第32話、もう一人の主人公
授業の最中でも俺は黒髪短髪に変えた影響を感じ取っていた。
今までなら容赦なく俺に問題を当ててきた教師達に、どこか戸惑いがあるように思えた。
他の生徒達にもそれが伝わっているようで、俺に注目する事はあっても、すぐに教科書に目を落とし始めたり、わざとらしく窓の外を見たりと、露骨に視線を逸らしてくるのだ。
以前のように敵意を向けるべきなのか、それとも普通に接するべきなのか迷っている。そしてその迷いは俺にとってチャンス以外の何物でもない、優等生のように振る舞い真面目に授業を受け続けて、その迷いを確信に変える。俺はもう悪役ではないと認識させるのだ。
だが俺が大きく見た目を変えても、以前と変わらない――いや、より強い敵意を向けてくる人物がいた。
主人公、布施川頼人だ。
窓際の一番奥の席から痛いくらいの視線を感じる。やはり俺とキャラ被りしている事がよっぽど気に食わないんだろう。
奴にとって視界にも入らない背景要員のモブキャラであれば、黒髪短髪をした生徒は他にもいる。だがそれは背景だからこそ許されるのであって、布施川頼人にとって敵である俺が王道主人公のような姿をしてしまえば、物語に大きな影響を与えてしまうのは当然の事。
しかも俺の行動はまさに真面目で王道な主人公キャラそのもので、奴は俺が主人公のように振る舞う様子に納得がいっていないんだろう。
でもそんな事は関係ない。これは俺の覚悟だ。
この世界は原作通りの展開を続ける為に、俺が悪役として破滅的な結末を迎えるよう動き出している。周囲の人々を動かして、俺が悪役である事を強制しようとする。
それを捻じ曲げるのは容易ではない事を俺は知った。
単に悪役を脱却しようと努力を重ねるだけでは駄目だ、きっと間に合わない。
だから俺はやり方を変えていく事にした。
俺が目指すのは背景のモブキャラでも、主人公の親友でも、恋のライバル役でもない。
――主人公だ。
奴のようなたくさんの女性に囲まれ、多くの女性から求愛されるが自覚のないまま鈍感にハーレムを築いていくような男ではない。
ただ一人の少女の為にこの世界に抗い続け、時には傷付きながらも一人の女の子を守り抜く、そういう主人公になる。
主人公とは理不尽な運命に抗う力を持っている。
例えどんなに高い壁が立ち塞がろうとも、それを乗り越える為に主人公は最後に必ず奇跡を起こす。
いずれ俺も主人公となってその奇跡を起こしてみせる。そして真白と一緒に破滅的な結末を退けてみせるのだ。
だから俺は変わる。
脇役から主役へ。
俺はもうただの悪役では終わらない。ここからなのだ、本当の戦いは。
そしてその足がかりは既に見つけている。
俺は放課後に向けて、行動を開始していた。
◆
午前中の授業、昼休みは真白と一緒に弁当を食べ、そして午後の授業を終える。
そして放課後を迎えた。
俺が向かったそこは静かな場所だった。
開けっ放しのカーテン、空っぽのロッカー、埃を被った机と、座る者のいない椅子。
そこは普段俺達が使っている教室ではない、別棟にある空き教室で、俺はそこに真白と二人で訪れていた。
理由は一つ、ここで真白と一緒に期末テストに向けた勉強会を開く為。
ここは主人公達が使う為に用意された空間だ。
原作にもあったヒロインから主人公への告白イベントや、ロッカーに隠れた主人公が別のキャラ同士のキスシーンを目撃してしまう場所。
原作の重大なイベントシーンの大体はこの空き教室で行われている。
先週の時点なら絶対に近付きたくなかったが、悪役を脱してもう一人の主人公を目指す今の俺には、むしろ近付かなければならないような場所に思えた。
それにテストが近い今の時期なら、放課後の勉強会イベントはラブコメのド定番。俺が主人公としての存在を主張するなら、この空間を最大限に活用する他ないだろう。
真白は空き教室に入った後、その中をぐるりと見回した。
「へえ、こんな所に空き教室なんてあったんだっ。知らなかった」
「だろうな。他の生徒達も知らないみたいだ。学校の間取図とか良く調べたら別棟にあるのを見つけてな」
「龍介よく見つけたね。なんか秘密基地みたいな感じでわくわくするっ」
彼女は目を輝かせながら楽しげにそう言った。
確かにここは特別な空間だ。
恐らく物語の主要キャラ以外はこの空き教室の存在を知らない。主人公がイベントを行う為だけに用意された聖域であり、物語を都合よく展開する為に周囲から一切の邪魔が入らないような強制力が働いている。
そりゃそうだよな、告白イベントの最中にモブキャラが大勢入ってきたり、廊下で大騒ぎされたりしたら興醒めだ。
それは同時に俺にとって好都合だった。
モブキャラが入って来ない、という事は彼らによる邪魔が入らないという事。
勉強するのにこれほど集中出来る環境は他にないだろう。
それに俺の知っている原作展開では、主人公の布施川頼人とヒロイン達は一学期の期末テストの準備期間を自宅訪問イベントとして消化する。布施川頼人の家にヒロインみんなで集まってイチャイチャしながらテスト勉強に取り組むのだ。
イレギュラーな展開がないか警戒していたが、授業が終わった後に布施川頼人は三人のヒロインを連れて仲良く帰っていったので、やはり原作通りで間違いないだろう。
奴らが学校にいないのはチャンス、ここなら存分に勉強出来るのだ。
そしてこの勉強会を通じて俺は期末テストで好成績を取る。
悪役の不良キャラには決して出来ない事を成し遂げて、それを主人公になる為の足がかりにするのだ。決して油断は出来ない。前世の知識、経験を全て投じて必ず栄光を掴み取る。
俺と真白は机をくっつけて、鞄の中から教科書や筆記用具などを取り出していく。
「さて、それじゃあ早速始めようか」
「うん、何からやるっ? 英語、数学?」
「そうだな。とりあえず俺は得意な数学やってテストに向けて問題なさそうなら、次の教科に……って思ったけど」
「すごい、龍介ってば数学得意なんだっ。わたしは数学あんまり得意じゃないなあ」
「それなら教えてやれる。具体的に何処が分からない?」
「うーんとね」
数学の教科書をぺらぺらとめくりながら、真白はとあるページで手を止めた。
「このへんかなっ。中学の時と違って複雑で……」
「ここは理解が難しくて得点差が出やすい部分だ。しっかり身につけたら良い点取れるぞ、真白」
「ほんとっ? それじゃあ頑張る!」
「よしよし。それじゃあ俺も復習がてら真白に教えるか、まずは……」
こうして俺と真白の勉強会が始まろうとした時だった。
空き教室の扉が開いて誰かが入ってくる。
突然の事に俺は一瞬体が強張った。
ここはモブキャラには存在を知られていないラブコメ世界の聖域のはず。
一体誰が――。
しかしそこに現れた人物を見て俺は納得した。モブキャラには立ち入り出来ない聖域でも、物語を彩る主要キャラなら話は別なのだ。
そこにいたのは主人公の親友キャラ、木崎玲央。
その後ろには玲央の友人の西川恭也の姿があった。
「やあ龍介、探したよ」
「玲央、バスケ部の練習は?」
「テスト準備期間中は休みだよ。それでたまには一緒に帰ろうって龍介を誘おうと思ったんだけど、放課後になったらすぐに教室を出ていったからさ。靴箱にはまだ靴が残っていたし、スマホでRINE送っても返事がないから何処に行ったんだろうって探してたんだ」
「すまんな、玲央。勉強に集中しようと思ってスマホの電源切ってたんだ」
俺がそう言うと玲央はくっつけられた机と俺の前に座る真白を見た。
「なるほど。真白さんと勉強している最中だったんだ、お邪魔しちゃったみたいだね」
「いやいや、そんな事はないぞ。玲央はテスト勉強とかどうするつもりなんだ? もしかして一人で?」
「恭也が勉強教えてくれってせがむから、僕も恭也と二人で勉強会を開くつもりだったんだ」
「それじゃあせっかくだし俺達と一緒に勉強するか? ここ、殆どの生徒には知られてない場所で静かだから集中出来るんだ」
「龍介が誘ってくれるなら是非お願いしたいな。君の言うようにここなら静かで勉強が捗りそうだしね」
「真白はどうだろう、玲央と西川が参加しても大丈夫か?」
「うん、もちろん大歓迎っ! みんなで勉強した方が楽しいもんっ!」
真白の許可も下りたところで、俺と真白の席に二つの机と椅子をくっつける。これで四人仲良く勉強出来るだろう。
ただその席順に問題があったようで――。
「西川くん、大丈夫っ? すごい顔真っ赤で汗いっぱいかいてるけど?」
「だ、だいじょびゅっす……! なんでもなひんでっ……」
「あはは。西川くんってばまた噛んでるっ」
空き教室に入ってきて時、一言も喋っていなかった西川だが……どうやら真白の姿を見てめちゃくちゃに緊張していたらしい。勉強会に参加して真白の隣の席になった事で完全にアガっていた。
そんな彼の様子を対面して座る玲央が心配した表情で見つめている。
「恭也……どうする? 僕、隣に行こうか?」
「いっ、いいっ、おれっ、ここでっ、平気っ、でしゅっ」
「噛み噛みじゃないか。駄目だよ、それじゃあ。勉強に集中出来ないだろう?」
「う、うう……」
西川は隣の席で真白と触れ合いたかったんだろうが……だよなあ、目的は勉強だから真面目な玲央が今の状況を許してくれるわけがないよな。
「ごめん真白さん。その席、僕に譲ってくれないかな?」
「うんっ。それじゃあわたしは玲央くんの席に引っ越すね」
「玲央、西川を集中させたいなら俺も移動しようか」
「だね。出来れば真白さんと恭也を離した方が良さそうだ」
こうして行われた席替えで、俺の隣は真白が、西川と玲央が隣り合う。
真白と西川を離すように席替えしたので、今の配置なら話しかけられなければ多分大丈夫だろう。
みんながノートと教科書、そして筆記用具を取り出したのを確認して俺はかける。
「それじゃあ気を取り直して始めるか、みんな頑張ろうな」
「「「はーい」」」
こうして放課後の勉強会がスタートしたのだった。
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