第4話、この世界の常識

 教室でのハーレムでラブコメな光景を目にした後、何事もなかったかのように授業が始まった。


 教科書類を持ってこなかった俺だが、机の中やロッカーに教科書やノートが敷き詰められていたので忘れ物をする事はなかった。だが一安心したのも束の間、何気ない授業というのは悪役になった俺にとってなかなか居心地の悪いものだった事に気付く。


 教師は鋭い目つきで俺を睨んでいて『サボり放題だったお前が登校してくるなんて珍しいな』とか言ってくるし、授業になるとあからさまに俺ばかりを狙って当ててくる。クラスメイトからの視線もかなり痛い。


 この世界で悪役の役割を全うしろとでも言うのか、皆が俺の登校を拒絶して嫌がらせをしているようにすら感じてしまうものだった。


 だがそれを乗り越えられるだけの知識が俺にはあった。


 教師だって当てた問題の内容をどうせ答えられないだろうと思っているんだろうが甘い。前回の人生で俺は高校時代や大学時代、ひたすら勉強に明け暮れていた。そんな俺からすれば高校一年の授業の内容など難なく答える事が出来るのだ。


 俺がすらすらと当てられた内容を答えると、その教師は目を丸くして驚いていた。他の生徒も同じような表情を浮かべている。


 まあ当然の反応だろう。俺が転生する以前の進藤龍介という男は教師に反抗的だったし、まともに授業を受けた記憶もない。誰もが答えられるとは思っていないのだ。


 しかし日頃の行いが悪すぎたせいだろう。授業をいくら真面目に受けても、どれだけ問題を答えても、周囲から向けられる視線は冷たいものだ。これを覆す為には長い時間をかけて信頼を得ていくしかない。


 そして授業中、俺が一番気になっていたのはこの物語の主人公とヒロインについてだった。


 俺は『ふせこい』の登場人物についての記憶を呼び覚ます。


 まずは物語の主人公、『布施川ふせがわ頼人らいと』についてだ。


 作中では窓際の一番後ろの席に座っていて、その記憶と全く同じ位置で奴は授業を受けていた。見た目は平凡な黒髪黒目、いつもだるそうにしている一般的な男子高校生といった感じで間違いない。しかし優しくて気が利く天然の女たらしでもあり、美少女達からモテモテなラブコメ作品王道の主人公を体現している。


 そして主人公の隣の席に座る赤髪ロングヘアの正統派ヒロイン『花崎はなさき優奈ゆうな』。


 彼女は成績優秀で品行方正、見た目も清楚可憐で『ふせこい』の人気投票でも常に一位の大人気ヒロインだ。天然でドジっ子なところもあり、そのあざとくも可愛らしい姿が読者の胸を打った。


 前の席に座るのは幼馴染ツインテールこと『姫野ひめの夏恋かれん』だ。


 おっとりしている花崎優奈とは対照的な存在で、明るく活発で運動神経抜群なスポーツ系女子。幼馴染というポジションという事もあって出番も多く、少しツンとしているが健気に主人公を想い続ける姿が視聴者の心を鷲掴みにしていた。


 ここにはいないが学園の生徒会長を務める『桜宮さくらみや 美雪みゆき』というヒロインもいる。始業前に布施川頼人を生徒会に誘っていた彼女だ。イギリス人とのハーフで金髪碧眼の高嶺の華的な存在、美しさや性格、能力において全てに優れる完璧超人である。


 この他にも癖の強いサブキャラは沢山いるが、ふせこいの中心人物となるのはこの辺りだろう。


 俺の記憶の中にある登場人物と特徴が完璧に一致し、名前も一緒となればここが『ふせこい』の世界であるのは間違いない。


 今も授業中であるにも拘わらず、原作で見せた主人公とヒロインのイチャつきを披露しており、その全てが俺の記憶の中の『ふせこい』の物語と合致する。


 それにしても主人公とヒロインの二人が授業中にイチャつく光景って、リアルで見るとなかなか違和感の塊だな。


 実は一番後ろの窓際の席というのは教師からすると結構目立つのだ。教卓に立つと分かるのだが、最も目立たない席は死角になりやすい最前列の端の席。一方で後方の席というのは良く見渡せるので何をしているのか分かってしまう。


 そんな席にいながら、主人公である布施川頼人は花崎優奈と姫野夏恋と授業中でも構わず話をしている。


 本人達は小声のつもりなのかもしれないが、最前列の俺の席まではっきりと聞こえてくる声量だった。そもそも美少女二人が楽しげに話しているだけでも目を引くというのに、それでも一切の注意を受けない様子を見て、これがラブコメ世界の常識なのだと再認識する。


 主人公とヒロインの間で会話がないとラブコメって成り立たないしな……黙々と授業の光景を描写しても映えないし、結局そうなると授業中でも構わず話し続ける事になる。


 前世とは全く異なる授業の様子に違和感を覚えながらも、俺は黒板の内容をノートに写して静かに教師の授業に耳を傾けた。


 主人公達のやり取りも気になるが、今俺に必要なのは周りからの信頼だ。


 悪役という立ち位置を脱しない限り、この世界で俺を待っているのはバッドエンドという原作通りの結末だろう。


 だからまずは俺自身が更生する必要がある。進藤龍介という男はこの世界において紛う事なき不良であるが、転生してきた俺は不良とは程遠い真面目な人生を過ごしてきた。


 つまり転生してきた俺の努力で進藤龍介という悪役を変えていけばいい。主人公の凄さを引き立てるだけの救いようのない悪役から、真面目で誠実な優等生に更生する事で破滅の未来を回避する。


 その先に待っているのはきっと一度目の人生では送れなかった最高の青春のはず。ラブコメの世界だからこそ享受出来る甘酸っぱい男女の甘い恋愛模様。俺だってそんな毎日を送ってみたい。


 その為にもとにかく授業は真面目に受ける必要がある。


 寝ない、サボらない、授業中に私語はしない、板書はしっかりと。教師の説明に相槌を打ちつつ、しっかり勉強しているアピールも欠かさない。俺はひたすら真面目に授業を受け続けた。


 と頑張ってみても……まあ初日だしどの科目の教師も周りのクラスメイトも気味が悪そうに俺を見ているだけで何の進展もなかった。だが継続は力なり。これはやり続ける事で意味を成す。


 その意気込みを持って授業を受け続けていると――午前中の時間があっと言う間に過ぎていき昼休みになった。


 転生直後で慣れない事をした為かどっと疲れが溢れてくる。昼食を食べたら軽く昼寝したいがどうしたもんか、良い天気だし屋上で弁当を食べるのも良いかもな。


 そう思っていたのだが主人公である布施川頼人とヒロインの花崎優奈と姫野夏恋の声が聞こえてきて我に返った。


「頼人くん。今日は良い天気なので屋上でお昼にしませんか?」

「優奈、いいなそれ。じゃあ行こう」

「嬉しいです。日向ぼっこしながらゆっくりしましょうね」


「頼人! あたしね、お弁当作ってきたんだ! 食べてくれるよね?」

「もちろん。夏恋の作ったものは何でも美味しいからな」

「ふぇっ!? う、うん……えへへ」


 主人公の布施川頼人とヒロイン二人のやり取りを見て俺は思わず溜め息をついた。


 失念していた……学校の屋上は作中でいつも主人公達がイチャつく場所として何度も登場していた。


 あの開けた空間は主人公とヒロイン達が愛を育む為の定番スポット。もしあの場所に今の俺が行こうものなら、主人公に対する悪役としての妨害イベントが始まりかねない。俺にそのつもりがなくとも、そうなってしまう空気というのを感じていた。


 静かな図書室とか、人気のない場所とか、そういう場所は危険だな。俺が悪役として転生してきた以上、作中に登場していた定番スポットはとにかく避けて過ごす必要がある。


(一番の安置は、やっぱり教室か)


 ここが最も無難な場所だ。大勢の生徒がいる教室が今の俺にとって心休まる空間である事は明白。木を隠すなら森の中というように、脇役は脇役らしく大勢の生徒の中で静かにしていた方が安全だろう。


 とりあえず弁当を食べて机に突っ伏しながら昼寝して、午後からの授業を頑張ろうと思って気付くのだ。


(そうか。今までの俺って学校をサボり放題だったから、弁当とか用意されてないんだもんな)


 俺が転生する以前の進藤龍介という男は、学校に来て授業を受けるという当たり前の行動をしてこなかった。親が弁当を用意してくれるわけもなく、鞄の中に昼食となるものは入っていない。


 腹を満たす為には、食堂に行って昼食を食べるしかないだろう。


 だが食堂も『ふせこい』では度々イベントの舞台となっていた。主人公達が屋上に向かっていったのは確認しているから何もない事を祈りたいが……万が一もある。


 ここはラブコメの世界、しかも典型的なハーレムものだ。となれば布施川頼人の味方をする他のヒロインが現れて、そのヒロインと一悶着あって主人公とのイベントに進展するのも困るのだ。


 原作にはなかった未知のイベントと遭遇する可能性はゼロじゃない。しかし腹が減ったままじゃ午後からの授業に集中出来ない。とにかく目立たないよう上手く行動しよう。


 俺は食堂の隅っこで誰にも気付かれないよう昼食をとる事に決め、財布を握りしめて教室を後にするのだった。

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