俺と旧くろのみ町

雪子

第1話 墓場で冷笑する少年 俺こと、大観鋼始郎

 始まりはいつも突然で、日常が人間にはどうしようもない力で理不尽に、潰れてしまうものだ。

 だけど、それに至る過程や道筋は必ずある。


 見えなくても、感じなくても、覚えていなくても、この天と地がある限り、消したはずの痕跡は、けして滅びることはなく、何らかしらの力が働けば、不死鳥のごとく、浮き上がってしまうものなのかもしれない。


 ならば、この手で何度でも葬ってやる。


 悪と断言されようと、焼いて、潰して、粉にしてやろう。塵になって、大気中に溶けこんでしまえ。


 忘却の彼方に追いやってやるよ。


 ヤツらにはソレがお似合いだ。







 ──天気は曇り空。

 天気予報によれば降水確率が低かったし、体感的に雨が降る気配はない。

 暑くもなく、寒くもなく、あいまいな天気だと思う。


 だけど、墓参りには最適だ。


 くろのみ墓地の一角で、俺こと大観おおみ鋼始郎こうしろうは水を含ませたスポンジで墓石を軽く撫でるように洗いながら思った。


「ばぁちゃん……」

 一通りお墓の掃除を終えると、線香を一本立てる。

 先端を赤くチリチリと光らせながら、白い煙が昇っていく。つん、と鼻に特有の香りがかかった。墓前に立って、手を合わせる。


「愛している。だけど、恨んでもいる。都会よりも田舎のほうが情操教育がいいとか言って、俺を転校させたところとか」


 当時小学二年生だった鋼始郎おれは、昔祖母が暮らしていたという田舎……旧・くろのみ町、現・混音こんね市に越してきた。


 大雑把に言えば、家庭の事情と俺の教育方針。


 共働きで双方それなりの地位についているためか、仕事が忙しい両親は、鋼始郎の教育を祖母に一任していた。


 幼かった俺は必然的に頼れる肉親が祖母だったこともあって、祖母の言うことによく聞く、典型的なおばあちゃんっ子のいい子であった。

 なので、拒否権なんてものはないのと同じ。



「転校ってね……子どもにとって一大事件だぜ。今まで培ってきた友人関係は白紙になってさ。世界がひっくり返った気分になる……」


 祖母は田舎で余生を送りがたいがために、鋼始郎おれを出汁にしたのだということは、幼いながらもうすうす感づいていた。


 もちろん、祖母なりの優しさもある。

 愛されていたというのは、わかっているつもりだ。


 ただ、都会もんに毒されると、偏見と言いがかりで、故郷に孫を連れて戻ったことには、疑問がある。


 祖母を素直に尊敬できない理由の一つだ。


「ばぁちゃんにとって、くろのみ町は思い出補正でいいところに思えたのだろうけどさ。考えが甘いよ……同年代の子がまったくいないって結構きついよ!」


 そう、旧・くろのみ町は、少子高齢化の波にのまれた田舎だったのだ。


 最終的に隣の混音市に吸収合併。


 そのため俺が今住んでいる家の住所は『三絃さんげん群くろのみ町大字黄魁おうかい橋下はしした×××番地』から『混音市黄魁町×××』へと変わった。


「同級生どころか、同世代が居なくて、学校で一人ぼっちって……ばぁちゃんが危惧していた、イジメは起きなかった。けど、孤独感が半端なかったぜ」


 強制ぼっちである。


 くろのみ町に来るまで、社交的なほうだったから、余計一人ぼっちは辛かったのかもな。


(いくらネットが普及していても、生身じゃないと……)

 確かに、周りに人間がいなかったわけじゃないが、切磋琢磨を促す、同世代が欲しかった。


 俺はこの町に来て、くだらなくても気楽さに満ちていた、友だち同士の会話のありがたさを思い知った。


「そのぼっち問題も、ばぁちゃんも知っての通り、解決したけどさ」


 小学校二年の時に転校して、ぼっち生活二年目に突入しそうだった頃。

 混音市との合併という話題に乗ってきた不動産会社がありまして。

 風光明媚なところで、自然が売りの土地に、豪華マンションを建てて人を呼ぼうとしたらしく、集合住宅が完成した。


 その名も、黄魁マンション。


 そのマンションに越してきた住民の中に、俺と同い年の少年少女が二人いた。

 一人だけの教室から、三人の教室になる。相変わらず少ない人数ではあるが、この町から着てやっと念願の同世代の友だちを作れたことには、感動するしかなかった。


「そう、友希帆ゆきほ曜丙ようへい……小四の時、やっとだよ、ばあちゃん」

 二年という短い付き合いでも、この卒業までの時間は濃厚であったと思う。


「まぁ、結局俺たちは三人のままだけどな……」

 マンション計画の柱である、人を呼び込むことに失敗したって可能性もあるが、田舎に子連れが来るとは限らない。


 市政たよりを俺なりに読み解く限り、子育て支援に積極的に取り組んでいる様子もなかったし。


 むしろ二人もこんな何もない田舎に来たのは、行幸だったのかもしれない。


「さぁって、綺麗になったな、ばぁちゃん」

 俺は祖母の墓掃除をやり遂げると、額の汗をぬぐい、達成感に酔いしれた。

 曇天だろうと、墓掃除だろうと、掃除した後の爽やかさの前には、陰気は吹っ飛ぶもの。


 我ながら、いい仕事をしたと、ほれぼれするね。


「この中では一等愛されているって思われるぜ。よかったな」

 この中こと、くろのみ墓地は比較的新しい墓石が多いのだが、最低限の手入れしかされていないのか、全体的に薄汚れていて、所々に鳥の糞やら、ナメクジの跡が残っていて、不気味というよりも不潔な墓が多いのだ。


 建てたのはいいが、手入れがなされていない墓は、憐れだ。


 綺麗になったばかりの祖母の墓と比較すると、暗く荒れたそれらは、よけい惨めに見える。

「フッ。無様だな」


 薄笑いを浮かべ、所詮死んだ人間なんか、そんな扱いなのだと、心の底から嘲笑った。


 どうしてここまで冷淡な笑いがこみ上げてくるかわからなかったが、小学生と言えば、箸が転げ落ちても、面白がる年頃なので、深い意味はないだろうと、この時は気にならなかった。


「じゃぁな、ばあちゃん。今度は小学校を卒業した後かな。中学の制服姿、見せてあげる」


 俺は墓洗いセットを入れたバケツを持ち、立ち上がる。


 最後に無機質な石の塊たちを再びクツクツと冷笑すると、墓場から立ち去ったのであった。

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