第34話
隊長の話は、どうも遠回しでわかりにくい。
私も答えを急かした。
「あれとは何だ?」
だが、隊長も悪気があってごまかしているわけではない。
顔をしかめて、あれこれ言葉をさがしているようだったが、こう答えるしかないようだった。
「あれとしか言いようがない」
そこで、モハレジュが口を挟んだ。
「この日照りも、あれのせいらしいよ」
いわば助け舟だったが、それは思わぬところで怒りを呼び覚ました。
ヴィルッドが狼の牙を剥きだして、吐き捨てるように言った。
「そのおかげで俺たちは」
アッサラーも、声を微かに震わせて呻いた。
「炎の神は、そんなものを許しはしない」
代わりに、スラハヴァーが水を差した。
「あの、俺たちはどうすれば……」
亀の甲羅と頭の角が災いして、狭い通路を進むことはできないだろう。
それをはっきり告げられずに戸惑っていると、山猫頭がきっぱりと言った。
「なら、ついてくるな」
地下へと逃げ込んだ帝王を追って、私たちはほの明るい通路をどこまでも下っていった。
兵士たちは龍騎兵の隊長の命令で、通路の外で待たせておいた。
血気にはやる市民たちはアッサラーが説得した。
一緒に来たのは、龍騎兵たちの他、限られた者だけだった。
アレアッシュワティが山猫の口をにちにちやりながらぼやく。
「どこまで続くんだ」
狗頭人のキャルブンを初めとして、答える者はない。
ただ、狼頭のヴィルッドが他のことを尋ねた。
「何だ、この風は」
そこで初めて、隊長が答えた。
「あの場所から吹いてくる風だ」
つい、私も期待した。
「ここからもうすぐ出られるということか」
炎の帝王のハーレムにいたモハレジュは、そこで聞いた話できっぱりと打ち消す。
「そんなはずない。もっと深いっていうから」
だが、アッサラーは他人事のような言い方で答えた。
「終わりがあることは確かだ。息が続くのだから」
スラハヴァーが、ずっと後ろで悲鳴を上げた。
「勘弁してよ、あとがつかえてる」
そう言うのは、
山猫頭のアレアッシュワティが面倒臭そうに悪態をついた。
「お前のせいだ」
通路はこれまでと違って、右に左に曲がっていた。
それを物知り顔に評するのはアッサラーだ。
「相当、強引に掘り抜いたな。行き当たりばったりと言うか」
スラハヴァーはまだ文句を言っている。
「曲がり過ぎだよ、なかなか身体が通らない」
苛立たしげに、山猫頭が言い返した。
「なんとかしろ」
ヴィルッドが、ぼそりと言った。
「置いていくか?」
キャルブンは、賞金稼ぎらしい損得勘定を口にした。
「先へ行く方が死にやすいかもしれんぞ、こいつの場合」
私は、それをたしなめる。
「知らん顔はしたくない」
隊長も同意してくれた。
「数の勝負になるかもしれん」
そこでモハレジュが、溜息をついた。
「無駄な手間だし。ここから戻るのは」
通路は、やがて尽きた。
抜けたぞ、と告げると、隊長が低い声でつぶやいた。
「あれのありかに近づいたな」
それがどんなものなのかは、やはり分からない。
モハレジュの声は明るかった。
「息が楽になってよかった」
アレアッシュワティはというと、スラハヴァーを気にしている。
「大丈夫か、後ろ」
亀の歩みのような、間延びした声が答えた。
「なんとか。みんなついてきてる」
振り向いてみると、逞しい身体や、逆にひょろ長い手足を持つ
狼頭のヴィルッドが諦めたように息を漏らした。
「この人数でかかれば、逃すことはあるまい」
キャルブンもそう思ったのか、もう何も言わなかった。
だが、アッサラーは別のことを心配していた。
「足元がこのまま続くかどうか」
平たく固められていた床が、次第に歪みはじめていた。
足場が悪い。
道はどうにか通れる程度の岩場に変わっていた。
アッサラーの読んだ通りだった。
「なんとか道を掘り抜いたといったところか」
アレアッシュワティが山猫の眼で見下ろした先では、辺りを包む不気味な淡い光の中、急な斜面が闇の中へと消えている。
「というか、ほとんど崖だな」
そう言っているそばから、モハレジュが足を滑らせた。
「落ちる……ありがと」
細い肩を抱きとめた私の隣で、狭いな、とヴィルッドがつぶやく。
隊長が部下に命じた。
「武器を背負っておけ」
後ろからは、スラハヴァーの呑気な声が聞こえる。
「まだ出られないんだけど」
キャルブンが答えた。
「ずっとそこにいたほうが身のためだ」
そこで、アレアッシュワティが囁いた。
「あれだ」
鈍く光る岩場の道は、闇を縫うようにして大きく弧を描いている。
その先には、崖に立ち尽くす帝王の姿が見えた。
ヴィルッドが、狼の声を殺す。
「落ち着け」
悔しがったのは隊長だった。
「銃さえあれば」
モハレジュも舌打ちする。
「ナイフも届かない」
何もするな、とアッサラーが止めた。
口を尖らすモハレジュに、私は言って聞かせる。
「下手に動くとこっちが落ちる」
さっき崖から足を滑らせたのを思い出したのか、モハレジュは身体をすくめた。
そこで、スラハヴァーが素っ頓狂な声を上げる。
「やっと出られた」
キャルブンが、忌々しげに舌打ちして言った。
「命を粗末にするんじゃない、素人が」
私たちは、炎の帝王に向かってゆっくりと歩いていった。
ぞろぞろとついてきた
「足音を殺せ」
無理だ、とぶつくさ言うスラハヴァーを、山猫頭のアレアッシュワティは歯を剥いて脅しつける。
「なら黙ってろ」
俺じゃなくて、と言い訳するのを、モハレジュが叱りつけた。
「ダメ!」
その声も、炎の帝王に気付かれるのではないかと思うほどに高い。
とうとう、隊長が荒く張りつめた息を抑えながら尋ねた。
「どうした」
素人どもが、と狗頭人のキャルブンが再び吐き捨てる。
そこで私は、モハレジュが何のことを言っていたのか気付いて代わりに答えた。
「ヤマアラシ……」
背中を向けた
それらが闇の中へと飛んでいったかと思うと、炎の帝王の姿が消えた。
その場所にたどりついたところで、しばしの沈黙の後、モハレジュがつぶやいた。
「死んだ?」
隊長が、首を横に振った。
「簡単すぎる」
岩場に身体を這わせて遠くを眺めているのは、アッサラーだった。
「その目で見るまで待て」
目を凝らすと、辺りを包むぼんやりした光がどうにか届く辺りに、崖にしがみつきながら降りていく帝王のマントが見えた。
それがよく見えたのか、山猫頭のアレアッシュワティが、苛立たしげに唸り声を上げた。
「こういうことか」
放っておくか、と狼頭のヴィルッドは冗談めかして言う。
確かに、手を滑らせて闇の中に落ちていかないとも限らない。
だが、私は飛刀を背負った。
「できると分かってやっているのだろう」
崖に張り付くようにして岩を掴むと、思ったとおり手の中に収まりやすく、しかも頑丈だった。
炎の帝王の後を追う私を見下ろすが早いか、隊長も部下に命じた。
「続け」
隊長と龍騎兵たちも、剣を背負って崖を降りる。
それを追い抜いて、手足のひょろ長い
「アタシも!」
その声のするほうを見上げると、後に続こうとするモハレジュの脚が見えた。
目をそらすと、今度はスラハヴァーの声が聞こえる。
「俺も!」
バカなことを言うんじゃない、と両方を止める声が、同時に聞こえた。
ヴィルッドとアレアッシュワティだった。
「お前じゃ役に立たん!」
これもどちらが言ったのか分からない。
「立つよ!」
そう言い捨てて、するすると降りてきたのはモハレジュだった。
置いていかれたスラハヴァーが喚き散らす声が、崖に跳ね返されて響き渡った。
「俺も役に立ちたいんだよ!」
それを止めているらしいキャルブンが、珍しく喚いていた。
「やめとけ、素人が!」
その声がこだまして消える彼方には、全ての音と光を吸い込むかのように重い闇がある。
それはテニーンと共に潜んでいた山の中で見た滝のように、どこまで落ちていくのか分からないほど深いところまでを満たして、静かにたゆとうていた。
その奥を覗き込んでも、炎の帝王の姿は、もう見えない。
ただ確かなのは、深い闇の底に潜んで、何か恐ろしい、巨大なものを動かそうとしていることだ。
それは、おそらく、「あれ」と呼ぶしかない、得体の知れない……。
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