第17話

 その日は、いつにも増して暑かった。

 だが、都へ向かう準備は日暮れまでに済まさなければならない。

 村から逃がしてやった龍騎兵たちが都に帰りついたら、炎の皇帝は都の警備をより厳しく固めたうえで、私たちを討伐するための兵を送ることだろう。

 飛刀があれば、龍騎兵の銃も恐ろしくはない。だが、倒せばそれだけ新手が送り込まれる。できれば戦わずに済ませたかった。

 だから、本当なら今日にでも出発したいところだ。

 しかし、戦神の修行僧であるアッサラーなどは、賞金稼ぎとしてあちこちを歩き回っている狗頭人から聞き取った話をもとに、布の切れ端に消し炭で地図を描いて見せてくれたものだ。

 

「水を手に入れようと思うから、街道を通ねばならん。まっすぐ行けば、都は思いのほか近い。5日もあれば着けるだろう」

 街道を通らないということは、水が手に入らないということだ。

 革袋などで持っていける水が、果たして保つかどうか。

 そこでアッサラーが指し示したのが、直線状にある2つの村だった。

「ちょうど真ん中辺りと、都の手前だ。水と食料を、ここで手に入れる」

 だが、先立つものがない。

 この辺りに来るまでに、有り金は底をついていた。

 そこで恩着せがましく口を挟んできたのが、賞金稼ぎの狗頭人だった。

「貸してやる。必ず返せ。できなければ……おとなしく殺されてくれればいい」


 私の命と引き換えに穏やかでない取引が進められている一方で、モハレジュは妙に気が早かった。

 井戸で水を汲んでいるのを見かけたが、金もないのに何をどうしたのか、大きな革袋を手に入れていた。

 大きな桶を満たした水を高々と持ち上げて、地面に置いた革袋の傍に下ろそうとする。

 どうも、その手つきが危なっかしい。

「おい……」

 声をかけたが、遅かった。

 桶を落すまいとするあまりに足元がお留守になったらしい。

 豪快に転んで、頭から水をかぶる羽目になった。

 身体を起こしたところで私に気付いたのか、不機嫌そうに唇を尖らせて立ち上がる。

 そのときだった。

 頭から照りつける太陽の光が、モハレジュの全身にこぼれたのは……。

 ずぶ濡れの身体を頭から振ると、褐色の肌から煌く水飛沫がほとばしる。

 それを呆然と見ていた私を、モハレジュは睨み返す。

「助けてくれてもいいのに! 黙って見てないで」

 だが、その声は耳の奥で虚ろに響くばかりだった。


 ……山奥の泉で、テニーンはよく水浴びをしたものだ。

 武装はおろか、一筋の糸もまとわぬ姿で。

 いくらテニーンでも、そんな姿で襲われた日には、どこまで身を守れるか分かったものではない。

 当然、私が見張りをすることになる。

 その私に襲われるということは考えもしなかったのか、テニーンは木々の間からこぼれる陽光に、その裸身を惜しげもなく晒していたものだ。


「フラッド!」

 呼び捨てにされて、はっと我に返る。

 目の前には、ずぶ濡れの服を肌にまとわりつかせたモハレジュの姿があった。

「何よ、知らん顔して!」

 八つ当たり気味に責められたが、むしろ、私の眼は釘付けにされていたほうだった。

 太陽の光の下で、濡れた身体が輝いていた。

 胸には、テニーンほどのふくらみはない。

 だが、はりつめた別の何かが感じられた。

 腰から脚へと流れる曲線は、木々の間から見るとはなしに垣間見たテニーンの身体を思い出させた。

 慌てて、眼をそらす。

 だが、その正面へモハレジュは素早く回り込んだ。

 あまつさえ、腕を絡めてくる。

「逃がさないからね」

「……逃げるも何も」

 その腕をするりと引き抜くことぐらい、テニーンの教えを受けた私には何でもない。

 小柄なモハレジュを上から見下ろしながら告げる。

「そんな大荷物は、邪魔だ」

 モハレジュはふくれっ面して、まばゆい光の中、どこかへ姿を消した。

 機嫌を損ねたのは間違いないが、これでよかったのだと自分に言い聞かせる。


 軽装と決まったら決まったで、どうしても必要な荷物だけを選り分けるのはそれなりに大変な作業だった。

 村の納屋を借りて荷造りをしたが、食料や水をなるべく小さくまとめて、毛布などと共に背負ったり、腰に提げたりできるようにするのは手間がかかる。

 日が暮れる頃にはすっかり疲れ切って、あとは寝るばかりになっていた。

 横になりはしたが、なかなか寝付けない。

 昼間にモハレジュのあんな姿を見たせいだとは思いたくなかった。

 だが、暗い天井に浮かぶのは、山中の隠れ家で月明りに浮かび上がったテニーンの姿だった。

 

 ……私のすぐそばで、静かな寝息を立てているテニーン。

 冷たく光る唇から洩れる、その息遣いと共に、豊かな胸が持ち上げられたり、沈んだりする。

 

 ふと、そこで思い出したのはモハレジュのことだった。

 いつもは何やかやと私の傍にやってきては世話を焼いたり、お節介を働いたりと、目障りなこと甚だしい。

 だが、この日ばかりは、昼間にへそを曲げてから全く見かけていないのだ。

 明日の朝には出発だというのに、どこへ行ったのだろうか。


「ここだよ、フラッド」

 耳元でささやく声に、つい、この名で答えてしまった

「……テニーン?」

「誰? それ」

 昼間の不機嫌そうな声で、肌をぴったりと寄せてきた者があった。

「モハレジュ?」

「さっきは、ごめんね」

 暗闇の中で、胸に寄せられた微かなふくらみと、脚を挟みこむ、しっとりとした感触があった。

「よせ」

 鋭く叱って身体を引き剥がしたが、モハレジュはなおもしがみついてきた。

 しなやかな腕と脚が、私の身体に絡みついて離れない。

 のしかかる身体は大きくはなかったが、ときに大きく反らされる背中や、腹の上で弾む腰が思い出させたものがある。

 格闘を教わっていたときに、私を押さえ込んで逃がさなかったテニーンだ。

 すると、身体が勝手に、モハレジュの腕や脚をすり抜けていた。

 慌てて、部屋の隅へと転がる。


「怖いんだよ……フラッド」

 闇の中から聞こえてきた声は、震えていた。

 いつも強気で、売られてもいない喧嘩を自分から買っていたモハレジュからは考えられない。

 なだめようにどうしてよいか分からず、尋ねてみた。

「今までも戦ってきたんじゃないのか?」

 闇を隔てても、首を大きく横に振ったのが分かった。

 荒い息を鎮めながら、モハレジュは答える。

「違うんだよ、これからのは。でも、フラッドと一緒なら安心できる。だから、今夜は、せめて」

 いつになく弱気なモハレジュに、私も思わず、なんとかしてやりたくなった。

 だが、夜が明ければ、新たに加わった若い村人たちをも伴った、長くはないが厳しい道のりが待っている。

 私は、はっきりと告げた。

「できない……モハレジュは、私の同志だから」

 精一杯の真心を持って答えたつもりだった。

 しかし、返ってきた声は落ち着きをとりもどしてはいたものの、私の気持ちを受け止めてくれてはいなかった。

「いいじゃない、娘と寝るようなもんじゃないの?」


 だから、私は改めてモハレジュに語った。

「私には、命に代えても助け出したい人がいる……」

「テニーンっていうんでしょ? その女。さっきの……」

 むくれたような声に遮られても、話をやめるわけにはいかなかった。

「父から学んだ飛刀を打つ技も、屠る龍がいなくなっては無用の長物。やさぐれ、ふてくされていた私を、ひと振りだけ残った飛刀を活かす道へ導いてくれたのがテニーンだ。山に籠って、豊かな貴族や商人から金品を奪う盗賊になったが、それでも私は生きている気がしていた。最後には負けてしまったが、炎の皇帝のもとへ送られるのと引き換えに、私を逃がしてくれた。だから……」

 ほとんどひと息で語った話だったが、モハレジュはそれをたった一言で混ぜっ返した。

「どうせヤられてるよ、炎の皇帝に」

 都の空き家にあった抜け道から忍び込んだ、あの腐臭漂う排水溝で見た影が思い出された。

 それがテニーンの白い肌を汚すさまが頭に浮かんだのを、私は声を荒らげて打ち消した。

「それでも! テニーンが助けを求める限り!」

 実を言えば、そんな言葉を聞いた覚えはない。

 だが、あのテニーンが見ず知らずの男の慰み物になどなるはずがないと、私は固く信じていた。

 モハレジュもまた、闇の向こうから叫んだ。

「私だって!」

 受け入れることはできなかった。

「そんな気持ちにはなれない」

 手探りで納屋の戸を開けると、ほのかな星明かりが滑り込んできた。


 私は、ひと晩、外で寝ることにした。

 予定が早まっただけのことで、次の日からは、荒野で満天の星空を眺めることになる。

 あの山の中でテニーンと寝そべって、木々の間にかかる星々を見上げたのを思い出した。

 テニーンは星と星とを結んで、星座を描きながら語ってくれたものだ。

 

 ……人間の男がね、龍の姫と恋に落ちたんだって。岩山の中で暮らしていたんだけど、男に想いを寄せていた美しい娘がいてね。その隠れ家を探し当てて、男を誘惑したんだって。

 男は骨抜きにされて、龍の姫の弱点を話してしまった。でも、娘に首を斧で斬り落とされた姫は、死ななかった。龍の正体を現わして、天高く昇って行ったんだって。

 泣いて悔やんだ男の涙を、大雨が洗い流した。

 空の彼方から、姫は言ったわ。

 「あなたを許します。その娘と共に行きなさい。この雨は岩山から流れ落ちる川となって、人の世に恵みをもたらすでしょう」

 人里に帰った男が娘と共に夜空を眺めると、そこには龍が星となって輝いていたの。


「寒いな……」

 当たり前といえば当たり前のことに気付いて目を覚ますと、荷造りしたばかりの毛布がほどかれて、身体の上に掛けられていた。 

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