第21話 違和感
魔法袋には、吉野と橘は転移の際に持ってきていた私物を入れていた。
カーニスの言う通り、中を覗くと空間が広がっており、湿度や温度等も適切に管理されているようだった。
「いいお店を紹介してくれてありがとうね」
「へえ、ばあちゃん、結構いいものくれたんだね。その袋を持ってる人って限られてるからね」
先日の魔道具屋での出来事をグレンと話していた。
「そうなの?」
「たぶん、数えるほどじゃないかな。見た目はただの袋なのに人の手が入りすぎて、それこそ職人だってこの王都では見つからないと思うよ。だって、あの馬車のものよりも難しいもん」
「どういうこと?」
「建物型の空間魔法を内蔵した魔道具って、扉の形になってるのね。で、扉って四方が固定されてるじゃない? それは出入り口が固定しちゃうってことなわけ。でも、袋って入り口は伸縮自在でしょ。だから、大きなものでも出し入れが可能なんだよ。それだけバランスが難しいのを調整してるのがその魔法袋なの。もちろん、部屋型の空間魔法の魔道具も良い値段はするけど、技術だけを比べたらその魔法袋の方がはるかに上だよ」
そんな貴重なものを、なんだか心苦しい気持ちになったが、せっかくもらった好意は何か別の形にして返していきたいと吉野は考えていた。
「でも、魔素だって貴重だからね。それに見合ったものをくれたと思えばいいんじゃない? ゴホッゴホッ! あ、ごめんね」
「グレンくん、体調大丈夫? 前に比べてよく咳き込むようになったけど」
最初は気にならなかったが、グレンは時折咳き込むことがあった。「季節的なものだから」と言っていたが、最近は数が目立って多くなってきた。
「じゃあ、俺は今日のところはこのへんで」
詳しく聞こうとすると、いつの間にかグレンは二人の前から逃げるように去って行く。
「グレンは何か隠しているように僕は感じるんですけど」
どこかムスッとしている橘の顔である。橘はちょっとした他人の行動の違いに気づける生徒だった。それは日々人を観察しているという彼の習慣とも関係があるのだろう。
「隠し事ねえ。わりと馬鹿正直に答えることが多かったけど、それも彼の一面に過ぎないんだろうね。もともと病弱なのかな」
吉野は生徒を観察していた日々を思い出す。
この世界に来てから、人間を観察する習慣を忘れていたことに気づいたのだった。みな気の良い人ばかりで、お世話になりっぱなしであることも一因である。違う世界に来たのだから橘のようにもう少し疑り深くなる必要があるのかもしれない。
しかし、一人を疑えば他の人も疑いたくなるのが人間の性分であり、二人もまた例外ではなかった。この国の王家のこと、それに関係するマルクスやグレン、ケルナーのことに話は移っていく。
「ぶっちゃけ、僕らに価値がないってのは嘘だと思いますよ」
「橘くんもそう思うか。私もこの国で過ごすにつれて転移者の扱いがちょっと違うのかなと思ったな」
たとえば、魔素量ひとつとっても魔術士が束になっても適わないのだから、本当に価値が低いといえるのか怪しいと思う。
「もしそうだとすると、僕たちが学んだこの世界の常識だって、どこまで本物なのか怪しいですよね」
自分たちのことを資源、というのはグレンの冗談に過ぎなかったが、それは一つの真実でもある。
「何だか自分がこの世界の養分みたいな感じがして、嫌だな」
「でも、実際養分でしょ。だけど、やっぱりこのままだと悶々としちゃいますよね」
何か不満があるわけでもない。こちらの要望には極力応じてくれるし、予想外の対応をしてくれることの方が多かった。だからこそ、その対応に感謝をしつつ、その対応への見返りとは何なんだろうかと考えざるをえない。本当に何もせず、好きなことをさせてもらえるほど甘いものではないだろうし、何よりもそのようにしか扱われないことも不本意である。
「橘くんの音楽の知識はかなり広まってきたよね。この間、街中でもどこかで聞いたフレーズが耳に入ってきてびっくりしちゃった。確かCMに流れてたやつだよね」
「ああ、ちょっと前に流行った曲を適当にピアノで弾いたら、それを聴いた誰かが広めたみたいです」
日本の歌謡曲が異世界の街で聞こえてくることの不思議さを思った吉野だったが、この一件ひとつとっても自分たちには影響力があるのだという確信を得るに至ったのも事実だった。
「実はね、これはずっと前から感じていたけど、転移者の情報があまりないんだよね。何人かの転移者については聞いたけど、なんだろう、たとえば天寿を全うした転移者の話とか聞きたいのに、そのあたりは濁されているのか、本当に知らないのかわからないけどね。でも、転移者がみんなこの世界に好意的だと思えないところもあるんだよね。はぁ、私は橘くんから聞いた異世界の物語のスローライフなんてのを送りたいのにさ」
この世界の転移者たちはどのような余生を送ったのだろうか。みな、自分たちと同じように生活をしていたのだろうか。少なくとも言語が通じない時代は明るいとは思えない。
「学校というブラック企業から今の生活なんてスローライフそのものじゃないですか。先生は僕たちの世界の数万年後の人間の思考ってどうなってるって考えてるんですか?」
この世界に来てから時折考えることの一つだった。科学が大きな力を持つ時代の先に、どのような社会が生まれ、どのような思考をするのが常識の人間が誕生するのか。つまり、未来人の一般的な思考は今の自分たちとどれほど隔たりがあるのかが問題なのであった。
「どうなんだろう。徹底的な合理主義のようにも思えるけど、科学技術が発展した未来においては個はどんどん個別化されるようでいて、でも全体として同じような思考になっちゃうのかな」
「難しい説明ですね」
想像に想像を重ねると自分でも何を言っているのかわからなくなる。しかし、思考の末に口から出てきた言葉が次の言葉を生んでいき、一つの認識に至っていく。
「結局は個で完結する時代っていうのかな。そういうのが許されるシステムに生きているというか。私たちって、一人暮らしするにしても必ず誰かとの接触がなければ成り立たないじゃない? ただ、それだってだんだんシステマチックになっていって、無人で対応することだってできるようになっていたしね。それがどんどん進んでいったら、たとえば学校なんて行かなくてもいいかもしれないし、買い物だって外に出なくても誰とも会話をしなくてもよくなるってことは十分に考えられるのよね。そんな社会になってたところもあるけどね。橘くんは数万年後の音楽の歴史ってどうなってると思うの?」
うーんと珍しく悩んでいる表情を浮かべている。もしかすると、音楽の未来については考えたことはなかったのかもしれない。
「人間が心地よい、反対に気持ち悪いとされるコードやフレーズはある程度類型化されていって、そんなパターン化されたものが自動的に作られるような時代は間違いなく到来すると思ってます。それこそ楽器の演奏も自動演奏や自動音が多くなってきて、人がいなくても、いや人がいない方が純粋な音楽が作れるかもしれない。人間なんてノイズなのかもしれない。あるいは人間の思考から外れるようなプログラムで音楽を作ったら、まさに人間が作れないような音楽だってできちゃうんだろうと思います。それが感動的かどうかはわかりませんが、作曲者が誰かわからないままでその音楽を聴いて感銘を受けるってことはあると思いますね」
もう何年も前だろうか、プロの棋士がコンピュータ将棋ソフトと勝負をして、AIが勝ったというショッキングな報道が話題になったことがあった。その後、AIに仕事が奪われるのでは、と煽る報道もあったが、ある日面白い記事を読んだことがあった。
AI将棋は確かに強いが、普通はプロ棋士なら指さない手にすると、意外に勝てるというものだった。人間の思考が最適化、パターン化されたことを逆手にとるやり方だが、ノイズが混乱させたのだなと思った。ただ、今はディープラーニングを元にした将棋ソフトも開発がされているらしく、学習能力が飛躍的に向上しているのだという。
「それが幸福な世界かどうかは一概にはいえないよね。慣れてしまえばそういうものだと思ってしまうかもしれないし。でもノイズだって音だよねぇ……」
不協和音も和音ですからね、と橘が自分にしかわからないことを言った。
「僕たちには物足りないところもありますけど、未来の転移者って、この世界に来てから新鮮だったと思いますけどね。もちろん、不便さの方が多かったと思いますけど、日常生活を送る上でいわば自動的にショートカットされていたところが顕在化されて、それはストレスでもあり、でも目新しさはあったんじゃないかな」
「ショートカットか。良い表現だね。それこそ私たちの世界で目標としてきたところだろうけどね。皮肉なものね。って、実際に転移者がどう考えていたのかは私たちにはわからないままだけどね。まあ、ショートカットのすべてが幸福につながるとは限らないんだろうけどさ」
「不思議に思っていたのは、言語翻訳の転移者もどうして音声言語しか翻訳しなかったってことですね。文字と対応させることだって、そんなに難しいことでしょうか。転移者も転移者なりに、どのような知識や技術をこの世界にもたらしたらいいのか、葛藤のようなものだってあったと思いますけどね」
「橘くんの言っていた異世界無双なんて、やっぱりおかしいと感じていた人たちの方が多かったのかもしれないよね」
それでも僕らには、と橘が言う。
「おごりじゃないですけど、異世界無双ができるだけの力があるんですよね。あの時の魔法のように、本当にマルクスさんやグレンの言う通りだとしたら、僕たちなんて囲い込まなきゃ、いや、囲い込んだ方が国にとって利益にはなるんでしょう」
「やっぱりそういう結論になるよね」
ただマルクスやグレンが自分たちを利益を生むものとして捉えているかと言われるとやはり違和感は残る。
「僕らもそろそろ万が一の時のために対策を練る段階に入ってきていると言えるのかもしれません」
橘はそう呟くとふっと寂しげな表情になった。これまで世話をしてきてくれた人たちの好意や善意すら吟味し、批評の対象に挙げなければならない苦しみの表情でもある。これは吉野も同じことであった。
「そうだね。あまり気は乗らないけど、詠唱文についてそろそろ真面目に話し合うことにしよっか。実はちょっとだけ楽しみなんだけどね、詠唱文作り」
「そうですね……。うん、そうしましょう。魔法じゃなくて詠唱文の方ですか? あ、でもその気持ちはわかるかも」
距離を置いていた問題を直視しなければならない。もし、何かあった時のために、それに備えるための力が必要である。それこそ最悪の事態も考える必要がある。
二人はこの日を境に、午後は一緒に話し込む日々を過ごすようになっていった。
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