三題噺【猫、バス、煙突】の巻

@donndokodonn

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【三題噺:「猫・バス・煙突」】


 田舎ならでは、大きくないバス。そのバスの一つの優先席には毎回同じ猫が居座っている。朝に乗って帰りに乗ったバスでもいつもの位置、一つしかないドアから見て3つ目の優先席にその猫はいつもいる。その猫に関する法則を私の経験からまとめてみる。いつも同じ運転手さんのバスに乗っていて、私が二度(朝、帰り)に見掛けるのは決まって同じ運転手さんのとき。帰りに乗るバスの時間帯が違っても、運転手さんが変わらなければその猫はいつだっている。そして、毎回決まって同じ席、前から3番目の優先席に居座っている。地方のバスだから、空いていることの方が多い。だから、普段はずっとそこにいる。しかし、雨などで偶にバスがパンパンになることがあるが、そんな日はその猫を見掛けることもない。運転手さんにそのことを聞いてみると、彼も頭をポリポリと搔きながら、話してくれた。初老を迎え、表情から優しさが滲み出ている目の前の男性。長い人生の中であらゆることを受け止めてきたのだろうか。心の余裕を感じさせる。


「あぁ、あの子かい。雨というか……人の多くなる日には乗らないんだ。

もし朝バスががらがらで夕方から人が増えたような日でもね……未来のことでも見えてるのかね、不思議なもんだね」


 あの猫と仲の良いであろう運転手さんですら、このように言う。猫は雨を感じることができる、とかそんなことを聞いたことがあるような気がするが、天候に関わらずその日のバスの状況を察せられるのであれば、それは単に猫の感覚ではなく、未来予知ができる、と考えるのも納得がいく。

 ある日のバス車内。少なくないことではないが、その日私が乗り込んだバスはあの運転手と猫しか乗せていなかった。その黒ぶち猫は赤色の優先席、いつもと同じ席に寝転がっている。その日は何となく、他に乗客もいないからとその猫と通路を挟んでの2人用席に座って、揺れる車内の中、その猫の様子をしばらく見てみようと思ったのだ。そもそも、よく居合わせはするが、この猫のことをまじまじと観察しようとしたことすらなかった。

 にしても、揺れる車体の中をこの猫はいつもの席に居座っている。まぁ、このバスの常連客だからこの揺れなんか慣れっこか。ふと、車窓に工場から伸びる煙突、そして煙。何とも言えない田舎ならでは、工場。少し薄暗い空の中では色のない工場も消えてなくなってるんじゃないかと思ってたのに思ったより黒色が濃かったのか、今日の空の中で異様な存在感を放っていた。いつもだったら見向きもしない。通路を隔てたあの猫のように。何個もバス停を過ぎていき、それでも誰もバスに乗ることはなく、車内はいつもとは少し違った空気を感じた。ただバスが揺れて、がたことと。結局、最後までこのバスに誰かが乗り込むこともなく、猫がみゃお、と鳴くこともなく、安全運転で私の最寄りのバス停に到着してしまった。

 もし私が物語の主人公ならば、いつもと違う、に何かを感じて終点までバスにいよう、そうして帰り、ぽてぽてと歩きながら、結局今日は何だったんだろう、と思考にふけるのだろう。しかし、私は物語の主人公でもなければ、一般人。明日も出勤なのにそんなことしてられっか。いつものようにバスを降り、バスがぶるるんと走り去っていくのを少しだけ見届ける。そうしたら、遠くない自宅へと徒歩。ものの数分。そうして自宅に着いてすることなせば、もう明日。おやすみなさい。

 翌日。いつもの時間にバスは来る。日本という国はバスすらも時間を守る。そんな今日も昨夜ぶりの運転手さんだった。小さいバス。一つしかないドアは運転手側にある。運転手さんが爽やかにおはようございます、と声を掛けてくれ、それに反応して同じように挨拶を口にする。そうして、空いている一人席に収まるとバスはぶるると音鳴らし、動き始めた。

 今日はあの猫がいなかった。いつものあの席には化粧のけばいおばさんが荷物を多く抱え、何とか収まっていた。となると、今日の帰り……まぁ、何時ごろかはわからないが、人が多くなるのだろう。そう考えると、少しだけ憂鬱な気分になってしまう。しかし、そんなことを気にせず、このバスは目的地に向かって、ただ走り続ける。それに揺られるだけで、決まった場所になれば、私もここから降りるだけなのだ。今日は金曜日。そう考えると、沈んだ気持ちも少しだけ晴れたような気分になった。

 翌日。梅雨真っ只中、かと思われていた今日。しかし、この日はやたらと暑かった。日差しが痛い。そして、眩しい。アスファルトは熱をこちらに向けてくる。休日出勤。よりによって、こんな暑い日に出勤させないでくれ、と。それでもそんな思いを神も会社は知らんがな。今日もバスに乗り込む。いつもより早めに出勤して終わらせよう、と。

 いつもの運転手さんが「あぁ、今週もですか」と和やかな笑顔を向け、こちらも軽く会釈をする。そうして、がらがらの車内で適当な席に着くと、今日はあの猫がいないことに気づく。あぁ、いないんだ。ってことは午後はバスが混むのか、と。まぁ、午前で帰るつもりだから関係ないか、と思っていると、バスは揺れ始めた。冷えた車内は私に籠った熱をどこかに逃がしていった。

 何故だ、何故だ。午前中に帰るつもりが、今は何時だというのだ。現状を理解できない。それでも腕時計に目をやると午後5時。いつもに比べたら早めに帰ることができている、にしても。相変わらず、冷えた車内は私の頭まで冷やすつもりか。しかし、これでも私の会社はホワイト。先週も今日も休日にも関わらず会ってしまった上司さんが「来週どっか休んでもいいよ、俺が出るし」と提案して下さった。……。ホワイトなのだろうか。ふと隣の、通路を挟んで見える優先席。そう、あの猫のいつもの席には名前は知らないが、おばあちゃんがよく持っている小さいキャリーバッグを手にするおばあちゃんが穏やかに座っていた。こちらの視線におばあちゃんは気付いたようでにこりと微笑んで、話しかけてきた。

「あの猫ちゃん、今日はいないみたいなの……珍しいわね」そう、語り掛けた。あれ、そういえば今日は車内が空いているというのにあの猫はいなかったのか。とはいえ、所詮は猫ということか。未来のことは読めないこともあるのか。それとも、今日はバスの気分ではなかったか。まぁ、猫だ。気まぐれにゃんこ、というやつだ。運転手さんはいつもの人、お疲れ様です、と声を掛けてくださり、こちらもお勤めご苦労様です、と声を掛け、バスを降りた。

 月曜日はすぐにやってきた。もうか、と思いながらバスに乗る。今日もあの猫はいなかった。火曜、水曜と運転手さんはずっとあの人だったのに、猫は顔を見せずにいた。

 今週、上司さんの提案に乗り、金曜日午前で上がれるよう、調整してもらっていた。いつもよりは幾分か暑さがマシに思えたが、それでもお昼時だ。暑い。いつものバスに乗り、帰宅。金曜お昼時、人はろくにいない。猫もいない。今週はずっと猫を見ていない。どうしたのだろうか。降りる間際、私が「猫」と溢しただけで運転手さんは首を振り、どうしたんですかね、あのお客様は……と言葉を返してくれた。あの人も見ていないのなら、そもそもあの猫はこのバスにすら、ということになる。バスを降りて自宅までの帰り道、あの猫のことしか頭にはなかった。今までそんなことはなかったのに。あんな話を聞いてしまったから。

 しかし、ふと歩いていた道の途中にある、曲がり角が気になった。今まで気になったことなんてないのに、だ。金曜日だし、と謎の理由を付けて今日は遠回りしてみることにした。どうせ明日は何もないんだ。帰りなんて気にする必要はない、とまだ午後になったばかり。アスファルトはただ太陽の熱い視線をこちらに反射させていた。

 今まで曲がったこともないから、見えてくるのは知らない景色ばかり。なんでこんな道に来てしまったんだ、と金曜日に浮かれた自分が恨めしく思えてきたそんな頃だった。


「にゃお」


 猫の声がした。最初は空耳かと思っていたが、そうではない。何度も猫が鳴いているのだから空耳なんかではないのだ。音の在処を耳を頼りに探してみると、そこには猫がいた。そりゃ、そうだ。猫の鳴き声がしたんだから。でも、そこには何匹の猫とあのバスの常連客様がいらっしゃった。常連客様は暑さにでもやられて横たわっているのかと最初は思ったが、そうではない。元気がない、というか。生気がないような。私がその体に触れようとしても、周りでにゃおにゃお鳴いている猫はこちらを威嚇することなくその場にいたから触れさせてもらった。あぁ、この方はもう……。とても生きているものとは思えない温度をそこに感じた。あぁ、もしかしたらこの猫たちは泣いていたのかもしれない。もしかしたらこの猫はあの常連客様ではないんじゃないか。でも、毎日ではないとはいえ、あんなに同じバスで何度も面を見てきたのにここで顔を間違えるか。しかし、ここに一匹の死があることには変わりない。もしかしたら人違いかもしれない。たまたま何日もいなかっただけかもしれない。

 また、月曜日が来た。今日もあの顔はない。真実を知るつもりもない。







・付け加え

猫について調べていたときの情報。猫は天気を察することができるらしいこと。

猫は死に際が近くなると飼い主のそばを離れようとするらしい、こと。今回の話の参考にしたが、実際はどうなのか。
















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