恋じゃないとは言わせない ~無自覚妹分女子と幼馴染ホテルマンのやんごとなき婚活事情~

宇月朋花

第1話 新婚マイナス700日

ご丁寧に職場のホテル【レガロマーレ】宛てに届けられた結婚報告のハガキに映っていた新郎新婦は、非の打ち所がない位幸せそうだった。


彼らの背中を押したのは他ならぬ自分で、確実にこの婚姻の立役者の一人なのだから、もう少し誇らしい気持ちになっても良い筈なのに、胸に湧き上がって来たのは、行き場のないやるせなさ。


自分でも、思っていた以上に彼女に惹かれていたらしい。


ホテルマンとして加賀美に生涯を捧げる覚悟を決めてから、自分以外の人間を最大限に尊重してもてなすことだけに意識を向けて来た。


いつの間にか染みついていたサービス精神は、職場の同僚達にも言えることで、自分の言葉を発するより先に相手の意図や気持ちを汲んでしまう性分だけは、もうどうしようもなく。


相手の気持ちを探る事を常として来たせいか、思った事を素直に口にして、それでも相手を少しも不愉快にしない彼女の気質は、新鮮で、どこか懐かしかった。


この人の前でなら、ホテルマンの顔も経営者としての顔も忘れられるかもしれない。


そんな期待を、ほんの少しだけ抱いたりもした。


東雲慧が、最初から最後まで必死になって彼女を隠そうとした理由が、今なら解る。


駆け引きとは無縁の誰かからの悪意や偽善も届かない場所に囲い込んでおきたかったのだろう。


彼の帰国前に出会っていたなら、もう少し勝算はあっただろうか、とふとそんな事を考えていたら、伸びて来た白い指先にひょいとハガキを抜き取られた。


出社した際に、自席にその他の郵便物と一緒に置かれていたものなので、見られてもなんら問題はない。


ホテル挙式を上げたカップルが、お礼を兼ねて挨拶状を送って来る事も珍しくは無かった。


ただ、その場合は、加賀谷清匡宛ではなくて、プランナー宛である事が殆どなのだが。


「なあに、キヨくん、憂い顔ぉ。あ、これ元カノだぁ?」


遠慮なしの物言いで、興味がありますと瞳を輝かせる年下の幼馴染に苦笑いを返す。


「違うよ」


「あ、じゃあ、振られた相手だ」


「まあ、そんなところかな」


「キヨくんは、お先にどうぞ、が板に着いちゃってるからなぁ、そんなんじゃ素敵な人にも逃げられちゃうよ」


社会人になってこの素直さは陰りを見せるかと思ったが、清匡の予想は外れてこの幼馴染の性質はブレる事無く真っ直ぐなままだ。


身内だけでなく、清匡の同僚達からも可愛がられている裏表のない性格は、このままで居て欲しいような、それはそれで心配が尽きないような、何とも言えない気持ちになる。


清匡の心配を他所に、まるで母親のようにしたり顔を見せる速水恵茉はやみえまに向かって、職場では絶対に見せない少しだけ意地の悪い笑みを向けた。


「恵茉みたいに、兄貴の結婚式で号泣してトイレから出て来られない位、俺も誰かをひたむきに追いかけてみたいよ」


「っちょ!それは言わないでよ!綺麗さっぱりすっきり過去は水に流したんだからね!」


むうっと眉根を寄せた恵茉が、剣吞な視線を寄越して来る。


清匡の兄である巧弥たくみが結婚して暫くは、この手の話題を振るたびにグズグズと鼻を啜っていたのだが、どうやら本当に吹っ切れたようだ。


恵茉が子供心にもバレバレの片思いを始めたのは小学生の頃。


所謂初恋というやつだ。


当時、家が近所だった加賀谷家と速水家は家族同士の交流があり、絵に描いたような優等生だった巧弥に、恵茉は一目惚れして夢中になった。


巧弥は恵茉を妹のように可愛がっていたけれど、それはあくまでも年下の女の子に対する親愛で、決して恋愛感情では無かった。


初恋が加賀谷巧弥というかなり高難易度のハードル設定をした恵茉のその後の恋愛遍歴は、悲しい位に不発で、何処にもやり場のない憤りをぶつける緩衝材に任命された清匡は、出来すぎる兄を持ったコンプレックスを唯一吐き出せる相手として、恵茉を任命した。


そうして不思議な感情共有の絆で結ばれた二人は、それから10年以上経った今も、良き相談相手兼友人という関係性を保っている。


「南さん、いい人だよ」


「知ってる!とんでもなく美人だしね!このまま私が生涯独身になっちゃったら、絶対老後は巧弥くんと南さんの子供に見てもらうんだから!」


「そうなる前に適当な所で手を打ちなさいよ」


「失恋したばっかの人に言われたくないですー」


「大丈夫。傷ついてないよ。見送る事には慣れてる」


強がりではなくそう言い切れるのは、これまでの経験則からだ。


物心付いた頃には、優秀な兄が遥か遠くを走っていて、彼に憧れを抱く視線ばかりを間近にして来たから、多くを望まない癖がついていた。


どうせ望んだって手に入らないのだから、過度な期待はしない方が良い。


兄が駄目なら弟の方で、と妥協案を出して来る女性の相手をしてやるほど優しくは無かったし、おこぼれに食らいつくほど自分を安く売るつもりもなかった。


この辺りは腐っても鯛なのだろう。


「元気出しなよ。きっとキヨくんじゃなきゃ駄目な人だっているから」


「恵茉に慰められたくないな・・・この間の男性顧客から、もう連絡は来てない?」


「ん、ありがとう。きちんとおばさんが話をして納得して、退会して貰った。暫く個別相談は止めるように言われたからそうするつもり」


「善意に付け込んで来る人間もいるっていう勉強になっただろ」


「んー・・・私が色々口を挟み過ぎて余計気持ちを混乱させたのかなって反省してる」


以後気を付けます、と殊勝に笑って見せた恵茉を一瞥して、こっそりと溜息を吐く。


人の良さだけで世の中を渡り歩いているような彼女に、後ろ暗い感情は教えたくないなとつい保護者的な思考になった。


「いつも当ホテルをご利用頂きありがとうございます。そろそろ面談の時間では?」


腕時計を軽く指先で叩くと、恵茉があ、と声を上げて立ち上がった。


「いつもお茶ごちそうさま!じゃあ、行ってきます!あ、可愛らしい花嫁さんだけど、キヨくんのお嫁さんっぽくはないよ、だから運命の人は別に居ます!ドンマイ!」


手にしていたハガキを執務机に返して、気安く清匡の肩を叩いた恵茉が、きりりと背筋を伸ばして部屋から出ていく。


去年までキャンパストートとスニーカーで、午後の講義まで時間潰させて!と執務室に押し掛けて来た女子大生と同一人物とは思えない。


女の子の成長はあっという間だ。


歩き慣れないパンプスでほんの一瞬よろめいた彼女が、苦笑いをして慎重にドアまで辿り着いた。


振り返ってひらひらと手を振る所は、昔から変わらず子供っぽい。


そこに安堵してしまう自分の立ち位置は、正常なのか、異常なのか。


就職先が決まらないまま大学卒業を迎えた恵茉に、真っ先に救いの手を差し伸べたのは当然清匡だった。


が、幼馴染にそこまで面倒を掛けられないとあっさりそれを突っぱねた恵茉は、ギックリ腰になった叔母のサポート役として、個人経営の結婚相談所に腰を落ち着かせてしまった。


父親が早期リタイアと同時に離島移住を決めてから、事実上の保護者代わりを務めて来た叔母との相性は、両親よりも良いらしく、仕事も楽しそうにしているので、安心はしていたが、結婚相手を探しにやって来た顧客男性の相談に親身になった挙句、婚活そっちのけで軽いストーカー被害にあったのはつい先日の事なので、気は抜けない。


今回は穏便に退会手続きまで持って行けたが全てがそうとは限らない。


危機管理についてもう少し根詰めて言い聞かせた方が良いかもしれないが、巧弥からの小言ならともかく、自分からの日常的な小言に加えたところで威力はないように思えた。


前回のストーカー事件以来、男性顧客との個別面談は控えるようにしているので、今日の面談は女性顧客の筈だ。


二階のティーサロンで、今頃叔母が、男性顧客の相談に乗っているだろう。


どうせ今日もラウンジで会うのだろうから、会議の後で少し様子を見に行ってみればいい。


出来すぎる兄の被害者でもある彼女には、それ相応の相手と幸せになって貰わなくては困る。


親の期待も他人の目も知った事かと、在学中に加賀美の外で生きて行くと意思表示をしてしまった巧弥は、以来一度も加賀美の名前も加賀谷の家も頼ることなく自立して生きている。


その上誰が見ても美人としか称しようがない生涯の伴侶を早々に捕まえて、思い描いた通りの人生を着実に歩いている。


彼にとって加賀美とは、取るに足らない歴史あるただの旅館で、そこに彼が生きて行く意味を見出す事は出来なかったのだ。


清匡とて、残された唯一の跡取りとしてこの場所に立ってはいるものの、生きて行く意味なんて見つけられてはいない。


出来ることといえば、せいぜい今ある物を失わず、後世に繋げていくだけだ。


幸い、兄の奔放さに手を焼いていた両親からは、過度な期待を寄せられることは無く、従業員たちは気の毒なおこぼれ次男を精一杯盛り立ててくれている。


窮屈な軋轢もなく、抜群の居心地の良さからスタートしたホテルマン人生は、ある意味、兄の背中を追い続けていた清匡へのご褒美でもあった。


野心家ではない清匡にとって今まで通りの堅実な経営は、難しい事ではなかったからだ。


恐らく、何年、何十年経っても、この場所を守る事だけを使命として生きて行くのだろう。


そして、いつか、遠い未来の繰り返す日常の中で、ふとあのハガキの笑顔を思い出して、ただ幸せを祈るのだろう。


そう、思っていた。






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