第8話 新婚マイナス76日

「おばさぁん・・・」


「なあに、お行儀の悪い!誰もいないからってソファでゴロゴロするんじゃないわよ」


「私、コーディネーターやってく自信無くなったぁ・・・」


「あら、いつの間に自信なんてついてたの?3年目なんてね、まだまだひよっこよ」


「しっかりして来たって褒めてくれたくせにぃいい」


「しっかりはして来たわよ。それは本当。無茶しなくなったし、やっと一人で立てるようになったわね、あんた。自分の限界を知って自分の守り方を知ることが自立の一歩よ、おめでとう」


「・・・褒めてる?励ましてる?」


「どっちもよ。実際あんたを頼りにしてる若い登録者さんも多いし、私としては助かってるわ。ほら、あんた来るまでは30、40代メインでやってたからね。ターゲット層が広がるのは有難いし、紹介できる人数も増えたし」


早世した夫の遺産でのんびり暮らしていた叔母が、知人から娘の結婚相談を受けて、それが上手く纏まった事がきっかけで、通っていたフラワーアレンジメントの教室から口伝てに評判が広まり事務所を興すまでになった当初は、再婚や晩婚の相談者が殆どだった。


昨今の晩婚化で、子供の行く末を心配した母親が早めの登録を申し出るパターンが増えて、そんな矢先に姪っ子である恵茉が増員されたので、ベテランコーディネーター相手だと足踏みしていた登録者が、気さくな若手コーディネーターに相談を持ち掛ける事も増えた。


流行りの婚活アプリの足元にも及ばないが、地道に堅実に婚活したい一部の独身者からは、有難い事に贔屓にして貰っている。


一人で暮らしていくには十分は遺産を持つ所長の経営理念は、利益よりも良縁と幸福を届ける事。


伝手を頼りにやって来て彼女の人柄に惹かれて婚活に踏み切る高齢女性も少なくない。


恵茉にとっては、頼もしいばかりの第二の母である。


「清匡くんのお見合いがうまくいかなかったのがそんなに不満なの?」


「不満っていうか・・・納得いかないっていうかー・・・」


あの日の美術館デートは、間違いなく完璧で、こんな風に接して貰ったらあっという間に女性達は彼に夢中になるだろうと確信が持てた。


恵茉に対する気易さを差し引いても、ホテルマン仕込みのエスコートは完璧で、これならと太鼓判を押して、登録女性に紹介したのに。


「相性ってあるのよ。あんたが思う清匡くんにお似合いの女性と、彼が求めてる理想の女性は違うんじゃないの?ヒアリング不足よ。でも、おかげで戸田歯科医院のお嬢さんは良いご縁に気づけたわけだし良かったじゃない。私もあそこの先生とは長い付き合いだからホッとしてるのよ」


清匡のプロフィールを紹介したSランクのお嬢さんは、彼の経歴や職業に物凄く興味を示した。


自身が山の手に住むお嬢様で、出来れば同じような家庭環境で育った人との良縁を望んでいた事もあり、あっという間に初回のお見合いが決定した。


既に別の男性登録者とのお見合いを経験済の彼女は、相手の男性弁護士が終始緊張しきりで全く自分を気遣ってくれなかったと二回目のデートにお断りの返答を返していた。


そこに満を持して登場したのが清匡である。


どう転んでも上手くいく未来しか見えない筈だったのに、結果は、双方共にごめんなさい。


清匡からは、彼女に興味が持てず、結婚のイメージが湧かなかった、との回答が。


彼女の方からも、エスコートは完璧だけれど完全なお客様扱いで、親しみやすさは抱けなかった、との返事が来た。


しかも、一度はお断りを示した男性弁護士ともう一度会いたいと言って来たのだ。


プロフィールを見た時から、彼女に一目惚れだった男性弁護士は、その連絡を受けて有頂天になった。


早速約束を取り付けたらしく、数時間前にランチデートに行って、改めて交際を申し込んだとつい先ほど報告を受けたばかりだ。


大手弁護士事務所に勤務する30代後半の男性登録者は、実直でどこか堅い印象だったが、清匡と会った事により、逆に彼の必死な態度や、緊張した様子が好ましく思えて来たと言われて、恵茉はなんとも複雑な気持ちになった。


自分のアドバイスが、清匡に余計な影響を与えた気がしてならない。


「弁護士の牧田さん、仕事は真面目だし将来性もあるし、しかもうちに登録した時からずうっと戸田先生のお嬢さんに一途でしょう?他の人紹介しても見向きもしなかったじゃない。ああいう人に愛されると、女は幸せになれるわよぉ。あのお嬢さん、ちゃんと自分の幸せを見つける力を持ってたのよ」


「愛情は、男性側がちょっと大きい方が上手くいくって、おばさんの持論だもんね」


「そうよー。狩猟本能は男性の方が強いからね。追いかける事に生きがいを感じるように出来てんのよ」


「なるほど・・・じゃあ、うちに登録してくれる女性陣は、狩猟本能を擽るような魅力を持ってないと駄目って事ね」


清匡にピックアップした登録者は、まだ3名残っている。


うち1名は、先日のお見合い以降、紹介者と上手く行っているようなのでこのままだと残り2名になる。


どちらも、戸田歯科医院のお嬢さんと同じ位素晴らしい女性だ。


家柄、将来性、家庭環境、どこを取っても申し分ない。


結婚相談所への登録は、叔母の審査を通った人のみ受け付けているので、基本的に問題を抱えている人はまずいない。


離婚歴がある人物は詳細を確認したうえで登録になるし、独身者も独自の判断基準を設けて面談しているらしい。


そのあたりの内容は、恵茉は教えられていない。


叔母曰く、この人は大丈夫だな、という人間は分かるらしい。


その為、登録者の中には離婚歴4回という兵のもいるし、65歳オーバーのおばあちゃまもいる。


「・・・・その点、あんたは・・・ほんっとにしっかりしてるわあ!」


初めて誇らしげに笑みを向けられて、恵茉は寝そべっていたソファから起き上がった。


「え、ほんとに!?」


「あんたの良い所は、愚かな男を寄せ付けない事と、命綱をしっかり握ってるところね」


「・・うん?」


前半は何となく理解出来る。


奇しくも素敵な幼馴染と巡り合ったおかげで、恵茉が惹かれる異性は滅多に存在しないのだ。


これまでも好きになった相手は、みんな優しくて、善良な人たちだった。


父親の早期リタイアという選択は、将来性という点においては一抹の不安を相手に植え付けてしまったようだけれど、それでも、恵茉が好んで仲良くなった人たちは、恵茉を故意に傷つけたりは絶対にしなかった。


それなら後半の命綱となんぞや?


乗馬経験なんてない恵茉なので、自分が必死に何かを握りしめているイメージがさっぱり湧かない。


慎重という事だろうか?


それならば納得がいく。


清匡が海外に行って以来、泣きつく先が無くなった恵茉は、改めて自分がどれだけ恵まれた環境に置かれていたのかを実感した。


面談の隙間時間にティーサロンに顔を出せば、清匡が居た頃のように予約済みの角席に通されて、特製のブレンドティーが真っ先に運ばれてくる。


ちょっと贅沢をして、シフォンケーキとアイスクリームの盛り合わせをセットで頼めば、これもどうぞと焼き立てのクッキーが出て来て、レジ前では立ち止まらせて貰えない。


財布を取り出そうものなら、支配人と清匡さんから叱られます、とスタッフ総出で首を振られる始末。


申し訳なくて足が遠のけば、巧弥が心配して誘い出して、スタッフが寂しがってるよと窘めて来る。


清匡が帰国してからは、恵茉がエントランスに姿を見せただけで歓迎の声を掛けられるようになった。


執務フロアに上がれば、秘書が次の訪問予定はいつでしょうか?と問いかけて来る。


淑女を作るのは取り巻きの人間、というのはよく言ったもので、清匡のテリトリーに居る限り、その扱いは彼の在席有無に関わらず継続するのだ。


執務室のソファで胡坐をかいたり、うっかり紅茶を零したり、時には拗ねたり泣いたり愚痴を言ったり八つ当たりをして本当にごめんなさい、と今更ながらの謝罪をしておく。


それら全てが決して当たり前ではない事を、もう恵茉は知っている。


だから、自分を律しようと慎重になる。


自分に責任を持つという事は、そういう事だ。


「私だって色々考えてるんだよ」


「あ、駄目よ。あんた頭で考えると駄目になるタイプだから。この仕事も、登録者の力になりたいって気持ちから入ってるでしょう、それでいいの。余計な計算はしなくてよろしい」


「・・・頭も使ってるけど!?」


「いつだって素直でいなさいって事よ。あんたが素直で居たら良い物が寄って来るし、悪い物は遠ざかる。あんたが素直で居たら、誰かがいつでも力を貸してくれる。これまでだってそうだったでしょう」


「うん・・・そうだね」


「だからその素直な心で、手放しちゃいけない人をしっかり捕まえておきなさいって言ってるのよ。人生なんてあっという間よぅ」


空っぽの手をぎゅっと握りしめてみる。


ふと髪を撫でた清匡の手を思い出した。


あの日不貞腐れた恵茉に、彼は誰にでもこんな風にしないよと呆れたように零したけれど。


この先恵茉が紹介した誰かに、彼が惹かれたら。


あの手はもう他の誰かのものになるのだと、当たり前の事をぼんやりと思った。





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