最期に笑うは、海
尊ろ字
前の天皇さまが崩御されて、新しい天皇さまと元号が世に出て、それから二年ほどして、わたしと
物心つく頃には、軍が帝国を仕切ってる状況にいた。
将校サマ達は強いんだから心配すんなと、近所のにいちゃんはずっと教えてくれた。そんなにいちゃんも、徴兵に行ったのをよく覚えてる。誇りだから気にすんなと、最後に頭をわしゃわしゃ撫でてくれた。
とうさんは中国との戦争に放っぽり出されて、かあさんは生まれたばかりの弟の面倒を見るので精一杯で、ねえさん達も早くに嫁に行ってしまった。そんなわたしを気にかけてくれていたのが、近所に住む勝吉。徴兵で連れてかれたにいちゃんの、歳の離れた弟だった。
「
毎朝、することもないわたしを連れて、田んぼの周りで喋って、日が暮れたら一緒に帰っていた。学校の内容も戦争、戦争と面白くないし、勝吉がたまに聞かせてくれるにいちゃんの昔話のほうがよっぽど好きだった。
「おれのにいちゃんはな、きょうも満州で敵をいっぱい倒しとるに違いない!」
自信で満ち溢れていて、優しくて、強くて、かっこいい勝吉が、ずっと好きだった。わたしも、いつかねえさん達みたいに結婚して、幸せに暮らすんだと思っていた。
ある日、うちに数人の大人が、びっしりした制服を着てやってきた。それは、戦死者を遺族に伝えるための軍からの派遣者だった。
教えられた戦死者の中には、とうさんも、勝吉のとうさんとにいちゃんも、一番上のねえさんの旦那さんの名前もあった。
わたしとかあさんと、赤ん坊の弟はいっぱい泣いた。気づけば勝吉がいつもみたいに家に来ていて、わたしを外に連れ出した。
「おれのひみつきち、海美にだけ特別に教えたるから、もう泣くな」
勝吉は男の子だからか、すっかり泣いていなかった。すこし腫れた瞼は、太陽の光のせいでよく見えなかった。
「海美は、将来の夢ってある?」
身長の何倍もある大きな木と、それを囲うようにして植えられた低木との間には、子供が数人入るほどの隙間はある。
物資不足の中で、ちいちゃな建物なんかもないが、「勝吉のひみつきち」と乱雑な字で書かれたベニヤ板の看板が立っていた。
土の上に座り込んで、見上げれば木の葉が日陰代わりに涼ませてくれていた。
「わたしの、ゆめ……戦争に、勝って、またみんなで幸せに暮らすこと」
どいつといたりあと、その他にも強い国と同盟を結んだ帝国が負けるわけない。過去の大きな戦争でも勝ってばかりいたし、列強の仲間入りをするほどの武力は備わっているはず、だから。
以前のように家族全員が揃うことは叶わなくても、命が尽きていない人々と、幸せに暮らしたいだけ。
大きくも、小さくもある、ぜいたく。
「勝吉の、ゆめは?」
「おれ? おれは、あのでっかい空をおれのもんにして、色んなとこを飛び回る!」
立ち上がって両手をいっぱいに広げて、勝吉は高らかに宣言してみせた。細い腕と脚と腹を見たわたしは、抱き締める気も失せてしまった。
今でも鮮明に思い出せる情景は、もう五年ほど前のおはなし。
ついに、勝吉の家に、ひとつの赤紙が届いてしまった。軍人に値する年齢に差し掛かったばかりで、嫌でも国外の様子を想像してしまった。
彼が旅立つ日、止めてはいけないと思って、涙だけは何としても見せないよう、必死に笑顔を振り撒いた。
「しょお、勝吉。わたし、ずっと、待ってるから。ぜったい、かえってくるんだよ!」
「そんなん、言われんでも帰ってくるつもりやけど?」
にっこり笑って、帽子を深く被り直して、行くきりになってしまう切符を切られた勝吉と、その後会うことはないと知っていた。
お国のためだなんて言わずに、戦争なんて行かずに、わたしの隣にいてほしいって言いたかった。でも、そんなこと言って悲しむのは勝吉だけじゃないとも分かっていた。
だから口を噤んでしまった。
列車に乗った勝吉の顔は、軍帽の影でよく分からなかった。嬉しそうにも、悲しそうにも見えた。
既に帝国の行く先を悟っていたのは、わたしだけではなかった。
やはり、戦況は悪い方向に傾いた、らしい。
帝国よりも先に同盟国が白旗を上げて、至る所で大きな空襲があって、ヒロシマとナガサキに原子爆弾が落とされて、国民も大勢死んだ。わたしが勤めていた工場で一緒に働いていた、行方不明だった友達らしき肉塊の、焼死体が見つかった。
丸焦げの赤ん坊を持った母親は、弟の名前を泣き叫んでいた。それからは、よく覚えていない。
ラヂオから流れてくる、天皇陛下の玉音放送で、戦争が終わったことを知った。帝国は敗北、今度あめりかに統治されることになったらしい。夢は叶うはずもなく、潰えた。
勝吉は、骨一つでさえ帰ってこなかった。勝吉のお母さんに聞けば、太平洋の大きな魚に食べられたんでしょうって、笑われた。
結局、最期まで、告白のひとつもできなかったのに。
「空、きれいやったんかなあ」
彼が最期に見た景色は、空か、海か、灰色か。
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