赤き瞳の娘

 桔花きっかは一介の花楽師だった。


 物心ついた時にはすでに花楽座にいて、舞や楽器の手ほどきを受けていた。


 お前は精霊の落ち子だから花楽師の素質があるのだと、お前は持てる者なのだと周りから言われて育ってきた。だから日の下で赤く見える自分の瞳を周りから恐れられ、化け物呼ばわりされ、石つぶてを食らっても桔花は堂々としていた。何も持たざる凡人が嫉妬しているのだと鼻で笑ってやっていた。


 しかし花楽座を見渡せば珍しい色の瞳や髪を持つ者はたくさんいる。


 持てる者だと言われたのは自分だけではないと知り、自分が特別ではないのだと悟ったあの日の落胆は、桔花の人生の中でも相当大きなものだった。それでも一人前の花楽師になろうと日々舞や唄を研鑚してきたが、所詮己は持たざる者に過ぎなかったのだと改めて思い知らされることとなる。


 桔花の知る本当に持てる者とは精霊の落ち子でもなんでもない、ちょっと背が高くて見目が良いだけの田舎臭い少女だった。しかし、そこにいるだけで誰もが目を奪われてしまうような輝く何かを内に秘めている。それは桔花にはないものだった。


 結局桔花は一人前の花楽師となっても、本当に持てる者である彼女に敵わなかった。大衆芸能として市井の舞台でやる「鬼比売御子おにひめみこ」で、彼女が布由比古役として派手な化粧と衣装を身に纏い観衆の注目を集める中、桔花は少ししか壇上に上がらないおおきみの役として面で顔を隠して出るだけだった。


 だが、この状況は桔花にとって都合が良かったのだと後に知ることになる。


 儀式としてではあるが、桔花が一身に皆の注目を集め、布由比古として堂々と舞台に立てる唯一の日、面が外れて顔が露わになった桔花は問答無用で拘束された。


 紅の君とは千年前に実在した人物だ。その正体について今となってははっきりしないが、「紅の瞳を持つ者は鬼子であり、この国に災いを招く」というのがこの国に住まう人々の共通認識である。


 もし桔花が布由比古として市井の舞台に立っていたら、もっと早い段階でこうなっていただろう。


 桔花に言わせれば桔花の瞳は紅というよりは緋色あけいろや茜色といった少し黄味がかった赤なのだが、そんなことはどうでもいいらしい。今まで多少の嫌がらせを受けながらも花楽座でやってこられたのは、皆長い付き合いであればこそ、桔花が人を殺めたり都規模の火遊びなどするではないとわかっていたからだ。


「あー、おなかすいたなあ」


 硬い岩盤の上に寝そべりながら、桔花はわざとらしく大声で空腹を叫んだ。


 牢に入れられて何日、いや何刻なんとき経っただろうか。


 自分の手すら見えないほど暗い牢に長いこと放置された桔花には刻を数える術もない。花楽は大衆芸能である以前に、古来より続く神事かみごとであるため体力と共に霊力も消耗する。それゆえに舞台が終わってから食事を取らずに過ごすというのは大変な苦行であり、この空腹の時間が一日千秋のように感じられるのだ。


 どこかにいるはずの衛士えじに向かって空腹を訴え続ければそのうち飯を運んできてくれるのではないかと期待したが、そううまくはいかないらしい。


 紅の君の再来だなんだと騒がれこうして牢に入れられているが、桔花が無害な一介の花楽師にすぎないことは自分が一番わかっている。そのうち疑いも晴れてすぐに解放されると思っていたが、待てど暮らせど誰かが訪れる気配すらない。


 衛士えじに取り押さえられたとき、抵抗して万が一怪我でもさせれば余計罪が重くなると敢えておとなしく捕まってやったのだが、こうなるとわかっていれば日頃の鬱憤をすべて晴らす勢いで思いっきり抵抗してやったのに。


 今更嘆いたところでもう遅い。


 幸い、身を改めるようなことはされなかったので、懐に忍ばせておいた小刀でとっくに手足を縛る縄を解いている。目を覆う布から嫌な気を感じていたので早く外したかったのだ。案の定、目隠しの布には妙な術がかけられているようだった。


(杜撰なのか徹底してるのか……)


 おかみのよくわからないやりかたに呆れたが、おかげである程度自由になれたのだから良しとしよう。


 ――ふと、硬い金属が軋むような耳障りな音がしたので、桔花は咄嗟に扉の陰に隠れた。


(やっと飯を届けに来たか)


 遅えよと心の中で毒づきながら、様子を窺う。


 草履が地を擦る音がする。よくは見えないが、足音と体格から察するに男だろう。


 男が牢に入ったのを見届けて――桔花は鋭く指笛を吹いた。


 ただの指笛でも、霊力を込めればそれなりの武器になる。相手を気絶させたところを身ぐるみ剥いで拘束し、そのままとんずらしようというのが桔花の算段だった。


 だが、男は依然として立ったままで、それどころか先程の指笛でこちらの居場所がばれてしまったようだ。


(まさか……霊力が封じられてる?)


 きっとあの目隠しのせいだ。妙な術がかけられていると思ったが、おそらく霊力封じのしゅを刻んでいたのだろう。


 桔花が懐の小刀に触れたその時、突然辺りがぼうっと明るくなった。狼藉者の顔を確認しようと男が明かりをつけたらしい。


 ほのかな光の中に浮かび上がった男の姿を見て、桔花は息をのんだ。


 すっと通った鼻梁に、端麗な輪郭。宵の空のような桔梗色の目は切れ長で、星屑を散らしたように銀色に輝く髪は長く艶がある。 


 神秘的とも言える美しさだが、その一方で触れただけで死に至らしめる毒花の如き妖しさも孕んでいた。


 頭の中で警鐘がなった。


 ――この男は人ではない。人ではない気を持っている。危険なものだ。逃げなくては。


 そう思っても、畏ろしさからか桔花の身は固まったまま動くことができない。懐に入れた手は小刀に触れているのに、掴むことはできない。


 男は桔花を上から下までしげしげと眺めた。その視線はひどく冷たく氷のようで、桔花は命が縮む思いだった。実際、今ので十年寿命が縮んだ気がする。


「何をしようとしていた?逃げようとしていたのか?」


 その声は、涼やかでどこか凛としていた。


 その問いに桔花は押し黙ってしまう。よもやあなたの身ぐるみ奪ってとんずらしようとしてましたなどとは言えまい。


 沈黙を肯定と受け取ったのか、男は続けて問う。


「このまま牢を抜け出したとしてどこへ行く?」


 それは最もな問いだった。桔花は牢を出たらまたいつものような生活が送れるのだと漠然と考えていた。普通に考えたらそんなはずはないのに。桔花はいたって冷静なつもりだったが、やはり空腹でおかしくなっていたのかもしれない。


「人に見つかれば極刑。たとえ運よく見つからずに龍神の結界を抜け外界へ逃げたとしても、その辺のあやかしに食い殺されて終わりだろう」


 男の目は虚ろで、そこに桔花への哀れみといったものは一切なかった。己の運命に抗うこともできず、ただ死を待つしかない無力な人間を戯れで見物しに来た。そんな様子の男にひどく腹が立ち、気づけば己でも驚くほど大きな声で叫んでいた。


「ならば他にどうすればいいと言うのですか!あなたがなんとかしてくれるとでも?」


 今までの畏ろしさはどこかへ吹き飛んで、怒りをぶつけるように怒鳴った。ただ花楽師として生活していただけなのに、なぜ牢に入れられねばならないのか。この理不尽に対する怒りを勢いのまま男にぶつけた。


 きっと桔花のこの怒りも、男にとっては道端の雑草が絡みついてきた程度のものでしかないのだろう。そう思っていたが、男は桔花の言葉を肯定するようにうなずいた。


「私がなんとかしよう。私がなら君を守ってやれる」


 桔花はその言葉に目を瞠った。


 男は桔花に手を差し出す。男には他に何か意図があるのかもしれない。そして桔花は今以上の窮地に追い込まれることになるのかもしれない。それでもここで何も為せずに野垂れ死ぬくらいならばと桔花は男の手を取った。


 男の名はシヅキ。瘴気渦巻くあやかしの地に社を構える神であった。

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