32話「小さな旅立ち」〈ルル編〉

 ゆっくりとベッドに降ろされた。


「大丈夫ですよ。さぁ、これに着替えて下さい」


 そう言ってルルの横に紫色の変わった服を置いた。メイド服じゃ……ない。

 ルルはクビ? もういらない?

 不安が募る。自然と涙が溢れてくる。


「大丈夫。私がここにいますよ」


 エスカノール様は優しくルルの頭を撫でる。

 ルルは用意された着替えに手をつけると、エスカノール様は背を向けて口を開く。


「ルル……お姉さんに、会いたいですか?」

「……え?」


 着替えが終わるとエスカノール様を見上げる。

 お姉……ちゃん? 会いたい。でも会えない。


「無理です。お姉ちゃんは知らない人に買われたです」


 するとエスカノール様は手帳を取り出した。

 それをルルに手渡す。


「……ルルのお姉さんの日記のようです。ルルを買った時にあの商人から買ったのです」


 ルルは日記に目を落とす。

 そこには――


『今日も奴隷としての私の人生が始まる。今日も私は奴隷商人に逆らえなかった。でも我慢しなくちゃ。私が逆らったら次はルルが私と同じ事を……それだけは絶対にダメ。我慢、しな……ちゃ』


 最後の方は滲んで読めない。

 お姉ちゃん……我慢してルルを守ってくれていた。

 涙が自然と溢れる。


 エスカノール様の大きくて温かい手が、ルルの頭を優しく包み込む。


「……辛かったんですね。お姉さんも……ルルも」


 エスカノール様は、ルルの頭を自分の胸に引き寄せた。

 その瞬間、詰まった水が一気に吹き出すように、ボロボロと涙が溢れ出てくる。

 ルルはエスカノール様の胸を濡らした。


 エスカノール様は、何も言わずただルルを抱きしめた。優しさと温もりを感じた。


「もう……大丈夫です」


 しばらくして、ルルはエスカノール様の胸の辺りが濡れて透けているのに気が付く。


「ごめん……です」


 濡れた胸を指して俯く。

 エスカノール様はニッコリと微笑んだ。


「大丈夫ですよ。ルルの気分が少しでも落ち着いたならこれくらい平気です」


 また溢れそうになる涙。

 でもルルは我慢した。

 その顔は酷かったと思う。


「ルル、お姉ちゃん探しに行くです」


 エスカノール様は、ルルの頭を優しく撫でると語りかける。


「では、明日にしましょうか」

「……?」

「今日はここでゆっくり休んで下さい」


 そう言ってエスカノール様はベッドから立ち上がった。


「……どうしましたか?」


 ルルは自然と、エスカノール様の大きくて男らしい腕を掴んでいた。

 行ってほしくない。今日で最後だから……。そう思ったら手が勝手に動いていた。


「……ここにいるです」


 ルルは俯きながらそう言った。急に恥ずかしくなってエスカノール様の顔をまともに見れなかった。


 エスカノール様は察したように、またベッドに座るとルルに安心感を与える。


「わかりました。私はここにいます。ルルはゆっくり眠って下さい」


 ルルは横になる。

 そして眠るまでずっと、エスカノール様の手を握っていた。


 起きるとエスカノール様の姿はなかった。

 ルルは洗面所で鏡を見ると、腫れて赤くなった目を冷やすように顔を洗った。

 そして部屋の扉がノックされる。


「ルル、準備が出来たら行きますよ」


 安心感のある優しい声がルルを呼ぶ。

 エスカノール様が待ってる。ルルはそそくさと準備すると部屋の扉を開けた。


「待たせたです」

「では、行きましょう」


 ルルの前を歩く大きな背中を見つめる。

 廊下には、トニスさんが見える。トニスさんはルルを睨み付け憎しみに溢れた顔をしていた。


 ルルは通り過ぎるまで目を逸らした。

 でも今はあまり怖くなかった。エスカノール様がいたから。


 外には、この屋敷に来た時と同じ馬車が止まっていた。


「さぁ、乗ってください」


 あの時と同じ。エスカノール様は馬車の扉を開けてルルが乗るのを待った。

 あの時と違うのは気持ち。ルルの心にかかっていた霧が晴れたような気分だった。


 ルルの後に続き、エスカノール様も馬車に乗る。

 扉を静かに閉めた。


「わっ……」


 ルルの頭に、ここに来た時に被っていた三角帽子を乗せる。


「ルルの帽子です。大切なんですよね」

「ありがとう……です」


 エスカノール様の微笑みに返すように、ルルもちょっとだけ笑顔になれた気がした。


「初めて笑ってくれました」

「……」


 ルルは笑顔を見せた事が恥ずかしくなって、横を向いた。

 それから街の出口に着くまでは口を開かなかった。最後だけど……何を話していいかわからなかった。ずっと窓の外を……流れる街の風景を眺めていた。

 初めてみるかもしれない。ずっと閉じ込められていたから。


 そして馬車が止まった。


「着きましたよ」


 エスカノール様が笑顔を見せる。

 先に降りたエスカノール様の後を追い、ルルもゆっくりと外に出る。

 そしてエスカノール様は、出口まで先行すると口を開いた。


「では、気を付けて下さい」

「……」


 何を言えばいいのかわからなかった。


「ルルは強いです。これ、持っていって下さい」


 そう言って差し出したのはフクロウのようなものだった。


「フクロウ……」


 そう呟くとエスカノール様は笑顔で答える。


「これは、お姉さんを探すのに役に立つと思いますよ。名前はポポといいます。匂いを覚えて行方を追ってくれます。衝撃には弱いので取り扱い注意ですが」

「ありがとうです」


 エスカノール様からのプレゼント。そう思うとルルはポポを抱きしめた。

 するとポポはルルの肩に乗って、首を小刻みに動かしている。


「では、また……お会いしましょう」


 またいつか、会えるんだ。そう思ったらルルは口元が緩んで、エスカノール様に手を振った。

 そして振り向かず、街の外に向かう。

 ルルが見えなくなるまでずっと、エスカノール様は見守ってくれていた、ような気がする。

 振り向かなくてもわかる。エスカノール様はそういう人だから。


『ありがとうです』


 小さく呟くと自然と笑みが溢れた。そしてルルは、街の外に広がる砂漠の海に入って行った。

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