働き者の女神は人間界に舞い降りる 〜甘やかし癖のある公爵の婚約者になりましたが、初心を忘れず仕事します〜

京花

第0話 女神は降臨する

 ぼう然とした。目の前の悲劇にも、何もできない自分にも。そんな自分に苛立って、私は異世界へと身を投げた。







 ***




 ザブン! という音が耳に飛び込み、冷たい水がフロラレーテの全身を濡らす。

 寒い。生まれて初めてそう感じて、自分が人間界へ降り立ったことを確信した。


「ここは……」


 湿ってまとわりつく豊かな金の髪を掻き上げて、長い睫毛に彩られたエメラルド色の瞳をゆっくりと瞬かせる。

 先ほどまで居た天上界──神の住まう世界では感じ得ない、濃い草いきれの香り。


 世界間を移動する場合、転移先はランダムに選ばれるものだが、どうやら神と相性の良い場所、聖水の満ちた泉に落とされたようだ。


 手のひらをゆっくりと開け閉めすれば、ほんの少し濡れただけなのに指先がすっかり凍えてしまっているのが分かる。つい数瞬前まで神力の塊だった自分の身体が、人間の身体に変化した証拠だ。フロラレーテは感嘆した。


「……成功したんだわ!」


 これからしなければならない事がたくさんある。何から、どうやって手をつけようか。どんな風に行動して、この世界をどれだけ素敵な場所にできるだろうか。

 高揚感に背中を押されるようにして、フロラレーテは泉のふちに一歩踏み出す。


 その時突然、首筋にヒヤリとしたものを感じた。何か鋭いものを押し当てられているのだ。人の気配など微塵もなかったというのに。


 チリ、と焼けるような痛みを覚えて、フロラレーテはひとまず完全に動きを止めることにした。

 そして用心深く視線だけを上げる。月光を反射して青白く浮かび上がる刃を突き付け、警戒もあらわにこちらを睨む人間の男に向かって。

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