第4話 長欠

 私は半泣きになり、夫を呼びに行った。


「なんだよ」


 夫は面倒くさそうに玄関に向かう。


「うわっ」


 夫は驚き、少しの間それを凝視していた。かと思うとスマホを取り出しライトをつけた。写真まで撮っている。


「やめて、そんなの撮ってどうするの」


「おもちゃだよ」


 夫は手首の切断面をこちらに向ける。


「やめて、見せないで!」


「ほら、プラスチックだ」


 トントンと、乾いた音がした。手首の切断面にあたるそこは赤いのか黒いのかよく分からない色だった。

 よく見ると、確かに全面がプラスチックだった。あの、ミルクを与える赤ちゃん人形のような素材だった。人形の手首を切ったのだろうか。人形とはいえ赤ちゃんの……。

 恐怖と嫌悪感が同時に起こる。前回の香水といい、一体誰がこんな嫌がらせをしているのだろう。私は気味が悪かったが、夫は一向に気にしていなかった。



 次の日、重い気持ちのまま会社に行った。橋本さんが長期休暇になったと聞かされた。


「どうかしたんですか? 親御さんが病気とか?」


 私は事情を知っていそうな事務所のスタッフに尋ねた。


「それについて、課長からチーフ代理である上野さんに直接説明があるらしいの。今から会議室に行ってちょうだい」


 わざわざ会議室に呼ばれるなんて、よほどの事情なのだろうか。

 会議室にはすでに課長が待機していた。私は「お待たせしてすいません」と言い、課長に促されて椅子にかけた。


「わざわざ呼び出して悪かったね」


 課長はそう前置きをして、橋本さんのことを話しだした。


 橋本さんは日頃から母親に八つ当たりをしていたらしい。八つ当たりをしたあとは後悔して自分を責めていた。この繰り返しでノイローゼになり自殺を図った。幸い母親が気づいて救急車を呼んで助かったらしいが、精神科に入院することになったようだ。


「上野さん、さいきん橋本さんに変わったところはなかった?」


「特になかったです。今日、事前休暇をとっていたくらいです。まさかこんなことに

なるなんて……」


 私は正直に、驚いている気持ちを述べた。課長は同意することなく、私を凝視している。なんだろう。


「実はね、上野さんが事前休暇をくれないってクレームが結構あるんだよね。誰とは言わないけど、作業者から何人かね。これは事実ですか?」


 課長は真顔で言う。


「そんなことはありません。橋本さんの事前休暇だって、私は承諾しましたよ」


 心外だ。一日に二人までは休暇を許可していた。


「ああ、誤解しないでほしいんだ。私は事実確認をしたかっただけだからね。休暇表にも橋本さんの名前はあったから承諾しているのは確かだ。ただ……さいきん突発休暇者が増えたのも事実だね。これについて心当たりはあるかな?」


 昨日も聞かれた。私は同じ答えを述べる。


「休暇対応のスタッフが三名なので、当日に突発休暇者がいた場合を考慮して事前休暇者は二名までにしています。三名以上重なった場合、日づけを変えてもらうようお願いしています。事前休暇を断られるよりなら……と思って当日休んでいるのではないかと思います」


「そうですか……ではそれに対して、対策はとりましたか?」


「はい?」


 なにを言っているのだ。昨日はそんなこと言わなかったじゃないか。


「突発休暇者が増える原因が分かっていたんですよね、ではそれに対してなにか改善策は考えましたか?」


「いえ……特には」


 しまった、確かに原因が分かったのに放置した結果になってしまった。けれど事前休暇がもらえないからって当日いきなり休むなんて社会人としてどうかしている。責任感がないのだ。しかしそれを課長に言ったところで言い訳にしかならない。


「そうですか。いきなりチーフ代理はきつかったでしょう。突然のことでこちらも申し訳なく思っています。今回のことを踏まえて適材適所の見直しを早急に行いますので。まずは本日の業務に戻ってください。橋本さんに関しては長欠とだけ言ってくださいね」


 私は力なく「はい」と言い会議室をあとにした。丁寧に言っているけれども、「お前にチーフは無理だから降ろす」と同義語だった。


 職場に戻ると、ラインはすでに稼働していた。事務所スタッフの指示で動いているようだ。


 しばらくしたらトラブルがあり、ラインが止まった。装置トラブルなので私は関与出来なかった。

 専門のスタッフが装置調整をしている間、私は事情聴取を兼ねて作業者と雑談をすることにした。


 愛ちゃんがマニュアルを読んでメモをとっていた。自主的に勉強をしているのだ。ようやく分かってくれたか。


「愛ちゃん、勉強してるの?」


 私は嬉しくて愛ちゃんに声をかけた。


「あー……私出来ないエリアあるし、使えない人間なんで勉強してます」


 愛ちゃんは冷たい目で睨むように私を見て、吐き捨てるように言った。その目をマニュアルに戻し、話しかけるなオーラを出していた。


 なんだろう、嫌味だろうか。それにしても、私にそんな口をきくなんて。私は少しむっとしたがそれ以上かける言葉も思い浮かばず、場を離れた。



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