第31話 謁見
「……なんてかっこいいこと言ったのに、何にも起きませんね」
王宮内の吉野の部屋に橘が来ていた。カーニスの魔道具店を去ってからすでに3日経とうとしていた。
「もう言わないで。恥ずかしく恥ずかしくて。次の日にも普通にクリスさんには会うし、なぜか鼻で笑われたりもしたし、もしかして私たち、とても壮大な勘違いをしているんじゃないの?」
「こういうのって、だいたい最初に仲良くなった人たちが実は……みたいな展開だと思ってたんですけど、サスペンス展開を求めすぎなんですかね」
それでも城内での視線や気配のようなものは依然としてあるように感じている。
コンコンッとノック音がして、二人はビクッとした。
「あれ? どうしたの? 驚いた顔して」
グレンだった。グレンもキョトンとした表情になっている。
「いや、別に。グレンくんこそ調子は大丈夫なの?」
「俺? うん、今日はいいかな」
グレンが席につくと、途端に何を話せばいいのかわからなくなった。聞きたいことはあるけど、なんだか場違いかもしれないと思い、二人は上手く話せずにいた。グレンも二人の様子がおかしいことに気づいていたが、「カナタ、一曲弾いてよ」と言った。
珍しいと思いながらも橘は魔法袋からバイオリンケースを取り出して、いくつかの音を調節して、弾き始めた。朝の始まりにふさわしい一曲である。
弾き終えるとグレンと吉野は拍手をした。
「カナタの曲、いいよね。俺、音楽方面って興味がなかったけど、意外と面白いと思えてきた。世界って広いんだな」
「僕らの世界の曲が受け入れられて嬉しいよ」
橘も満更ではない様子である。微笑みをたたえた瞳でグレンを見つめているように見える。
「そんなカナタに朗報です」
そう言うと、一枚の紙をグレンは取りだした。世界地図の一部である。
「地図は見たことあると思うけど、えっとね、ここが俺らのいる国で、この港からこう海を渡っていくとミフォーネって国になるのね。ここが港で、こっからさらに西に行って、さらに……」
地図の上からペンで書き足していき、ようやく最終目的地までの目印が書かれた。
「ここで、カナタ待望の楽器が作られてるんだ」
「あ、魔楽器?」
「魔楽器?」
「ああ、個人的に魔素の込められた楽器のことを魔楽器って呼んでただけ」
魔楽器に魔曲、そういえばそれが魔法になるのかというのは検証ができずにいた。その話も途中から聞くことがなくなり、すっかり立ち消えになっていたと思っていたが、グレンは秘密裏に橘の楽器を作らせていたのだった。
「うん、まあ魔楽器でもなんでもいいけど、先日連絡が来てね、完成間際らしいよ」
「おおっ」
橘は喜びのあまり、グレンを強く抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと落ち着け」
いつものグレンらしくない反応である。
(喜び給え、とか、どうだ、みたいなドヤ顔をすると思ったけど)
若干グレンの頬が薄く染まっているように見えた。橘の方も興奮で紅潮している。
「ああ、ごめん。ついはしゃいじゃった」
「それで、完成間際なんだが、そこの職人がさ、奏者のことがわからないからこれ以上は無理って連絡があってな。楽器のことはわからなかったから想定外でね」
それはつまり、その職人がこの国にやってくるか、その職人のもとに行くか、ということである。設備のことを考えれば、こちらが行くしかないだろう。
「そう、なの」
吉野は頼りない返事をした。その場所に行くのが筋だが、今の状況でどこまで叶うのかがわからなかった。
「だから、今しばらく保留ってことで。ほら、地図は渡しとくよ」
橘は大切に地図を受け取った。まだ顔が緩んだままである。
「わざわざありがとう、グレン。あ、もう帰るの?」
「ああ、ちょっと野暮用で。それじゃ」
グレンはさっと帰っていった。
「橘くん、良かったね。楽器の完成が近づいてきて」
「はい。ただ、それがまた問題ですよね」
折りたたんだ地図を広げてみる。道は遠そうである。
その日の夕方、珍しくマルクスが夕食の誘いにやってきた。
「なんだかお久しぶりって感じですね。マルクスさん」
「はは、立場のある者の役目があるもので。それで本題なんですが……」
国王との食事である。
ここ数日見なかっただけでもマルクスがずいぶんとやつれたように見えたが、二人は快諾した。すでに二人はいくつかの荷物を残して、私物を魔法袋に入れている。
(ついに、やってきたのね)
国王との晩餐どころか、面会すらも初めてのことである。もちろん、何も起きないはずはないと思う程度には橘の影響を受けていた。
「正装とか大丈夫でしょうか。それに作法は私たちわかりませんし」
「王は気にしないと思います」
マルクスの後ろをとぼとぼとついていく二人だった。
(王って、マルクスさんのお父さんなのよね)
年齢は60前後くらいになるんだろうか、定年間際のサラリーマンを想像したが、予想とは大きく異なっていた。
(この人がドナル・アリュメルト。この国の王……)
マルクスが年を取ったらこんな感じになるんだろうか、そのような容姿をしていた。父子と言われても疑問も抱かないだろう。マルクスよりは険しい顔つきをしていたが、二人の姿を認めるとニコッと邪気のない笑顔になった。
(若く見えるな。この世界には効果のあるアンチエイジングの技術があるのかしら)
王との食事といっても、小さな部屋で食事をするわけではない。特別な広さのある部屋で、おそらくは式典用に使われるのだろう、披露宴での会食のようであった。互いに10mは離れているだろうが、何もない席に座ると、さっそく食事が運ばれてきた。
どのような形式かはわからないが、食べ終えたら次の食事が運ばれるようだった。王は中央前方に、後方には吉野と橘が向かう合うようになっていた。王との会話は、横を向かなければならない。
(なんだか窮屈な感じね。話すのにこちらがわざわざ身体の向きを変えないといけないなんて)
橘が目で吉野に合図をして、吉野も小さく頷いた。橘のつけていた腕輪の色が変化した。
「それでこの国で過ごしてみていかがかな」
周りには何人かの人たちがいたが他に話す人がいないので、王の声は部屋中に広がっている。
「はい。おかげさまで充実した日々を過ごすことができています。遅くなりましたが、まことにありがとうございます」
そうかそうかと喜んでいる表情なのだろうが、あえて王の方向を向かなかった。最初に出されたのはスープだが、吉野も橘も掬っただけで口に運ぼうとはしない。
「我々としても感謝している。この国に恵みをもたらされたのだ。この国はさらに発展をしていくことが確約したようなものだからな」
「そうですか。そうおっしゃっていただき、ありがとうございます」
料理に手が伸びない二人とは反対に、王は一人むしゃむしゃと食べているらしかった。
(クチャラーかしら。あんまり聞きたくないな)
もしかしてわざとこちらが不愉快になることを演出しているのではないかとも思えてきた。それからもいくつかの質問をして、主に吉野が答えていった。
「ところで、スープはお嫌いだったかな。手が動いておらぬようだが」
正直、こういうベタなやり方で来られるとは思っていなかったが、適当に答えた。
「実は私たちは夕刻に城下町で食事をいただいたので、今はあまり食欲がないのでございます。せっかくのご招待にもかかわらず、意に添えないことをお許しください」
食事については事実であったし、実際食欲も湧いていない。嘘を言っているつもりはなかった。
「ところで、他国へ行きたいと言ったそうだが……」
核心に迫る言葉だった。しびれを切らしたのか、王は短期決戦で終えたいのかもしれない。
「はい、この国には魅力的なものが多くございますが、私たちもいつまでも厄介になるのは心苦しく感じています。それに、他の場所に行き、見聞を広げたいという願いもございます」
「見聞とな!」
侮蔑的な笑い声に聞こえるのは、すでに悪印象になっているからだろうか。過剰な演技だろうか。どうにも不快な声にしか聞こえなくなってきた。
(ああ、私ちょっとこの王様無理かも)
橘の後方に控えているマルクスの顔が見える。顔色が悪そうに見える。
「はい。少なくとも私たちの世界ではそのような見聞を重ねていくことが大切なことだと教わっています。できましたら、お許しいただきたいのですが……」
「ならぬ!」
それは怒号に近かっただろう。王はすでに運び込まれた食事を平らげているようだった。王の後ろには何人かの人間が控えているのが見える。護衛にしては身体も小さいように見える。この国の重鎮だろうか。以前見た貴族の顔のように見える。嫌な笑いが見える。
「なぜですか?」
淡々と吉野は王に詰問する。できる限りの不快感を声色の中に押し込めるつもりで問うた。
「マルクス」
「はっ!」
控えていたマルクスが王の近くに寄っていった。
「これはすべてお前の責任だ」
「はい」
そう言うと、ひれ伏したマルクスに目の前の皿を投げた。ガシャーンと皿の割れる音がする。
(そういう展開がお好みなわけね)
これ以上マルクスが被害に遭わないように、吉野はわざと大きな音を立てて立ち上がった。
「それでは私たちはこれで失礼します。マルクスさん、今日までありがとうございました」
続けて橘も立ち上がって吉野のあとについていく。
「逃げるか」
「違います。逃げるのではなく旅立つのです。あなたの命令ではなく、私たちの意思でこの国を去ります」
振り返らずに、吉野は答えた。二人は部屋の外へと堂々と歩いて行き、姿が見えなくなった。
「ふん、何もこの国から出ずとも一生この地で暮らせばよいものを」
「我らを一顧だにせぬとは、まこと転移者とは不遜なものよ」
王の後ろに控えていたでっぷりと太った男たちが言った。それに同調するかのように、転移者である吉野と橘への非難が始まる。彼らは以前、吉野たちに接触したこの国の貴族であった。
「そなたたちの言葉通り、会合を設けたが、このままだと国外へあの者たちは行ってしまうぞ」
王は静かに振り向かずに言った。
「王よ、ここはなんとしてでも逃してはなりません。こんなこともあろうかと我らの指示にて外には兵を集めております」
不快な声を聞くかのようにグレンは顔を歪ませる。朝に聞いた橘の楽器の音色とは雲泥の差である。
王の言葉は絶対といえるものではなかった。ただ「よい」とだけ答えた。
貴族たちはそそくさと去って行くと、兵に指示を出していた。王宮内が騒がしくなっていく。
すでに王とマルクス、そしてグレンしかこの場にはいなかった。
「じゃあ、俺も行くね」
「グレン……」
マルクスは哀しげな瞳で弟を見送った。
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