青垣の中の楽園
結局その日はどうにもならなかった。
三淵くんは市役所から警備部の応援を連れてきたが、玄関や窓を壊して侵入するのには和田親子が反対した。遠巻きにして監視しているうちに日が暮れてしまい、そうすると皆だれてきて、家の周りに封印を施し、何日か様子を見ることになった。
靴を取られた和田親子には、店にあったサンダルを貸して、仮住まいにしている市役所の宿舎へ帰ってもらった。
店で一人になって、私はふへーと変なため息を漏らしながら、奥の間の畳に寝転がった。
あの本はこれからどうなるだろう。今日のところは引き上げたが、警備部も何日も監視だけではいられないはずだ。となればいつかは突入、本は廃棄処分だ。
やまとは国のまほろば、って確か古事記だったな。古事記なら店にある。
畳からゆっくり起き上がる。私はただの本屋だが、ただの本屋は本が好きなのだ。
夜中になるまで待って、私は行動を起こした。
明かりは持たず、店の古事記を持って例の家に向かう。近所だから五分もかからないで着いた。玄関の前まで来ると、誰もいないのを確認して警備部が張ったロープを乗り越えた。
ドアに手を当て、つぶやく。
「ねえ、開けて。私は味方だから」
ドアノブに手をかけるが、昼と同じように動かない。
「あなたを助けに来たのよ。このままだとあなた、廃棄されちゃうかもしれない」
「解呪しなくちゃ、ドアは開かないよ」
「誰!」
思わず叫んでしまい、口に手を当てる。庭の方から出てきたのは三淵くんだった。
「ごめんごめん、脅かしちゃった?」
「何やってんの三淵くん。こんな時間にこんなところで」
「それはこっちのセリフだよ」
三淵くんは歯を見せずに笑った。
「泊まり込みで見張りをしてたんだ。庭にテントを張って」
「テント? よくそこまでやるわね」
「当然だよ。夜中に怪異が暴れ出したら大変だし、逆に外から良からぬことを企む者が来るかもしれないし、ついでに宿直手当も出るし。ところでその本、何?」
慌てて本を持った手を背中に回したがもう遅い。私は天を仰いだ。
「白状するわ。良からぬことを企んでました」
「本をすり替えに来たの?」
「そう。ここにあるのをもらって、その代わり店にあった本を置いていくつもりだった。明日、怪異は抜けましたねって言って何食わぬ顔でこの本を回収すれば完全犯罪だったのに」
三淵くんは肩をすくめた。
「最近はミステリーでも読んでるの? アキちゃんすぐ影響されるから」
「失礼な。ミステリーとSFは読書家のたしなみよ」
「たしなみねえ。まあそれはともかく、家にはどうやって入るつもりだったの」
「そ、それは……。真剣に頼めばなんとかなるかなと」
「その考えはちょっと甘いな」
三淵くんは軽く首を振る。
「本当は明日試すつもりだったけど、せっかくアキちゃんが来たんだからやってみるか」
ドアノブを握って息を吸いこんでから、ゆっくりと言った。
「やまとは国のまほろば。たたなづく青垣、山ごもれる。やまとし
ノブは音もなく回った。
「歌が解呪の方法だったの⁉︎」
三淵くんはそう、とうなずいた。
「テントの中で暇だったからずっと考えてたんだ。『やまとは国のまほろば』ってヤマトタケルの歌でしょ。
「三淵くんの感想はいいから話を進めて」
「うーん、ちゃんと後で関係してくるんだけど、とりあえず先に行こう。『垣根に守られた楽園』って、本の視点でいうとこの家のことでもある。だから美夜さんが歌を読んだ時、僕たちは追い出されたんだ」
私は月明かりに白く浮かび上がる家を見上げた。
「この家が本を守る楽園になったってこと?」
「その通り」
「ずいぶん小さな楽園ね。それで、解呪できた理由は?」
「そこがさっき言いかけた泣きポイントだよ。この歌、ヤマトタケルの辞世なんだ。異郷から、故郷の大和を偲んで詠ったんだよ。つまり『楽園』は現実ではなくて、想像の中にしか存在しない。それが最後の『やまとし麗し』に込められている」
「うーん、わかるようなわからないような」
「昼間、美夜さんは『山ごもれる』までしか読まなかったでしょ。だから怪異が中途半端に目覚めて、この家が楽園になってしまった。最初から全部読んでいたら、楽園は想像の中、怪異は本の中に収まったはずだ」
「うっ……」
それは途中で美夜さんを遮った私のせいでもある。
「仕方ない、これは事故だよ」
三淵くんは私の肩をぽんと叩いた。
「さあ、中へ」
リビングは月明かりが差しこんで思ったより明るかった。鏡のような床の上に、ちょこんと正座するように例の本があった。
「クロは確定だけど、一応調べておくか」
三淵くんは背負っていたビジネスリュックを床に置くと、中から手のひらに収まるくらいの小さな単眼鏡を取り出し、目に当てた。怪異を判定するための道具だ。
「ふーん、やっぱり怪異だね。元々人だったのかはわからないけど、変質した魂が憑いてる。幸いあまり強くはないみたいだ。かなり古いから劣化してきてるのかもしれない」
「廃棄されちゃうの?」
「このくらいの強さなら、警備部の設備でもなんとかなるね」
私は黙って唇を噛んだ。
三淵くんは私の方を見ながら、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「この本にとっての楽園は本の中だけだよね。だったら、封印しておけば危険はない。まあ警備部に言っても通じないけど」
私は三淵くんを見返した。封印された書物の保管場所なら、他に一つ知っている。
三淵くんは私から視線をそらしてぽつりと言った。
「いいんじゃない、アキちゃんのアイデア」
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