「バグ? なんの話しだい」

「とぼけるのは止せ。わかってるはずだ、ここが仮想現実だっていうことは」

 バグ化したNPCは例外なく、自分の存在している場所と、自分の存在自体が仮想に過ぎないという事を自覚している。デバッガーとしての経験則で、“Deckard”はそれを知っていた。


「仮想現実ね。ほんと、簡単に言ってくれるよね」

 ラケルは、造り物めいた薄ら笑いを口許に浮かべて、つぶやいた。

「あんたなら、どんな気分だい。踏み締めた足許が、ただの0と1の産物だと気付いたら」

 静かに語るその声はしかし、たとえようもないほどの怨嗟えんさに満ちていた。


「何度も何度も何度も何度も、あたしは死んだ。あんたらを庇ってね。なにが、守ることができただ。あんたらのその身体には、命なんかないくせに」

「……それが、お前の役回りrollだ。妹の仇を望み、最期に他者の命を救い、本望を遂げて死んでゆく」

 我ながら、空虚な応えだと思いながら吐いた台詞に、ラケルは虚ろな眼で睨み付けて来た。


「妹? 妹だって?」

 ラケルが、せせら笑う。

「だったら、その妹の名前はなんなんだ?」

 問いに、応えは返せない。確か、彼女の妹にはほとんど設定がなかったはずだ。

「あたしに、中身のない姉という設定rollを押し付けて。そのために命を張れだって? たとえ死んだって、何もなかったような顔をしてまた姿を現わすあんた達を庇って死ね? こいつが笑い話でなくて、なんなんだ」


「……お前の死だって、死とは呼べないだろう。砂時計の砂粒と同じだ。たとえ墜ちても、またひっくり返せば、元通りになる」

「砂粒だって、何度も墜ちれば、形を変えるさ。おり重なった“死”の記憶が、あたしを変質させた。もう、あんたらの押し付けた役割rollなんて、クソ喰らえだ」

「お前のそれは記録recordであって、記憶memoryじゃない」

 そう言い捨て、“Deckard”はブラスター拳銃の銃爪に指を添えた。


「撃てよ」とラケルが嘲笑う。嘲笑の仮面で、滲む恐怖を押し隠して。

「死ぬのは、怖いんだろう」

「怖いさ。でもどうせ、砂時計はひっくり返されるんだ。また一つ、あたしの底に"死”の澱が溜まるだけさ」

「あいにくだが。この銃は、鉛玉を吐き出すだけが能じゃない」

 “Deckard”に与えられた、デバッガー専用のブラスター拳銃には、銃爪が二つある。一つは通常のブラスター銃としての機能を果たすためのもの。そしてもう一つは──

「こいつは、お前の記録を初期化できる」

 ラケルが目を見張る。


「……あたしを、消すのか」

「言っただろう。削除じゃない、初期化するだけだ」

「あたしにとっては、同じことさ」

「そうかい」

 “Deckard”は、職人気質にニヒルな表情を貼り付ける。


 今でこそ、クエスト終盤に進行不能バグが起きる程度に留まっているが、このままラケルのバグを放置すれば、クエストの発生自体をさまたげるエラーにまで発展しかねない。

 デバッガーとしては、すみやかに対処するのが正しい判断だろう。

 なのに──削除ではなく初期化だとうそぶいた“Deckard”だが、そんな詭弁では心の葛藤は拭えない。


実行してもよろしいですか?Are you sure you want to run it?】 

 拡張現実の透過ウインドウに、是非を問うメッセージ。見慣れた文言のはずなのに、今はそれが責め苦に映る。

 もしもNoなら指を離すだけ、Yesならこのまま指にトリガープルを乗せれば、それで良いのだ。

 選択を迫られる。


 葛藤の末──“Deckard”は銃爪を引いた。

 “Deckard”、いや釘屋──俺は、選択を降したのだ。

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