第25話

 持ちつけない武器を手にした都の人々は、互いに顔を見合わせた。

 村の若者たちは、困ったように私を見つめる。

 実のところ、私にも打つ手がなかった。

 いちばん望ましいのは、兵士たちが逃げ出して、都の人々が村の若者たちを連れて姿をくらますことだ。

 誰も傷つけることなく、炎の帝王の城へ向かうことができれば、それでいい。

 だが、それとは真逆の方へと、事を焚きつける者があった。

「多勢に無勢という言葉を知っていよう?」

 群れなす都の人々をかき分けて現れたのは、炎の神に仕える修行僧、アッサラーだった。

 同じ神を崇める炎の帝王の下で働く兵士たちを眺めて、こともなげに言い放つ。

「おぬしらがどれだけおるかは数えるのも面倒なことだが、こやつらは数えるほどしかおらん。しかも、頼みの銃を見よ」

 私の飛刀で銃身を斬り落とされて、用を成さない。

 テニーンなら、引き金ひとつで暴発するのを見越して、鼻で笑ったことだろう。

 都の人々も我に返ったように、改めて武器を兵士たちに向ける。

 だが、私は止めた。

「ここを離れたほうがいい。もうすぐ、新手が来る……銃を持って」

 さっきの半人半獣の者どもワハシュと同じくらい素早く、都の人も姿を消すだろうと思っていた。

 ところが、聞えてきたのはこんな声だった。

「それがどうした」

「あいつらが撃てるわけがない」

「ひとりでも撃ったら、都から出ていくさ……それで顎が干上がるのは、さて、誰かな?」

 その気持ちはありがたかった。

 しかし、都の人たちが忘れていることが、ひとつある。

 雨が降らなくなったこの国に、水と富を求めて都を目指す者は限りなくいるのだ。

 逆らう者たちを龍をも屠る銃で皆殺しにしても、表通りに店が空いて喜ぶ者が増えるだけだ。

 だが、そんな私の考えを見透かしてでもいたかのように、都の人々の向こうから声がした。

「死なせはせんわい、ワシらがいる限り」

 ひっ、という悲鳴が次々に上がる。

 獣の頭や身体を持つ異形の者どもが背後にいるのを見て、都の人々が悲鳴を上げたのだ。

 それにも構わず、ネズミ頭のファットル爺さんが話を続ける。

「そう来るとは思っておったわい。ワシらとて、おぬしらが好きではないし、積もる恨みもないではないが……今ではないか? お互い、龍殺しの銃に怯えんで済む暮らしを取り戻すのは」

 都の人々の、半人半獣の者どもワハシュを見つめる眼差しが変わった。

 炎の帝王と戦う肚を決めていた身からすれば、その醜く恐ろしい姿は、かえってその目に頼もしく映ったことだろう。

 そこで、アッサラーとファットル爺さんは私を見た。

 都の人々と、獣の頭を持つ人々の眼差しもまた、私に注がれる。

 それでも、首を縦に振ることはできなかった。

 銃を持った新手の兵士たちがやってくれば、間違いなく血が流れる。

 分かっていながら、共に戦おうなどと軽々しく言えるわけがない。

 だが、そこで、澄んだ甲高い声が響き渡った。

「来たよ! あいつらが……」

 モハレジュが、表通りの家の屋根に上っていた。


 無事でよかったと、内心では胸をなでおろしたが、それにしても要領のいいことだ。

 後からついてきた兵士たちを、いかに油断していたとはいえ、ひとり残らず薙ぎ倒すとは。

 若い娘と侮って、ことによると邪な思いまでも腹の底に秘めていたのだろう、銃も撃てずにこのざまだ。

 そこで、奇妙なことに気がついた。

 兵士が持っていたはずの銃が、どこにもないのだ。

 だが、それを詮索している暇はなかった。

 少しずつ晴れていく冷たい朝霧の向こうに、銃を構えた兵士たちの影が見える。

 あちらこちらで、都の人たちの不安げな囁き声が聞こえた。

「おい、何か違うぞ、あいつら」

「たぶん、強いぞ」

 それは、私も肌で感じていた。

 静かに、しかし確かに足元を踏みしめて歩く様子に、どこかで感じた戦慄が蘇る。

 これは、確か……。

 アッサラーが低い声で、獣の頭を持つ者たちと、そうでない者たちに語りかける。

「恐れるな。こちらから見えぬ相手が攻めかかってくることは、そうそうない。向こうもこちらが見えぬのだから」

 つまり、姿が見えたときが勝負だ。

私は霧の向こうへと目を凝らした。

 銃を手に群れを成すのが屈強な男たちだということは、肌に感じる気迫で分かった。

 だが、そこには何か、冷たく流れる川のような涼しさがあった。

 私は、同じものを知っていた。

 それは、いつも身近にあった。

 すぐそばにいた。

 父の伝えてくれた役にも立たない刀鍛冶の技の他には何も持っていない私に、何のために生きているのか、理屈抜きに感じ取らせてくれた。

 霧の中から、髪の長い、しなやかな身体の女が現れる。

 細い腕を、張りのある動きで高々と上げると、後ろに控えた兵士たちに命じた。

「構えよ」

 膝をついて銃の狙いをつける男たちは、さっき私が破った連中とは比べものにならないくらい統制がとれていた。

 女は、澄んだ目で私を見据えて告げる。

「飛刀を渡せ。命は取らない」

 間違いなかった。

 私は呆然として、その名を呼ぶ。

「テニーン……」



 なぜ、と考える間もなかった。

「その女か!」

 甲高い叫び声と共に鋭い音が風を切って、テニーンの足元の石畳を砕いた。

 兵士たちの銃が一斉に、屋根の上へと向けられる。

 モハレジュもバカなことをしたものだと思ったが、叱りつけようにも遠すぎる。

 たちまちのうちに、銃という銃が轟音を立てた。

 父に刀鍛冶を学んでいた頃、こんな音をよく聞いたような気がする。

「雷だよ……龍が天に昇るときの前触れらしいぞ」

 だが、ここ十数年、その音を聞いたことはない。

 雨が降らなくなってから雷も鳴りはしないし、これほどの数の銃が一斉に放たれることもなかった。

 私は、その的となった娘の名を呼んだ。

「モハレジュ!」

 屋根の上にはもう、その姿はない。

 撃たれたかと思って、テニーンの兵に背を向けることになるのも構わず駆け出そうとする。

 そこで目の前に音もなく舞い降りたのは、朝日に煌く褐色の肌をしたモハレジュだった。

「どいて。大丈夫、死んでやしないから」

 そう言うなり、銃の台座で私を押しのける。

 ファットル爺さんが叫ぶ。

「いかん! 頭を冷やせ!」

 振り向くと、歩み出たモハレジュには、銃口が揃ってつきつけられている。

 無理もない。

 モハレジュが構えた銃は、兵士たちの先頭に立つテニーンを狙っていた。

 やめろ、と伸ばした手は、苛立たしげな返事に押しとどめられた。

「触ったら撃つよ」

 そこに、ありがと、と可愛らしく付け加えたモハレジュは、改めてテニーンに言い放つ。

「勝負しない? アタシと」

 あの長い髪をゆらめかせて、テニーンは微笑んだ。

 ダメだ、と私は囁いた。

 何度となく挑戦しては敗れた私は知っている。

 あれは、勝利を確信しているときの、余裕の笑みだ。

 だが、モハレジュはそれを侮辱と取ったらしい。

「じゃあ、見せてもらおうかしら、その腕……フラッドの言うとおりかどうか」

 言うか言わないかのうちに、引き金に掛けた指が動いた。

 朝日に照らされた大通りに、銃の轟音が響き渡る。

 街の人々と村から来た若者たち、半人半獣の者どもワハシュと兵士たちが見守るなか、冷たい青空に高々と弾き飛ばされた銃が石畳の上に落ちて甲高い音を立てた。

 モハレジュは呆然として、自分の両手と、テニーンの構えた銃の先から立ち上る青い煙を見比べている。

 テニーンはそこで、初めて口を開いた。

「どうする? フラッド」

 あの山の中で味わった朝の空気のような、澄み渡った声だった。

 どうするもこうするもない。

 今度は、私がモハレジュを押しのけた。

 ごめん、という囁きが聞こえたが、答えもしない。

 頭の中は、再開したテニーンのことでいっぱいだった。


 藁を敷いただけのベッドの上で、ただ添い寝しただけで明かした、初めての夜。

 山の中に潜伏して、隊商を襲った日々。

 剣や槍や弓矢、格闘の厳しい稽古と、優しい励ましといたわりの言葉。

 隊商の襲撃に失敗して、自ら囚われの身となったときに私を見つめていたまなざし。


 兵士たちは私に向かって銃を構えたが、テニーンは止めた。

「私を斬れなれば、自ら捕らえられる。そういう男よ、『風虎のフラッド』は」 

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