第3話 初めてのお客さま

 『アンジェの代筆屋』

 盾形の看板には便箋と羽根ペンの絵が添えてある。これなら文字が読めない人にも意味が分かるはずだ。

 私は看板を見上げて満足する。目線を下げれば真新しく白く塗りなおされた外壁が日の光を浴びて輝いていた。

 入口の左右には鉢植えが置いてあり、季節の花が咲いている。

 お店の顔の部分の印象は大切だ。これなら気軽に入りやすい親しみやすさを感じて貰えるかな。

 鍵を開けて自分のお店に入った。扉に取りつけている小さなベルがチリンと心地よく響く。

 入ってすぐに目立つのは、大きなカウンターだ。どっしりと重厚感のある板材を使ってある。その奥が私がお客様を迎える定位置になった。

 脚の長い椅子が置いてあって疲れたら座ることもできる。

 奥の切れ込みには小さな厨房があり、お湯を沸かすぐらいのことは可能だ。

 カウンターから少し離れた場所には衝立があり、その向こうには書き物ができる小さなテーブルと椅子が三脚置いてある。その横の台には紙の束とインク壺、羽ペンなどが揃えてあった。

 テーブルは日中に日が当たる窓のそばにあり十分な採光ができるようになっている。

 レースのものと青い厚地の二種類のカーテンが窓の上から下がっていた。私は青いカーテンをタッセルで留める。一気に部屋の中が明るくなった。

 私は腰に手を当ててお店の中をぐるりと見渡す。

 居心地のいい仕上がりになったんじゃないかしら。

 チリンとベルが鳴る。

 扉の方を見るとマルコが入ってくるところだった。

「お早うございます。アンジェリーナ様」

「お早う。マルコ」

 マルコはモチェニーゴの家の近くに住む十五歳の男の子。店番としてモチェニーゴさんが推薦した。粗暴なところが無く、機転が利くらしい。ただ、体があまり丈夫ではなく同じ年頃の男の子がするような力仕事は厳しく、働き口がなく困っているところだったそうだ。

 変な客避けにぜひとも雇った方がいいと、モチェニーゴさんに熱心に勧められて受付として採用を決めた。

 女性一人だとお客とも呼べないような面倒な人が居座って無駄な長話をすることもあるらしい。

 荒事には向かなそうだけど、確かに誰か居てくれるだけで心強いかも。

 マルコはすぐにテキパキと掃除を始める。私が手を出そうとすると止められた。

「万が一、お怪我をされては字がかけなくなります。そのならないために僕が雇われているのですから。お茶を淹れますのでそれでも飲んでいてください」

 私はマルコの言葉に素直に甘える。私が手を出してもむしろ仕上がりが悪くなるだけだろう。

 お客がちゃんと来てくれるかドキドキしながらカウンターの中でお茶を飲む。セシーヌさんが淹れてくれるのと遜色のないお茶の味に密かに驚いた。

 私より六つも年下の男の子なのに……。つくづく自分の生活能力の無さを感じてしまい、首を横に振る。

「淹れ方が気に入りませんか?」

 マルコが不安そうな顔をして私の方を見ていた。その表情は修道院で飼っていた犬を思い出させる。人懐っこくて番犬としては微妙だったけれど、みんなの人気者だった。

「いいえ。美味しいわよ。ちょっと考え事をしていただけ」

 マルコはほっとしたように仕事に戻った。

 あらかた掃除は終わったようだ。

 私はドアにかけた札を裏返し「営業中」の面を表にした。

 開店日を今日にしたのには意味がある。

 セルバ市にある国営の伝馬駅に手紙が届くのは、週に一度だ。今日はその週に一度の日にあたる。

 手紙が届いたものの字が読めない人の代わりに読み上げ、返事を書くお手伝いをするのが私の仕事。

 商売敵がいる中で、私にも依頼が回ってくる勝算はあった。

 この業界、他所はみな年齢の高い男性ばかりなのだ。

 もともと読み書きのできる人は多くないし、女性となればよほど裕福でない限り、自分の名前を書けるのがやっとというのがほとんどだ。

 王国内ではラーラ語とギリア語を使う人が混在している。ここセルリア地方はラーラ語の方が多いが全員というわけじゃない。さらに貿易の相手が使うニーア語やメルカント語という外国の言葉もあった。

 それらが全部できて、私は女性だ。

 遠方に出稼ぎに出ている幼馴染がいるとしよう。お互いに憎からず思っている相手から手紙が届いたとして、おじさんと女の子どちらに読んでもらいたいか?

 答えは聞くまでも無い。

 もし私が読み書きができなかったとしたら、絶対に女の子を選ぶ。まあ、人柄は気になるけどね。

 私が信頼できる人物ということはセシーヌさんがその人脈を使って広めてくれていた。商店や辻々で開かれる井戸端会議の力は侮れない。

 だから、お客さんは来てくれる。

 そう信じていたけれど、実際のところは分からなかった。

 チリン。

 はっとして顔を上げる。

 私と同じくらいの年頃の女性がおずおずと中をのぞきこんでいた。

「ようこそアンジェの代筆屋へ」

 明るく声をかけると中に足を踏み入れてくる。マルコは隅で目立たないようにしていた。

「あのう。アンジェリーナさんですか?」

「はい、そうです」

「若いのに本当に……字が読めるんですか?」

「もちろん読めるし、書けますよ。ラーラ語、ギリア語、ニーア語とメルカント語ができます」

「口が堅いってことですけど?」

「例え逆さづりにされたってお客様の秘密はしゃべりません」

 しかつめらしい顔をする。

 大げさな台詞が女性の緊張感を解きほぐしたらしく、わずかに白い歯を見せた。

 女性はかばんから封がされた紙を取り出す。遠くから運ばれてきたのか少しよれていた。

「これを読んでもらえますか?」

 私は封筒の表面にちらりと視線を走らせる。

「シーラさん。代金は便箋一枚につき五サンスですがよろしいですか?」

 代読料金はパン一切れの値段と変わらない。

 シーラさんは急に自分の名前を呼ばれてびっくりする。そして、宛名を読んだのだと気が付いてにっこりした。

 私はシーラさんを窓際の小テーブルに案内する。

 腰掛けてもらうと私は小さな鋏を取り出した。ナイフで開けてもいいけれど、絶対にこっちの方が可愛らしい。

「あら、素敵」

 封筒をそっと両手で挟んでテーブルへトントンと軽く打ち合わせ、中の手紙を端に寄せる。

 開封する瞬間の期待感、高揚感はいいものだ。相手の想いも一緒に封じ込まれている気がする。それは代書屋のものではなく宛名人のものだ。

 だから私は開封はお客さんの手でするようにお勧めする。

「こちらの鋏を使ってください」

 シーラさんは封筒の端を鋏で切り取る。ジョキリジョキリ。

 丁寧に畳まれた手紙を広げ鼻から大きく息を吸うシーラさんに私は微笑みかけた。

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