第35話、覚醒

 それから俺達は毎日のように放課後になると空き教室で勉強をした。


 やはりあれだけ前世で勉強をした甲斐もあって、今回指定されたテストの範囲なら分からない所がない、というくらいにまで俺は理解力を深める事が出来ていた。


 唯一不安だった暗記系の問題も、やはり一度覚えた事があるからだろうか。忘れていた箇所を復習すると、すっと頭の中に染み込んでいくように内容を覚え直す事が出来ている。


 真白もテスト期間中にめきめきと学力を付けているのが見て取れた。彼女は『龍介の教え方が上手だからっ』と俺を褒めてくれるし、それが嬉しくて俺もどんどん勉強にのめり込んでいく。元から彼女は頭が良い、今回の勉強会で苦手だった数学も乗り越える事が出来たようで、学年上位に食い込めるのではないかと思える程だ。


 玲央は中間テストで学年2位という事もあって流石だ。

 俺と同じで分からない所がない、というレベルで全ての範囲を網羅していた。互いに問題を出し合いながら勉強しているのだが、それがかなり良い刺激になったのだ。今回のテストに向けてお互いにどちらが良い点を取るかライバル意識も芽生えていく、より一層の勉強へのやる気にも繋がっていった。


 西川は勉強が苦手だからと途中で匙を投げ出しそうになったのだが、玲央から「赤点を取ると夏休みに補習があって、バスケ部の夏合宿に参加出来なくなるけどそれでもいい?」と言われた直後、机に齧りつくように勉強をし始めた。よっぽどバスケが好きなんだろうな、そしてその好きを原動力にしてぐんぐんと実力を伸ばしていった。あの様子なら赤点を取る事はなさそうで一安心だ。


 そして、遂に迎えたテスト当日――。

 始業前の教室で俺は席に着いていた。


 昨日の夜から少し緊張気味な俺だったが、教室で聞こえたある一言で一気に緊張感が吹き出してきた。


 それは窓際の一番奥の席から聞こえてきたのだ。


「進藤龍介にだけは負けられないからな」


 布施川頼人がヒロインの花崎優奈と姫野夏恋、二人と話している最中に俺を見ながらそう言ったのだ。


「頼人くん、大丈夫です。テスト準備期間中、私達といーっぱいお勉強を頑張ったじゃないですか」

「そうよ、頼人! みんなで頼人のお家で集まって、あれだけ勉強したんだから! 頼人なら絶対に大丈夫よ!」


「ありがとうな。優奈、夏恋。それに美雪先輩にもお礼を言っておかないと。今回のテストに向けてあの人も力になってくれた」

「はい。前回の学年1位の私と、生徒会長の桜宮先輩、それに幼馴染の夏恋さんも頼人くんを応援してくれています。だから心配はいらないですよ」


「そうだな……俺なら絶対に出来る……!」

「その意気だよ、頼人!」


「頼人くん、頑張って下さいねっ」

「おう、頑張るぜ! みんなの応援を力に変えて、このテストで俺は絶対に……っ!!」


 力強い言葉と共に敵意の込められた視線が俺に向けられる。


 俺は慌てて黒板の方に振り向いた。


 そんな……これは原作とは全く違う展開だ。


 原作で語られた一学期の期末テストの内容を俺は覚えている。布施川頼人は自宅で行われた勉強会でヒロイン達とイチャイチャしすぎて、すっかり勉強の事を忘れて遊び呆けてしまう。

 

 それでもテストの成績は平凡的な点数で、布施川頼人は勉強をしなくてもそれなりの点数が取れる地頭の良さを作中でアピールするのだ。


 しかし今のやり取りによればテスト勉強を疎かにした様子はなかった。それどころかヒロイン達と一緒に原作では全く見せなかった程の頑張りを、このテスト準備期間にやり遂げていたように見える。


 これはイレギュラーな展開だ。コミック版にもアニメ版にもなかった。一体どうしてこんな事に……。


 そこで俺は気付くのだ。


 テスト準備期間に入った当日、俺は黒髪短髪の王道主人公として奴とキャラクターが被るように動き出した。主人公は俺だと、奴へ向けて明確に宣戦布告をした。


 となれば――それを受けた布施川頼人が動き出すのは当然の事だ。あらゆる困難を乗り越えてハッピーエンドへ辿り着く主人公としての力を、俺はあの時呼び覚ましてしまっていたのだ。


 そして主人公の前に立ち塞がった壁を乗り越える為に、主人公を支えるヒロインの役割を全うするべく、花崎優奈、姫野夏恋、桜宮美雪も動き出した。


 彼らが家に集まって勉強する様子を、原作通りのヒロインによる自宅訪問イベントだと思いこんでしまったのは迂闊だった。布施川頼人は俺を倒す為に、自分自身が主人公であると証明する為に、ヒロイン達を束ねてこのテストに向けて全力を注いだのだ。


 全ては俺というイレギュラーを排除する為。悪役という役割を放棄して原作の内容から逸脱しようとしている俺を、主人公達が許すはずなかったのだ。


『例えどんな強大な敵が立ち塞がろうとも、主人公は最後に必ず奇跡を起こす』


 分かっていた事じゃないか。それは自分自身が一番。


 主人公は理不尽な運命に抗う力を持っている。そして俺という突如として現れた理不尽な存在に対して、彼は今から奇跡を起こそうとしている。


 俺が主人公として輝き出す前に、俺がまだ悪役として認識されている内に、この世界は出る杭である俺を叩き潰そうと動き出していた。


 学年1位の花崎優奈と生徒会長の桜宮美雪が付きっきりで勉強を教えたというのなら、布施川頼人は主人公の力で彼女達の知識を取り込んで自分のものにしているはず。


 俺は主人公の真似事をしているだけで、奇跡を起こすような力なんて持っていない。このテストで負ければ『お前は絶対に主人公にはなれない』と奴の手によって俺は現実を突きつけられる事になる――その先にあるのは原作通りの破滅の未来だ。


 頭が真っ白になっていく。

 どうしたら、どうすれば。思考がぐるぐると回り、身体が硬直して動かなくなる。


 こんな事は初めてだ。


 俺が今まで見てきた主人公達は、こういう場面をどうやって乗り越えていた?


 思い出せ、俺は見てきただろう。


 漫画も小説も、

 アニメもゲームも、

 彼らが持っていて、俺が持っていないもの。


 俺に足りないものは――。


「――龍介」


 声が聞こえた。

 それは聞き覚えのある声、何度も何度も俺はその声に救われた。


 ゆっくりと顔を上げると、そこには真白が立っていた。笑顔を浮かべて温かな声で俺の名を呼ぶ彼女は、俺の手を取って優しく包み込むように握ってくれた。


 そして。


「大丈夫だよ、龍介。そんな緊張しなくていいんだよ。あなたはずーっと頑張ってきた、凄い人なんだもん。わたしが保証するよ」


 真白はそう言ってくれた。

 そうだ、俺はずっと頑張って来た。


 前世でも、この世界でも、自分らしく生きる為に必死に足掻いて、ここまでやってきたんだ。


 そして真白は、俺を信じてくれている。俺を傍でずっと見守って、背中を押してくれる。


 俺は真白の顔を見て、大きく息を吸って、吐く。


「ありがとう、真白。頑張るよ、俺」

「うんっ。心配で見に来て良かった。朝から龍介、緊張してた感じだったから」


「だな、正直昨日の夜から不安で仕方なかった」

「そっか。じゃあもう安心したっ?」


「ああ。真白を見てたら不安なんて全部吹っ飛んだよ。ありがとうな、真白。応援してくれてさ」

「ふふっ。わたしだけじゃないよ? ほら、龍介ってば集中してて気付かなかったかもだけど、二人とも応援しに来てくれてるんだからっ」

「二人共?」


 俺は真白の向ける視線の方へと振り返る。

 そこには笑顔を浮かべて俺を見つめる玲央と西川の姿があった。


「やあ龍介。すごい緊張してるみたいだから、僕もテストが始まる前に声をかけてあげようと思ってさ」

「おう、おれも別教室から飛んできてやったぜ。今回のテスト勉強はお前にも世話なったからよ」

「玲央、西川……」


 二人の名前を呼んだ瞬間、とんっと肩を叩かれる。振り向くと俺を力付けるように真白が笑顔を浮かべていた。


「わたし達応援してるよ、龍介の事。あなたなら絶対に出来るって」

「龍介、今までの頑張りを全部テストにぶつけるんだ。君なら出来る」

「ゲームだけじゃなくてテストの成績でもかっこいい所見せてくれよな! 龍介!」


 ああそうか、俺にはお前らが居てくれる。かけがえのない人達が、大切な仲間がいてくれる。


 だから俺は頑張れるんだ。


 俺はヒロイン達に囲まれる主人公、布施川頼人の方を見た。


 俺はまだ主人公じゃない。奇跡を起こす力も、理不尽な運命に抗う力も持っちゃいない。けど、それでも負けたくない。負けられない。


 玲央が、西川が、そして真白が教えてくれた。俺なら出来ると背中を押してくれた。


 信じてくれる仲間達の想いを胸に。

 どんな逆境でも乗り越えると誓った勇気と。

 今までひたすら積み上げてきたこの努力で。


 俺は主人公、布施川頼人に立ち向かう。

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