英雄の話

 モニターから割れんばかりの歓声が沸いた。

『負け知らずのイロアス! これで三十一連勝! 歴代の記録を塗り替えた!』

 被毛はむしられ、赤い血の滴る傷が痛々しい。相手のグリフォンは虫の息で地に伏している。

 肩で息をするイロアスは、片足を引き摺りながら今まで対峙していた相手のもとへ向かう。

「かっこいい……」

 エルピスは思わず呟いていた。心の底から吐露した言葉だった。

 そのとき、監視官がぱしん、と鞭を鳴らした。

「お前、手を動かせ」

 エルピスは項垂れながら「すみません」と呟いた。それでもエルピスの心は浮き足立っていた。

 ここは戦闘用にも観賞用にも満たないグリフォンが収容される施設、通称鳥籠。

 ここの労働の名目は、いずれ社会復帰した際の小遣いを稼ぐための内職だが、エルピスがその賃金を目にしたことはまだない。エルピスどころかずっとここにいるグリフォンですらみたことがないらしい。

 確かめようにも内職中は私語が禁止されているので就業後から就寝時間までの間でしか聞きようがない。

 前に「ここは地獄だ」と大人のグリフォンから聞いたことがある。しかし、エルピスは鳥籠出身なので外の世界を知らなかった。比較のしようがなかったのだ。


 夜になり仕事を終えると、エルピスは収容区画の端に向かった。黒いフェンスが隔てるのは、戦闘用グリフォンのいる区画だった。

「イロアス!」

 エルピスに呼ばれたグリフォンは振り返る。今日の戦闘の怪我が痛々しい。

「テレビ見てたよ! かっこよかった!」

「エルピス、そんなこと言うんじゃない」

 イロアスは真剣な表情で諭す。しかし、エルピスは興奮冷めやらぬ様子で言葉を続ける。

「違うよ、イロアスが対戦相手を背負って連れていってただろう? その事だよ」

 するとイロアスは「ああ……」と複雑そうな表情で視線を落とした。

 グリフォン同士を闘わせて喜ぶのは人間たちだけで、当のグリフォンたちは好き好んで闘っている訳ではない。戦闘に勝てるよう改良されたり過酷なトレーニングを強制させられたり、場合によっては質の悪い薬を打たれたりして無理やり興奮状態にさせられることもある。劣悪な環境で使い物にならなければ最終的に処理され被毛として売られてしまう。グリフォンたちも生きるのに必死なのだ。

 イロアスもそのうちの一人で、連勝を続けることが義務となっている。他のグリフォンが対イロアス用に育成される時間だけ寿命が伸びるためだ。戦闘用のグリフォンたちが考えた苦肉の延命措置だった。

「……私は、もう限界なんだ……」

「え?」

 項垂れるイロアスの嘴から漏れた声は弱々しく今にも消えてしまいそうな程だった。

「だから、お前がなんだよ、エルピス」

 フェンス越しに頬を撫でるイロアスは慈しむような視線で微笑みかけてくる。エルピスは悲しむイロアスを見たくないばかりに、空元気を出した。

「そう! 僕の名前はエルピス希望だよ!」

「ああ、そうだよ。頼んだよ」

 イロアスが言い含めた意味はわからなかった。一時的でもイロアスが元気になるなら、エルピスはピエロになることを選んだ。

「エルピス!」

 そのとき、掠れた声が宿舎から聞こえた。

 闘ったわけでもないのに脚を引き摺りながらエルピスの元へ駆け寄ってくる。背負う翼は片方しかない。

「なんだ、イロアスか……」

 片翼のグリフォンは安堵し肩を落とした。

「監視官にでも見えたか?」

 イロアスはニヤリとほくそ笑んだ。

「最近、子供を懐柔して売りにだす監視官がいるらしくてな」

「それは良くない話だな」

 笑顔だったイロアスはうって変わり怖い表情になった。眉間に皺を寄せた大人が二人、エルピスは面白くなかった。

 二人はエルピスのことなど眼中にないように話し込み、辺りはあっという間に闇に包まれた。あるのは宿舎入り口の灯りのみ。あとはグリフォンの瞳が光るだけだった。

「よし、じゃあ抜かりなく」

「ああ、そっちも」

「……すまないと思ってるんだ。こんな役回りをさせて」

「なに、私しかいないさ。そんな大役を任せられて光栄だよ」

 イロアスはからりと笑った。本当に喜んでいるのか喉がクルルと鳴っている。

 エルピスはなぜかそれがひどく悲しいことのような気がして笑えなかった。

「ねえ、エクシプ……」

「何も聞くな」

 そう言ったエクシプはひどく辛そうで、またエルピスは悲しくなった。「僕はエルピス希望なんだろう?」そう言って喜ばせたがったができなかった。

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