二人は詠唱文をいじくりたい――詠唱魔法の修辞技法
白バリン
プロローグ
何もなくただ広い部屋というよりは
その男の10数mほど視線の先に、これまでに幾度もの衝撃によってすっかり薄汚れた人形が一体、その無機質の人形には〔・ ・〕のようなつぶらな瞳はあるが鼻、口がなく、喜怒哀楽のいずれの表情なのかは判然としない。
男は
「大地を
空を切った手から人形を目がけて駆けていく風が一吹き、
「少し弱いかな? あんまり練ってないのでまだ良い表現がありそうですけど。もっと強いと思ってたのになあ……」
やや不満げな表情を浮かべている男が首を傾けながら振り返り、じっと観察していた女に意見を求める。
女は前方で起きた現象とその現象を生み出した詠唱文との関係を分析して、男に伝える。
「そうだね……。『旅する』は『タビする』と訓読みだったけど、『リョする』と音読みにするのもいいかもね。それ以外の表現なら『旅する』より『地を駆け巡る』の方がいいのかも……いや、『駆け巡る』も同じか。『
女は正直に述べたが、他に置き換えられる表現がないか頭をひねっている。持っているノートを開き、次に電子辞書の「風」の項目に視線を落とす。
「『大地を旅する』だと力を溜めてそうじゃないですか? 長い時間をかけて広大な大地を移動して、その間に風がパワーを溜めて敵に放出される、というか」
男は女の率直な意見に不快になることもなく答えた。
「うーん、どちらかといえば優雅そうに聞こえるかな。『脈打つ大地』とか、いっそのこと『人界』や『下界』にするとか? その後の『一陣の風』が弱いのかな。単純に『風』を『
女はそう言うと、開いていた厚いノートに男の詠唱文を書き込んでいく。
別のページには「微風」「涼風」「光風」「悪風」「烈風」「旋風」「威風」「凱風」「風来」「風体」「風雲」「風雅」「風気」「風月」「風信」「風塵」「天つ風「聖なる風」「癒しの風」「風の刃」「風が走る」などの単語や短文が、女の性格に似て真っ直ぐな字体の文字で丁寧に書かれており、「
「コクフウ……黒い風ですか? そんな言葉があるんですね。でもそれだと僕の中でイメージが固まっていないので、だったら単なる『風』の方がいいかもしれません。それじゃあ保留で。次、先生の番ですよ!」
「先生」と呼ばれた女はノートを閉じて立ち上がり、男と入れ替わる。
すっと深く息を吸って一挙に唱える。目標はもちろん傷ついたあの憐れな人形である。
「
先ほどの男と同じように、すわと右手で大きく空を割る。が、離れている人形には微風が届いただけであった。
一方、女の右手に近い場所には強風が発生している。
「あっれ? 全然駄目だなあ。風自体は強いけど……」
「対象物の指定がなかったからですかね。『我が右腕となりて』だけだったら、今みたいに言葉通りに右手が強化されるんだと思います。『我が右腕として目の前の敵を切り刻め』だと中距離攻撃になるんじゃないですか? それはそうと今の先生の攻撃が直撃したら、絶対真っ二つになりますよね。凄い勢いの水平チョップでしたよ。直接攻撃だったら最強かもしれないですね。あとは、『荒天に遊ぶ』『風神』というつなげ方は僕はあまり好みではないですね」
男は自分で言った「水平チョップ」を何度も再現して、女に見せつけているらしかったが、女はそんなことを気にしていないようである。
「実は私もしっくりきていないんだよね。教えてもらった詠唱文の骨格を真似て、そこに単語をとりあえず当てはめた程度だったし。今の魔法は暴風というよりもかまいたちのように、もっと小さくキュッとして、そしてスパッと切り裂くイメージだったんだけど、直接攻撃になっちゃったか。上手くいかないなあ」
女は自分の詠唱文の言葉を吟味している。
「僕も前に『かまいたち』の発想で詠唱文に加えましたけど、よく考えてみたら風で何かを切るって科学的に無理なんじゃないです?」
科学から遠い現象である魔法が使えている時点で、その疑問もおかしいですが、と男は続けた。
「枝や石が当たって傷ができると言われるように、『かまいたち』は非科学的な現象として扱われるけど、私たちの社会では『かまいたち』は妖怪として登録されていて、実際に傷を与えているから問題はないんじゃない? さっきの『一陣の風』の詠唱文でだって人形は一部裂けてたわけだし。いやでもどうなんだろう……。あっ、前の時は『~よ』を付けて人智を超えた存在に力を借りたから威力が強くなって確か切れたんだったか。ああ、記憶がぐちゃぐちゃだ」
つい数日前の詠唱文のことも女は容易に思い出せなかった。それは女に記憶力がないのではなく、それほどまでに数多くの試行が積み重ねられているからである。
「じゃあ、今の間に僕も」と、
「我命ず、地獄の
「汝の怒りのままに
はっと気づいた女はすぐさま手と口を出す。
「わー、物騒物騒! 駄目だって!」
懸命に訴えかける女の勢いに負けて、男は詠唱を中断した。空間内の空気が再び穏やかなものに戻っていった。
「『地獄』禁止令! その『盟主』とか『怒りのままに』とか、不穏すぎる響きだって。それに今の火の魔法でしょ? もう! この場所ではまだ早いよ……。ところで、『地獄の盟主』って誰のこと?
女は男の詠唱を強引に中断させて、たしなめつつ褒め、そして新たな詠唱文に考えを巡らせている。
ちなみに今、男が発動させようとした魔法が仮に成功していたら、空間内は地獄絵に描かれる炎のごとく、広範囲に烈火が噴き上げていた。もちろん、その場合にはいくつかの対策を用意していたが、女の必死の説得に
「ついそういう言葉が先行しちゃうもんで……。『地獄の盟主』は僕の中では閻魔大王でしたね。『十王』、地獄にはそんなに王がいるんですか。あとで調べておきます。少しくらい長い詠唱文でも今は力を抑えた状態だから前のようにはならないと思ったんですけどね」
あどけない表情で舌を出して笑いながら男は答える。
「そんな可愛いそぶりをしたって駄目だよ。閻魔大王に舌を抜かれるよ。攻撃魔法はこのくらいにして、回復とか支援系のを見ていこうよ」
「あと、1回だけ……。地の
男が詠唱すると、横たわっていた人形が少しだけふわっと宙に浮かび、そして頭と胴が哀しいほどに離れて落ちていった。男の言葉通り、首が刈られたのである。
「やった。これならいいかも!」
男はポーズを決めて女の反応をうかがった。しかし、求めた想像よりもそっけない反応であり、女は今の魔法の威力について考えている。
「『地の眷族』に、『地獄』は『鎌』と結びつけて『我が前の敵の首を刈り取れ』で範囲を狭めつつ威力を増したってわけか。うん、これなら一撃必殺だね……いやいや、『地獄』禁止令だって。あれじゃあ即死じゃないの、やり過ぎだって。そもそも土の魔法なのかな。『地の眷族』ってなんなんだろう?」
「はは、そりゃ人間には使わないですよ。『地の眷族』は……そうですね、なんとなく大地の精霊みたいなものを考えてましたね。『地の精霊王よ』だともっと強くなるかもしれないですね」
男は鎌を持って振っている姿を何度も女に見せている。男はこの魔法の効果は気に入ったらしかった。
「うーん、まだ『精霊王』の力を借りる詠唱文はやめといた方がいいかな、特に攻撃魔法についてはね次は私だね」
女は再びノートに目を通しており、『力を借りる対象』の項目に目を通し、「しもべ」「輩」「配下」「眷族」「精霊」「妖精」「悪魔」「菩薩」「如来」「使徒」「血族」「冥王」「祭主」「破壊の王」「魔界の王」「天使」「堕天使」「女神」「主神」「四神」などの言葉をチェックしていたのだった。
次は女が詠唱する。
「
詠唱を終えると、女と男の周辺に
男は光には興味を示さず、耳を澄ませて音を聴き取っている。
「あっ、すごい。この音色、聴いたことない。『清澄なる調べ』か。どういうイメージのものなんです?」
「実は、まだあまり上手くイメージがね……。天使が小さなハープを持って飛びながら奏でている場面なんだけど、効果は単に光と音が発生するだけかあ。詰め切れてないなあ。想像しているものと実際の詠唱文が
女はまたしても詠唱文の言葉を分析している。
「『天使』を思い浮かべたんだったら無理に『精霊』じゃなく、そのまま『天使』で良かったんじゃないですか。この光や音を魔物が嫌う効果があるかもしれないですね。『タンアンを厭う』や『無垢なる』、『清澄なる』で空気や場を浄化する働きがあったりする……のかな? 『タンアン』なんて言葉初めて聞きましたよ」
「浄化、結界、これらの効果の良い詠唱文はなかなか見つからないね。効果そのものを私たちが測れないっていうのが原因なんだけどね。それにしても私たちに邪悪な心があったらこっちが清められそうだよね」
僕は大丈夫ですが、先生は確かに、と男が冗談を言う。
「先生って聞いたことのない熟語を使いますよね。それに『清澄な』じゃなく『清澄なる』みたいに、全般的にナリ活用にするのも好きですよね。あ、嫌みじゃなくて、僕はそういうのをスルーしちゃうんで、いいなあと」
男の指摘には女もその自覚はある。形容動詞のナリ活用、タリ活用、去年さんざんやったよね、としみじみと女は思い起こす。
「職業病なのかも……。たとえば、『偉大な』よりも『偉大なる』の方が雰囲気が出る。でも、詠唱文によっては『~なる~なる』がうっとうしいと思うこともあるからなあ。この言葉の微妙な違いもどういう効果になるのかまだわかってないよね。
「ゲームの詠唱文でも『我は~、
男は覚えているゲームや漫画の詠唱文を次々と声に出した。力を抑えているため魔法は発動しないが、詠唱文の言葉を聞く限りでは壊滅的な光景が女には容易に想像される。
「対句は反復や倒置にも関わっててね、単純に『我は~、我は~』と重ねていくこともできるし、去年授業で読んだ
女の言葉にいざなわれて男が記憶の中から
「『千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず』、でしたっけね? これも『千里の馬は~、伯楽は~』になってますね」
「そうそう。で、漢字だけで書くとね、今言ったところの前文もあるのね。『世に伯楽有りて、
授業でも説明したけど、と女がまだ何も書かれていないまっさらなページを開き、原文を書いて男に説明していく。
A B B A
世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。
「『伯楽』と『千里馬』とをそれぞれA、Bとすると、こう図示できるのね。書き下し文を読むだけだとわからないけど、1文目の最後と、2文目の最初の『千里馬』が鎖のようにつながっている、こういう表現技法もあるんだよ。しりとりみたいにね」
「連鎖法」とも呼ばれるこの技法の典型の一つに「
国民作家とも評される夏目漱石の『草枕』の冒頭は「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」である。
この次文は、前文の最後「住みにくい」を名詞「住みにくさ」で受けて「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。」と続き、さらに「引き越し」を「越し」で受けて「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」のように、表現されている。
説明を聞きながら、男の表情が突如パッと明るくなった。
「あっ、思い出しました。『これは
「失礼だな。私だってABBA世代じゃないよ。しっかり反応してたじゃない、一人」
僕もABBA好きですよ、と得意げに笑って男はダンスをしながら答えた。
一方、女の方でも解説をしながら、静かな教室で一人笑いを噛み殺していた生徒のことを思い出していた。さらに記憶の数片が鮮明になっていく。
通常ならそのまま本文を読んで授業を進めていくつもりだったが、生徒から質問が出た。
「『有』は『有○』(○有り)と普通は書き下すのに、どうして2文目の『千里馬・有』は『有・千里馬』の順番じゃないんですか?」という難しい質問に対して説明をしたのだった。
ただし、質問をした生徒のマスク姿は思い出せても、鮮明な顔はもはやこの女には思い出せない。
「懐かしいですね。漢文を本格的に読んだのは去年だけですけど、確かに表現は参考になるかもしれませんね。漢文も好きでしたよ、短いから。他に何か表現技法ってないんです?」
「そうだね。ちょっと待ってね」
女はノートを閉じ、手帳を取り出してページをめくっていく。ノートよりも使用感のある手帳は女のネタ帳である。大学生になってから使い始めたものであり、何かあると書き留めて書き抜いていくのが習慣なのであった。
やがて、「あった」と女は言って、再度広げられたノートにやや長い英文を書いていく姿を男はじっと見守っている。
May not music be described as the mathematics of the sense, mathematics as music of the reason? The musician feels mathematics, the mathematician thinks music: music the dream, mathematics the working life.
Mathematics is the music of reason.
「200年ほど前に生まれたイギリスの数学者、ジェームズ・ジョセフ・シルベスターが残したとされる言葉なんだよ」
その説明だけ耳で聴き、男はさっと読んで訳していく。
「音楽はセンスの数学として、数学はリーズンの音楽として表現されて……いいか? もう一つは、数学はリーズンの音楽である、ですか?」
「ごめんね、私には詳しい英語はわかんない」
恥じ入る様子もなく女はあっさりと答えた。
男はあきれ顔で言う。
「答えがわからないじゃないですか!」
「まあまあ。で、この文章が元になって、しばしば日本語では『数学は感性の音楽、音楽は理性の数学』と表現されることがあってね。センスは『感覚』と訳されたものも見るけど、『感性』と『理性』とした方が、韻を踏んで綺麗になると考えたからなんだろうね。この例だと、二つの文がお互いに補い合っているというか、二文あるから一つの表現としてより活きてくるというか。他にもこの英文と同じとは言えないけど……」
女は「天長地久」とノートに新たに書いた。
「テンチョウチキュウ、四字熟語ですか?」
「うん、『老子』という漢文なんだけどね。『天地が永遠であるように、物事がいつまでも続く』という四字熟語でも使われるけど、『天長く地久し』あるいは『天は長く地は久し』と書き下すことができるのね。でも『天長地久』って要は『天地長久』ってことで、『天』と『地』を分けて表現をしているんだよ。こういうのを
ちなみに
このように様々な
「『男は
男から質問が出たことを嬉しいと思うものの、女の顔がやや不機嫌になる。男はそんな女の反応をうかがうように見つめている。
「全く関連のない言葉同士の『度胸』と『愛嬌』とを、共通する『キョウ』という音で結びつける手法だよね。脚韻といっていいのか正確には難しいんだけど、最後の音を合わせることで面白さや
「はは、バレました? 英語の授業に先生が英語の詩を見せてくれたことがあったんですけど、歌の中には結構韻ってあるんですよね。洋楽の歌詞なんか聴いててもそう感じました。漢詩もそうですけど、和歌にもあるんです?」
意地の悪い冗談にむっとしたものの、頭を切り替えてすぐに男の求める答えを探していく。
「そうだなあ……。韻とは違うけど、同じ言葉を重ねていく歌はあるかな。たとえば、『万葉集』の天武天皇のこの歌……」
女は再びノートに書いていく。途中で手帳を開いて確認しているので、すべてを暗記しているわけではないのである。
『万葉集』の原文の横に、訓読した文を書いていく。
よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ
淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三
「『よし』って言葉が多いですね」
男はよき人の……、と呟きながら意味をとっている。
歌の中には声に出してリズムを楽しみ歌があるが、たとえば、「よし」という言葉を「淑・良・好・芳」のように書き分けるなど、目で楽しむ歌もある。
「他にも『月』や『夢』、『思ふ』『捨つ』などが繰り返される歌はあるね。脚韻の歌もあったと思ったけど、ごめん、今すぐ歌が出てこないや。ただ日本語の場合は言語の構造上、脚韻を意識したものは極端に少ないって言われているね」
「へぇー。字余りの歌なんですね、この歌。字余りって何か法則でもあるんです?」
興味を抱いた男が思いつきのように尋ねる。ただ、答えは特に期待していなかった。
しかし、女は説明を始める。
「ああ、授業では触れてなかったか。時代にもよるけど、一般的に字余りの句には『a・i・u・o』の母音があるという法則はあるね。江戸時代の
女は一つひとつをノートに書いていって、印を付ける。
はなの(い)ろは
たごの(う)らゆ
なにし(お)はば
「この歌だと『よしと言ひし』の『言』ですか。そんな決まりがあったんですね」
「古代日本語においては母音の連続が回避されるって話らしく、『わがいも(我妹)』は『わぎも』、『ながいき』が『なげき』のように、どちらかの母音が脱落したり、別の母音になるんだって。文字の上では6字で字余りだけど、リズムの上では字余りではないって話なんだよね」
「でも、この『よき人よく見つ』は母音ないですよ?」
女の書いた歌を男が指さすと、女の表情が柔らかくなる。
「ああ、そこに気づくのね。その結句は、他にも『よき人よく見』とか『よき人よ君』とも言われていてね。授業で話したかな、『万葉集』って訓読の定まっていない箇所があってね。読み方がまだわかっていないところがあるんだよ。いつか明らかになるんだろうけど、ね……。さて、いい時間になったね。今日はこのくらいにしておきますか」
ノートへの書き入れをやめ、女は男に指示を出す。
「
もの寂しく二つに分かれて放置されていた人形が光に包まれると、一体の人形へと変化していく。
男はそれを手に持ち、元通りに戻っているかを丹念に確認して、よし、と小さく声を挙げる。
「『~よ、~よ』系の詠唱、結構使うよね。やっぱり『空よ大地よ』みたいに並べると、効果が上がる魔法って多いな。うん、この回復魔法も使える。それにしても、『不運にも我らに弄ばれたる』って、酷い言い方だな。すごく上から目線の一方的な回復魔法なのに、それでも効果があるってとっても不思議だ」
「あとは人に対して使用したらどうなるのか、ですよね」
「そうだね……」
二人は互いに考えた詠唱文を持ち寄り、その魔法の効果を日々検証しているのだった。
一人が詠唱魔法を使えば、もう一人が言葉と効果について意見を述べ、それを踏まえながら別の言葉や表現に置き換えて、推敲し、次の魔法へと移っていく。時には言葉の歴史や修辞技法などを「先生」である女が男に解説していき、更なる疑問を追究していく。
二人の尽きることのない詠唱文への興味と体内に宿る
二人が詠唱文をいじくることで、世界の
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