第16話 孤児院と教会
吉野の思っていたとおり、子どもたちとクリスは知り合いだった。
女の子の方のエルムは、吉野の投げ技に感激していたようだった。「うちにきてください!」と可愛く
「あー、お前ら、院の子たちだったのか」
トニーが男の子と話をしていた。男の子はスムと言い、女の子のエルムとともに買い出しに来ていたようだった。二人とも日本だったら中学生くらいの年齢である。
「院って何なの?」
ケルナーからはまだ習っていない施設の話だった。
「ああ、院ってのは孤児院のことで、教会が管理している場所なんだ」
トニーの説明によれば、戦災孤児や身寄りのなくなった子たちが集められる場所であり、この国でも大きな町にはいくつかある施設のようである。
(教会といえば……)
ケルナーの講義で、宗教についても学んだことを思い出す。
この世界は基本は多神教であり、このアルム国ではエライスト教というのが有名な宗教である。有名といっても、国教とまではいかず、他にもいくつかの宗教があるようだ。
かつては宗教対立という歴史があり、今でも根深い問題があるようだが、アルム国においてはどの宗教も手厚く保護をされている、というのは建前であり、実際にはそんなに単純な話でもないらしい。
(宗教問題は地球でも深刻だからなぁ……。この世界でもそうなんだろうか)
孤児院はエライスト教が中心となって運営されているが、国費も使われている。ただし、それは微々たるものであり、またエライスト教自体もそこまで資金が潤沢というわけでもないようだ。それでもここ王都のものは他の場所よりも手が入っているらしい。また、アルム国からの補助金も他国よりも多いようである。
以前に「だいたい教会は物語では国を越えて何らかの悪さをしていますね」と橘は説明をしたことがあった。もちろんそれは物語の世界であるが、むやみやたらに信じすぎない方がいいだろうといった程度に受け止めていた。
「クリス様が支援してくれてるんだ!」
スムが誇らしげに言う。クリスの強さへの敬服だけではなく、そういう事情での尊敬の眼差しをクリスへと向けている。
「使わない金が余っているだけだ」
フードを目深に被るクリスを横目に、クスッと吉野は笑った。
(なるほど、クリスさんはこういう人か)
「この子たちを守っていただき、感謝いたします」
施設長のエサルがクリスと吉野に謝辞を述べた。
教会の横に併設されていた孤児院は、大所帯らしかった。まだ生後まもない子もいれば、成人に近い子たちもいる。基本的に成人までは世話をし、その後離れて生活をするのが一般的のようだった。
トニーと橘はスムたちと話をし、エサルとクリス、吉野は別室で茶を飲んでいた。
「美味しいお茶ですね」
「あら、気に入ってくださって良かったわ。ここで育てている茶ですの」
贅沢な暮らしができるわけではないようだが、かといって貧窮しているという様子でもない。エライスト教としても世話をしている施設に問題があると思われたくないのだろう。ただ、どちらかといえば、クリスの援助によってここの明るさが保たれているようであった。
「クリス様、あなたにも苦労をさせて悪いわね」
「他人行儀にならなくていい」
「ふふふ、相変わらずね、クリス。あなたの評判を聞くことが増えて嬉しいわ」
どうやら話を聞く限りでは、クリスもこの施設と縁の深い人のようである。二人の会話は、さながら母と息子のように見える。
(あまりお邪魔するのもよくないよね)
エサルとクリスとのやりとりを吉野は静かに聞いていた。こういうやりとりは、もう自分にはできないことだなと吉野は眺めていた。
和やかに話をしている中に遊び終えた橘たちが入ってきた。
「ねえねえ、先生。ここの教会、パイプオルガンがあるんだって!」
興奮した声で橘が話し出した。王都の教会だけあって、かなり手厚い設備が投資されているという話である。パイプオルガンもその一つである。なお、オルガンはオーガンと呼ばれているようだ。これもまた転移者の影響の一つなのだろう。
「カナタ、オーガンも弾けるのか?」
トニーも興味があるようだ。
「うん、ばっちし」
橘の家にパイプオルガンがあるわけはなかったが、電子オルガンも学んでいたという。だからといってパイプオルガンを弾けるものなのだろうか、と吉野にはわからなかった。
「相変わらず音楽の幅が広いわね。でも、さすがに教会のものを勝手に弾くのは駄目でしょうけどね」
橘の返事を聞いてトニーが何かを考えているようだった。そして、エサルに声をかけていた。
「教会の音楽担当ってカイナですよね?」
「ええ、そうよ。あの子は今日は教会内にいると思うけど……。ああちょうど弾いているんじゃないかしら」
微かに遠くからオルガンの響きが聞こえてくるようだった。どこかで聞いたことのある音色だ。
「よし、じゃあ、行ってみようぜ。たぶん大丈夫、なはず」
トニーとカイナとは音楽仲間であり、そのつてでもしかすると楽器を手に触れることができるかもしれない、ということである。
一足先にトニーと橘は教会の方に走っていった。
「本当に音楽好きな子たちね」
思わず失笑をしてしまう吉野も、エサルとクリスとともに二人の後についていった。
(教会に入ったことはなかったけど、地球のと似ているのかな)
教会内には一般人がいなかったが、楽器のある所にはすでにトニーたちが女性と話し込んでいるところだった。ただし、傍から眺めると修羅場に見える。
「なあ、カイナ。ちょっとだけでいいから弾かせてやってくれないか?」
「はぁ? 何よそれ!」
カイナと呼ばれた子は明らかに怒っているような表情である。語気も荒い。突然やってきて、貴重な楽器を弾かせてくれ、というトニーのぶしつけなお願いにイライラしているようだ。
「あの子も院出身ですけれど、幼少期より耳がよく、それに目をかけてくださったかたが援助をしてくれたんですの」
エサルが説明をしてくれた。
前にトニーが橘のことを貴族かと尋ねていたように、この世界でも楽器を弾けるためには小さい頃から特別な教育が施される必要があり、また財力も必要となる。才能があるだけでは形にならない。このパイプオルガンを弾ける人間もそんなに多いというわけではないのだろう。
だから、見も知らぬ橘のような少年が弾けるわけがない、つまりは興味本位にただのお遊びでやってくるのは良い迷惑だ、ということである。カイナの音楽家としての矜恃が許さないのである。
ただ、トニーの方も負けていなかった。いかに橘が音楽に精通しているかを語り、それはまた自身も橘が弾く姿を想像して期待しているようである。トニーがどうしてこの少年に入れ込んでいるのかさっぱりわからないカイナは、不可解であり不愉快であった。
しかし、ここで変化が起きる。
「あっ、クリス様」
クリスの姿を見たカイナが威儀を正す。さらにクリスが口添えをしてくれたおかげで橘が弾くことを許可したのであった。
聴衆には、誰かが声をかけたのだろう、すでに孤児院の子たちが数名、そして教会関係者も何人かやってきており、エサルが事情を話していた。半信半疑であった教会の人たちも、やはりクリスの姿を確認すると、態度が軟化したのであった。
(へえ、クリスさんって本当に有名な人なんだ。すごい影響力……)
マルクスが彼を護衛にしたのは、こういう事情もあったのかもしれないと吉野は思ったのだった。
「これで良かっただろうか?」
クリスはうかがうように吉野に確認をした。
「はい。ありがとうございます、クリス様」
「あなたまで『様』づけはやめてくれ」
調子に乗りすぎました、と吉野は笑いながら謝罪した。
「じゃあ、頑張りますよ♪」
カイナが弾いていた姿を見て、押す鍵盤と奏でられる音とを確認して弾けると踏んだようである。
(橘くん、不思議とこういう時は度胸あるんだよね)
まだこの世界では触れたことのない楽器を演奏し、しかも聴衆を納得させるだけのものを弾かなければならない。吉野は自分がもし弾けたとしてもそのような豪胆を持ち合わせていない。
席に座った吉野たち、そして間近で演奏を見ようとしているトニーとカイナは橘の近くに座ったのだった。前方中央には祭壇があり、入り口から見て右側にオルガンがある。見る人が見ればオルガンには見えず、棚のようにも見えるかもしれない。
深く呼吸をし終えた後、橘が弾き始めた。教会内にオルガンの重厚な音が広がっていく。
(あ、この曲……)
最初のフレーズを弾いた瞬間、吉野は中学生の音楽の授業に鑑賞した映像そのままの音を思い出していた。もちろん、そのままの音ではない。
前に「この国は全体的に音が高めかも」と橘が言っていた。
吉野は知らなかったことだが、国というよりは気候によって基準となる音の高さが変わっている。
音の性質上、暑い季節だと音が高くなりがちになり、寒い季節だと逆である。そのため、基準音の高さの調律や調整が定期的に必要だという話だった。
専門的なことはわからなかったが、吉野にしてみればその違いは些細なものに過ぎなかった。それよりも、耳で記憶していたフレーズが繰り返されることの喜びの方が大切だった。
わずか5分もなかっただろう。橘の弾く姿を遠くからみて、「足も使うなんてどういう頭の構造をしてるの?」と思わざるを得なかったが、この世界の人たちにとっても橘の演奏が魅力的なものだったのは嬉しかった。
特に、弾き終えた後にカイナが興奮した様子で橘に言い寄っている姿を見て、トニーの時と重なって面白かった。音楽は人をつなげるのだなと吉野は喜ばしく感じた。
1曲で終えるつもりが、カイナの希望でもう2曲弾くことになった。これもたまたま吉野の知っている曲だったが、この世界の人たちには新鮮に響いたのだった。
(そういえば、数万年後の地球の音楽ってどういうものがあったんだろう)
決して触れることはできないだろうが、音楽の未来について吉野は夢想していた。
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