▼きみ は ゆうしゃ か それとも もぶ か?

K

1.導入

 “モンスター”が発生した時、おれは地元から五駅離れたショッピングモールの、ハンバーガー屋にいた。


 そこに立ち寄るつもりはなかった。このド田舎で唯一、ゲーセンがなくてまともな本屋があるモールで買い物を済ませ、万が一にも誰にも見られないうちに、家に帰るつもりだった。

 だけど俊の、まるで鳥の巣みたいな天然パーマが、ハンバーガー屋の汚れた机に向かって伏せられているのを見つけると、俺は奴のそばまで歩いていき、その頭を軽くはたいた。


 「おい」


 俊はぎくりとして机の上の飲み物をこぼしそうになり俺はそれを支えた。牛乳瓶みたいに分厚い眼鏡を押し上げて俺を阿呆みたいな目で見る。

 俊がすぼめていた目の焦点を合わせるのを俺は待った。しばらくしてからようやく奴は、俺を俺だと認識した。


 「山上君」

 「おまえ、学校も来ないで、こんなところで何しているんだ」

 「知っているだろ?僕はもう、学校には行かない。自分で勉強しているんだ」

 

 小堺俊は地元中学でいじめられている。それは誰でも知っていることだ。ダサい風貌。チビで色白、挙動不審で、小学生にカツアゲされそうになったって聞いたことがある。

 そんな俊のあだ名は、『ハカセ』だ。理由は道徳の時間、『将来の夢』という課題で、みんなが公務員やバイク屋、もしくはニートなどとふざけあっている中で、ひとりだけ真面目くさってこういったからだ。


 『僕は将来博士になって、感染症の研究をしたいです。この世界には、日本よりず、ずっと恵まれていない人たちがいて、ぼくは、その人たちを助けたいからです』


 クラスはしばらくしんとしてから、爆笑が巻き起こった。奴が、なにがおかしいんですか、と叫ぶもんだから、さらに笑いは大きくなった。

 俺はその光景を、頭を抱えて見ていた。もっとうまくやれるだろ。クソ真面目に、馬鹿の相手をする必要は無いんだよ。

 だけど俊は、それをうまくできない奴だった。案の定、奴はそのあと、いじりのターゲットになり、それは次第にいじめとなって、最後には学校に来なくなった。


 「今日は山上君、ひとりなの」


 おどおどとした様子で俊は周囲を見回した。十年以上の腐れ縁。奴が何を考えているかなんて手を取るようにわかる。


 「ああ、よかったな?こんなところで勉強しているところなんて見られたら……」

 「うん、困ったことになる。勉強は一人でもなんとかなるけれど、うちは、貧乏だから、教科書を破られるのは、困るんだ」


 俊は馬鹿にされることや、仲間からハブられること、もしかしたら殴られることにすら、別に何とも感じていないようだった。それは余計に、いじめるやつらのいら立ちというか、屈服させたいという欲求を刺激した。

 ただ、奴の家は貧乏だったから、教材を物理的に破壊されることに、俊は耐えられなかった。教科書を汚され、燃やされ、破られ、俊は学校に来なくなった。


 「自分で勉強って、できるのか?」

 「意外になんとかなるもんだよ。いまは、ネットで大概のことは、何とかなるし」


 俊の言葉には虚勢も強がりもなかった。奴がそう言うならそうなのだろう。

 奴が学校に来なくなったことを、いじめている奴らは勝利だと思っていたが、俺はそれが違うことを知っている。奴は、状況を見極め、そっと身を引いただけだ。それでも自分の目的は達成できると計算ずくで。したたかに、ただ、静かに。


 小堺俊はそういう奴だ。それは誰も知らないことだ。


 「山上君はどうして、このモールに来たの。ここにはゲーセンがないから、ほかの生徒の姿を見たことないけれど」

 「別に、いいだろ、お前には関係ねえよ」


 俺は奴が広げていたテキストの表紙を見た。この県域で一番の進学校、俊英学院の過去問だった。

 その、赤表紙に白抜きで「俊英学院」の文字を見た時、俺は自分の心臓がチクリと痛むのを感じた。果たして、間に合うのだろうか。


 ふと気が付くと、俊の視線は、俺のカバンの口に、そこからはみ出す書店の袋に向いていた。

 俺はしまったと思い、奴は不思議そうな顔をする。俊が余計な質問を始める前に、俺はさっさと立ち去ろうと決めた。


「それじゃあな――」


 そのときだ。あの “モンスター”、くそったれの“スライム”が、現れたのは。



 周囲で一斉に、スマホが鳴りだす。俺のスマホもだ。

 スマホの画面は、厚生労働省が配布している“モンスター”接触確認アプリ「MOCOA」の警告表示に埋め尽くされている。


 【緊急警報!あなたは“モンスター”に、エンカウントしています。】

 【“モンスター”は、“スライム”です。】

 【近くに“勇者”はいません。逃げてください!】


 “モンスター”が何で、いつ、なぜ、どのようにして生まれたのか、なんてことは、何一つわかっていない。

 ただ、わかっているのは、それが何の前触れもなく現れて、人を喰うということだけだ。


 ハンバーガー屋の厨房から、叫び声が聞こえた。奥の扉が開いて、厨房から逃げ出してきたのは、若い女性店員。

 その背後から、液体のような、個体のような、光沢のある青いゼリー状の何かが、女に向かって、跳ねた。


 「助けて!助け……」


 ぐしゃりという吐瀉物が地面に跳ねるような音がして、その“スライム”が女を押しつぶした。鮮血が噴き出す。青いプルプルのボディに、返り血を滴らせて、それは女性の死骸にのしかかり、不気味な笑顔を張り付けたまま、ばりばりばり、と人体を骨ごとむさぼり始める。


 「アイちゃん……!」


 女性クルーと、“スライム”が飛び出してきた扉から、別の男性クルーが飛び出してきた。彼は、変わり果てた「アイちゃん」の姿と、化け物を見ると絶叫し、厨房から持ち出してきた刃物を“スライム”に突き立てる。


 しかし、“モンスター”には傷一つつけられない。昔読んだ新聞記事では、対物ライフルでようやく、少しひるむ様子を見せた、らしい。

 男はあきらめなかった。彼は自分の、もはや半身をほとんど喰いつくされたガールフレンドを助けるため、フライヤーの沸騰した油の鍋を持ち上げ、“モンスター”に向かってその中身をぶちまけようとした。

 

 「あっ……?」


 しかしそれは、男が思っていたよりも熱く、重く、結果として彼はそれを取り落して、油を頭からかぶる羽目になった。

 叫ぶことすら、男にはできなかった。大鍋が地面に落ちるガランという音が響き、まる焦げになった男が地面に崩れ落ち、フライド・人体の臭いがあたりに立ち込める。

 そして沸騰した油の、かなりの部分を浴びたはずの“スライム”は、まったくの無傷だった。


 俺はその光景を、馬鹿みたいに突っ立って見ていた。

 逃げるべきだった。だが圧倒的な恐怖に、体が動かなかったのだ。

 “モンスター”は今、食事に夢中だ。だけどそれも、じきに終わる。

 もう逃げられない。その姿をあれに、見られて獲物として認識される。そうなったらいかに俺の足が速くても、しかし、まわりこまれる。


 「山上君、隠れないと」


 震えた声が言って、震えた手が俺の袖を引いた。俊だった。


 「隠れないと、早く……」


 そう言う俊もしかし、腰が抜けたのか、うまく立ち上がれないようだった。それを見て俺の身体が動いた。小柄な奴の脇を支え立ち上がらせて、ゴミ捨て場の陰に引っ張り込む。

 俺たちが隠れ終えた瞬間だった。


 ぷるぷる!


 “スライム”が咆哮を上げた。間一髪で、俺たちは身を隠すことができた。



 ぷるぷる!


 再び“スライム”が咆哮をあげる。奴は空腹なのだ。少しでもレベルを上げようとしている。天敵である“勇者”の登場に備えて。

 いまも、きっと通報を受けた“勇者”が向かっている。“スライム”ならば、最も弱い“勇者”でも勝てるはずだ。

 だけどきっと、間に合わない。統計によれば、“モンスター”発生現場において“勇者”がいなかった場合、ほぼ確実にその場にいる全員が殺されている。


 どうする、という意味のない問いと、もう駄目だ、という絶望が俺の頭を去来する。

 俊を見た。奴は震えていたが、壁に手をついて体を支え、必死に様子をうかがっている。まるで何か希望があるとでも言わんばかりに。


 そのときだった。「MOCOA」が“勇者”の発生を告げたのは。

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