さんまとSFと消えた作家

 三時間後、私は店の裏庭に七輪を置いてさんまを焼いていた。さんまはものすごく脂が乗っていて、身が焼けるのにつれてその脂がぽたぽた落ち、もうもうと煙が上がる。私は縁側に腰掛けてふた昔くらい前の翻訳物のSFを読みながら、時々うちわでばたばたやる。古いSFはさすがに設定にいろいろ穴があるし、訳も時代を感じる。「狂剣士」というのが何のことかさっぱりだったが、考えてみると多分バーサーカーだ。今となっては日本語の方がわからない。西暦二千百年代のはずなのになんとなく執筆当時の世界観なのも微笑ましい。けれど面白い。

「火力が落ちてるよ」

「おっと」

 私は慌ててうちわを振り回した。煙の直撃を受けてごほごほ咳込んでから、時間通りに現れた三淵くんは私の文庫本をつまみ上げた。

「シェクリイか。渋いの読んでるね」

「うん」

 渋いというのを褒め言葉と受け止めてうなずき、私は三淵くんを見上げた。

 尾形氏と同じくらいの長身に落ち着いた風情、理知的なものを強く感じる切れ長の目、薄くまっすぐに閉じられた口元など、黙っていれば三淵くんは知性的で非常に整った風貌をしている。あくまでも黙っていれば、だが。

「今読むと厳しいところもあるけど、アイデアは抜群に面白いよ」

「でも店の商品、魚くさくしちゃっていいの?」

 三淵くんは本を鼻のところに持っていって匂いをかぐ仕草をする。こんなふうに急に軽くなるところが幻滅だ。

「これは私の蔵書です」

 私は本を取り返した。本屋のわりに、私は本の取り扱いがぞんざいだ。もちろん商品は丁寧に扱うが、自分のものは、あまりきれいにしておこうという意識がない。むしろ多少古びたほうが手に馴染む気がする。

「くたびれた文庫本片手にって、なんかハードボイルドじゃない?」

 その途端に煙を吸いこんで私はむせた。

「状況からいうなら、ボイルドじゃなくてスモークドだね」

「つまらん」

 本を縁側に放り出して、さんまの火の通りを確かめる。

「そろそろいいかな」

 さんまをトングでつかみ、用意の長皿に乗せていく。

「ちょっと炭が多かったな。火、消しといてもらえる? 炭はそこの壺に入れて蓋しとけばいいから。私は上でご飯の準備してるね」

「了解」

 一階は全て店舗に使っているから、生活スペースは二階が主だ。お盆に長皿を乗せ、裏庭に面した廊下を通って、その端の階段を上る。窓際のテーブルに料理を揃えていると、三淵くんが上ってきた。

「火の始末はしてきたよ」

「ありがとう。こっちも準備完了」

「じゃあ遠慮なく、いただきます」

 私と向かい合わせで座った三淵くんは丁寧に両手を合わせると、満面の笑みを浮かべた。

「焼き魚食べるの、久しぶりだなあ。外食だとどうしても肉系に行っちゃうし、そもそも食べないことも多いし」

 私たち既死者には本来食事の必要がない。プノイマを吸収していれば活動できるからだ。だがそれだけではあまりに味気ないから、多くの人はプノイマを食材に変換したものを食べている。ただ電気機器がないから料理のハードルが高く、外食ばかりとなりやすい。面倒くさいといって食べない人も一定数いる。

 そもそもプノイマを食材ではなく料理に変換したらいいようなものだが、料理の変換コストはものすごく高い。食材は必需品扱いだが、料理は嗜好品という区分けらしい。

 私は食べるのが好きなので三食きちんと何か口にする。外食だけではプノイマが足りないから必然的に自炊の腕が上がり、時々こうやって誰かを招待している。

「おいしいね、このさんま。なんというか、ほくほくしてる」

 三淵くんは幸せそうに口を動かしている。

「身が太って、脂も乗ってるからね」

 私も一箸取って口に放りこんだ。噛む前に身が崩れ、湯気と一緒に青魚の香りが抜けていく。

「私、ビール飲みたくなってきた」

 ありがたいことに酒類の変換コストはそれほど高くない。

「お酒はダメだよ。この後があるんだから」

 三淵くんは小さく首を振る。

「わかってる。言ってみただけ」

 私は箸を置いてほうじ茶をすすった。

「――食べながらだけど、いい?」

「いいよ。次回は栗ご飯ね」

「何言ってんだあんたは」

「冗談じょうだん。最初から聞かせてくれる?」

 細くて鋭い三淵くんの目が輝いた。私はもう一口お茶を飲んでから、お昼の一部始終を伝えた。


 細部まで思い出して伝えていたために話は長くなり、私が語り終えるころにはさんまはあらかた骨になっていた。

「ああおいしかった。やっぱりさんまは七輪だねえ」

 三淵くんは満足そうに椅子の背もたれに寄りかかって頭を上に向けている。

「ちゃんと話聞いてた?」

 私は骨の間のワタを箸でつつきながら聞く。今度は日本酒が欲しくなってきた。

「もちろん聞いてたさ」

 三淵くんは天井を見つめて答える。

「電話をもらった後で調べてみたよ、黒田谷堂について。そうしたら面白いことがわかった。谷堂はね、陰府に渡ってない」

「えっ」

 私は混乱した。

「で、でも市役所から遺言を渡されたって尾形さんが言ってたよ」

「うん、それは僕も確かめた。住民課で七年半前に遺言を預かって、住民登録を抹消してる」

 ぐっと三淵くんの顔が近づく。

「住民課の記録に当たった後、教導部に行って調べたんだ。そうしたら、谷堂を陰府に送った記録がなかった」

「記録がない? 脱走でもしたの?」

 普通、住民登録の抹消を終えた市民はそのまま市の教導部に付き添われて忘却の川に入り、陰府に向かう。付き添うといえば聞こえがいいが実際は護送というのが近く、脱走なんて事件は数年に一度あるかないかだし、脱走者は指名手配される。黒田谷堂のような有名人が脱走すれば、知らない者はないくらいの事件になるはずだが、そんな話を聞いた覚えがない。

「脱走とは言ってない」

 三淵くんは視線をそらした。

「教導部の古参の人に聞いたんだ。住民登録の抹消が終わってから教導部に引き渡されるまでのわずかな間に、谷堂は消えたそうだ」

「消えた?」

「そう。困った市役所は、教導部に管轄が移る前だから脱走ではなく行方不明、ということで処理してしまった」

「はあ……。お役所的というか」

「実際お役所なんだから仕方ないさ」

「で、結局谷堂はどこに……」

 行ったのか、と聞こうとしてはっと気がついた。

「まさか」

 三淵くんは目でうなずき、人差し指を真下に向けた。

「おそらくこの店の地下だよ。『蝉の雨』の中」

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