーンを目指して走るの。そして目指したコーンにたどり着いたら、またそこに待機しているペンギンさんと交代。そしたらまたさっき走っていたペンギンさんの待機していたコーンを目指す。要は行ったり来たりだね。それを、六羽にしようかな。さっきの行ったり来たりを繰り返して、六羽目のペンギンさんの番になったら、最初のスタート地点に戻るんじゃなくてここから見えるコーンよりもさらに先にある、あのピンクのボールを目指して走ってね。そうやって相手のチームよりも先にピンクのボールに触ったほうがこの種目の勝者だよ。どう、わかった?」
わかったような、わからないような微妙な反応だった。
こういう時は、実際にやってみたほうがわかりやすいだろう。
「見ててね」
空乃はそう言ってから、二十メートルぐらい先のコーンに向かって走っていく。今日はよく走る日だなと思いながら、スニーカーに入り込む砂をあとで取り出さなきゃと思いながら二十メートルをなんとか走りきる。
大群のペンギンが空乃の後ろをいっせいに追いかけてきている。
「ここで別のペンギンさんと交代してまたさっきのコーンのところに戻るの」
走ってきた道を今度は逆走。
大群のペンギンたちがまたもいっせいに追いかけてくる。突然走り出した空乃に対して振り回されるような駆け足は見ているだけでも面白く、自然な笑いが後ろを振り向いたままこぼれてきて、——視界がぐらついて両足がもつれるようにしてこけてしまった。頭を押さえながらゆっくりとした動作で立ち上がる。すぐに足がふらついて崩れるように尻もちをつく。視界はノイズのようなものが走っていて、力強く目をつむりながらそれが消えるのを待った。
消えた。
周囲から、空乃を心配する視線が集まってくる。
もう一度立ち上がる。
今度はふらつかない。
「ごめんね心配させちゃって。もう大丈夫だから」
ホントーホントーホントー?
「うん、ほんとほんと。それよりもルールはわかった?」
ワカッターワカッターワカッター
「それじゃあ大縄跳びの時みたいにチームの代表を決めてね。今度は六羽だよ。決まったら教えてね。それまではちょっと岩陰とかで休んでおくから。もう大丈夫だとは思うけど、一応ね」
ギョイーギョイーギョイー
空乃は移動した。
ペンギンたちの群れから少し離れたところにある岩場、空乃はそこの影にすっぽり収まるように身を屈めた。ちょっとはしゃぎすぎたのかもしれない。かっこわるいところをみせてしまった。Tシャツについた砂を払って、両足ともスニーカーを脱いで、靴下の中にも砂が侵入していることに気づいてすぐに靴下も脱ぐ。全体重をお尻で支えながら靴下を裏返して砂を排除する。当然のように素足にも砂がついていて、それを払ってから裏返した靴下を履いた。スニーカーを裏返したら面白いぐらいの量の砂が出てきて、手に持ったスニーカーを丹念に上下に振ってからそれを履く。足裏に砂の感触がなくなったのかを確かめるために一度立つ。スカートのお尻の砂を手で数回にわたって払いのける。
額から汗が伝う。
それを砂まみれの手で拭うと、指先から泥のような雫が滴り落ちる。
いったい自分はどれだけの汗をかいたのだろう。
この砂浜に来るまでにも全力でケーキ坂を走って登ったし、この砂浜に来るためにも必死にペンギンたちを追いかけた。それからはずっとギラギラの太陽光を浴びているし、砂浜からの尋常じゃない熱を受けている。空からの太陽光も地面からの砂浜の熱も、それから逃れていたのはあのペンギンたちのオアシスにいた時ぐらいのものだ。
水分補給はしたか?
日差し対策は万全か?
どっちもしてない。日射病に熱中症に脱水症状、これらが一度に襲い掛かってきてもおかしくはない。
キマッターキマッターキマッター
お呼びがかかる。
頑張ろう。あと少しだ。ここまできたのなら、最後まで見届ける義務のようなものがある気がする。
白黒ペンギンと白黒黄ペンギンたちはそれぞれの配置についていた。選手として選ばれたのは十二羽、その内の六羽が、始めのコーンの置かれたスタート位置にいる。もう六羽がその二十メートル先のコーンにいる。選手として選ばれていないペンギンはいかにも観客といった位置にいる。
意外だったのは、選手として選ばれたペンギンの中にリーダーのずんちゃんとつんちゃんの姿があったことだ。二十メートル先のコーンにいることから、もしかしたら互いに各陣営のアンカーを務める腹づもりなのかもしれない。つんちゃんはいいとして、ずんちゃんのあの体型は走るには不利ではないだろうか。しかし考えてみればずんちゃんの陣営はすでに崖っぷちだし、そうなれば一番の実力者であるずんちゃんが出ないわけにもいかないし、それに合わせてつんちゃん陣営も一番の実力者をぶつけなければならないというわけだ。
空乃は自分の考えに納得してから、はやく種目を始めようとスタートを言う位置につく。
ルールとしては走るだけなので今回は大縄跳びの時のような練習はなしだ。
「もう準備はできたんだよね。それじゃあさっそく始めようか」
選手のペンギンたちはこくりと頷く。
空乃には、自分でもせかすような態度をとっているのはわかっていた。それは自分の体に、限界がきていることに気づいていたということなのかもしれない。
「よーいどん、でスタートだからね」
空乃にしてみればそれは確認の一言だったのに、確認のよーいどんに二羽のペンギンがつんのめった。砂にすべったとかではなくて彼らは本番のよーいどんと勘違いしたのだ。
改めてペンギンたちは構えた。
空乃はそれを待った。
スタート地点で、二羽のペンギンは互いににらみ合いの牽制合戦を繰り広げている。
ばちばちである。
「よーいどん!」
勝負の火蓋を切って落とした。
空乃のよーいどんでまったく同時に走り出す二羽のペンギン、彼らの周囲に巻きあがる砂漠もびっくりの砂煙、晴れ空を飲み込まんばかりの観客たちのガンバレーの応援、始まったのはリレー形式のビーチボール争奪戦であり、白黒ペンギンからしてみれば負けたら終わりの聖戦であり、白黒黄ペンギンからしてみれば勝利を目前にしたここで勝利を落としたくない戦いである。
繰り広げられるのは肩をぶつけ合いながらのデッドヒートだ。ペンギンたちの頬は、ぐいぐい押しつけ合って溶け合うぐらいに密着している、と思ったら彼らはペンギン一羽ぶんぐらいの距離を開け、強烈なアメフト部みたいなショルダータックルを決めている、と思ったらまた距離を離してショルダータックル——それを繰り返しておよそ二十メートルの距離を走り切った。
選手同士のぶつかり合いはルール違反だろうか。
観客が競技を妨害しようとしゃしゃりでてくるならまだしも、選手がまだ順番待ちの状態であるにもかかわらずタックルするならまだしも、互いに覇を競い合う者があふれ出る闘志をむき出しにしたその結果としてぶつかり合うのなら別にいいんじゃないかと思う。
二十メートルを走り切ったペンギンたちは、まったくの同着だった。それに納得のいかない彼らは、二十メートルを超えてもさらに走り続けていく。
コーンで待機していた白黒ペンギンと白黒黄ペンギンが、なぜか通り過ぎていく仲間の背中を見送る。ここで、いち早く我を取り戻したのは白黒ペンギンの走者である。相手の走者がこちらを見ていない隙にスタートダッシュを決めた。相手にはすぐに走ったことがバレないような静かな立ち上がりである。
白黒黄ペンギンは、相手の走ったことに遅ればせながら気づく。しまったと思ったことが見た目にもわかる走り出しを見せる。最初の同着を無意味にすると言ってしまえば言い過ぎかもしれないが、それでも両者の間に決定的な差が生まれたことは事実である。
この勝負で負ければオアシスを取られてしまう白黒ペンギンのリード、勝負はしばらくその様相を崩さずに進む。
変化があったのは五羽目の走者だ。
そこに、なにか特別トラブルがあったというわけではない。あったとすればそれは単純な走力の差だ。
白黒ペンギンは普通に追いつかれそうになっている。追いつかれそうな彼はちょっとだけ振り向いて、驚いたようにキエッという鳴き声を上げて、前も見ないでがむしゃらに羽を振りながら必死に走っている。待っているのはチームリーダーであるずんちゃんで、追いつかれそうな仲間に向かってシヌキデガンバー、という鬼気迫る檄を飛ばしている。言われた白黒ペンギンはまさに火事場の馬鹿力とでもいうべき頑張りを見せる。
結果、白黒ペンギンのリードは保たれた。
しかしそれもわずかなリード——勝負の行方はチームリーダーでありこの種目のアンカーでもあるずんちゃんとつんちゃんの二羽に託された。
二羽が目指しているのはベコベコのピンクボールである。これに先に触れた方が陣営としての勝利を得る。
全力の勝負だ。
その見た目にそぐわない走りの速さを、ちょっぴり太り気味のずんちゃんが見せつけている。さすがアンカーに名乗り出るだけはある、ずんちゃんは、いままでのペンギンに比べても一番速いかもしれない。けれどつんちゃんだってそれに負けないぐらいの速さで走っている。いやむしろ、つんちゃんのほうがわずかに速いまである。短くなってしまった目元のひげをなびかせて、横幅の広いずんちゃんの背中に、つんちゃんは今にも追いついてしまいそうだ。追いついてそして追い越せば勝ち、しかし、それも、ずんちゃんがピンクボールに触れるまでに行わないと実現不可能である。
勝敗の行方は、どっちに転んでもおかしくない。
そんな様子を、空乃はピンクボールのちょっと離れた横のほうで見ていた。リレーの走者が三羽目ぐらいになった時に移動していたのだ。移動の際には、視界が何度もぐらつくように感じられた。
限界。
そう、限界だった。
空乃の視界が、真っ黒いモザイクに埋め尽くされる。
体の制御を失った。
支えるもののないゆったりとした浮遊感に襲われて、思考は昆虫ほどにしか湧き上がらずに今の状態が危険であることすらもわからない。
自分の体じゃないみたいだった。
体は動かせない。頭も動かせない。
ただ、おぼろげな感覚だけがあった。
夏の暑さと空の青、そして自分に迫ってくるペンギンの鳴き声。
たくさん聞いた。これは、ペンギンたちのリーダーたちの声。勝負はいったいどうなったのだろう。
そんな思考すらも、空乃の頭には浮かばない。
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