第18話 合否発表(その二)


「続いては、木蓮だな」

「はいっ!」


 木蓮の声が裏返った。

 緊張しているのだろうか。彼女は思いのほか物怖じしない性格だ。そんな彼女が固くなっているのは、それだけこの採用試験に命運を賭しているからなのか。


「希望通りの千五百ベルクなら雇われたい?」

「はい、やった、よろしくお願いします、ありがとうございますっ!」


 木蓮が勢いよく席から立ち上がる。


「まだ採用するとは言ってないんだが」

「そんな、一思いに言ってください!」


 普段はおっとりして見えるが……意外と喧しい声も出るらしい。

 リズの好奇の視線とぶつかると、彼女は我を取り戻したように頬を赤くし、席に着いた。

 未だにこの人物は掴めないが、せっぱ詰まっていることだけはどうやら確かだ。


 パブロが胡散臭そうな目で彼女を見る。


「例えば、履歴書を出して欲しいと言ったら、提出できそう?」

「かなり白いと思います。たぶん出す意味がないくらいに」


「雇うに当たっての懸念はそこなんだよな。どこから来た何者なのか、説明してもらえる?」

「ごめんなさい、それは法律に触れます。できないんです」


 法律に触れる……。そんなことがあろうか。

 木蓮は一言、補足する。


「亡命者とだけ」


 パブロが天井を仰ぐ。


「元の名前を捨て、身分を捨て、あらゆる痕跡を消すことを条件にこの国が受け入れた。それはなぜか。他国から追手が掛かったり、身柄を引き渡せと要求があったり、面倒なことになると予想されたからだ。どこかの要人か?」


「どうなんでしょう」


「でもな、この必死さを見るに、職に就けずに苦労してるだろうからな。かと言って、面倒をしょい込むのもな……」


 木蓮が懇願の目でパブロを見る。パブロが目を逸らす。


「今、どこに住んでる?」


「ここから電車で十駅くらい離れたところに貸し倉庫があるんです。でも泊まってるのがバレたら追い出されそうなんですよ」


「そりゃそうだろ、想像以上にヤバいな」


「この国に入ったのは割と最近なんですが、あ、これ秘密ですよ。で、当時はそれなりにお金もあって、安めの家を借りていました。でも、素性を隠すと色々と支障が出てきて、職も長続きせず……あ、その、近くに貸しシャワーとかランドリーとかあるので、服と体は清潔ですよ」


 リズは彼女の着ていたヨレヨレのワンピースを思い出す。今は白衣の下で見えないが、あれが一張羅なのだろうか。


「職と住所さえあれば……私はもっと活躍できます、先生に尽くせます。それを望むのなら先生より偉くなりますし、歴史に名前だって刻んでみせます。どうか、チャンスを下さい!」


 そこまで言える彼女は、やはりすごいと思う。


「はあ……」


 パブロが苦しげに言葉を吐き出す。


「分かった。月給八百ベルク、粗末な部屋と飯付き、光熱費込み。どう?」


 こうして、彼女は勝利を掴み取った。

 木蓮の顔がぱっと輝く。


「いいに決まってます、十分すぎます、ああ、こんな私のために、本当にありがとうございます!」


 彼女は感謝を捲し立てたかと思うと、今度は両手で顔を覆って俯いてしまった。

 万感胸に迫るとはこのことか……。


 亡命者。

 ご令嬢のリズには想像も及ばない。ただ、彼女が血のにじむような努力の果てにこの場所に辿り着いたことだけはわかる。

 彼女の働く姿は、それだけの経験を滲ませていたからだ。


「さて、お次は」


 パブロの視線がリズを捉える。

 とうとう順番が来てしまった。用意はなにもない。空疎な志望動機が頭の中にあるだけだ。深く息を吸い、リズは背筋を伸ばす。


 パブロがリズの改まった態度を一瞥する。

 そして、言いにくそうに声を落とした。


「結論から言ってしまうと、リズ、君は雇えない」


 交渉の余地もない――不可。

 意に反して、変な笑いが出た。


 どこかで過信していた。

 合格と太鼓判を押され、どちらを取ろうか悩むものだと決め付けていた。それが蓋を開けてみれば……

 やはり親の力がないとこんなものなのか。


 ――ああ、そうなんだ。不合格か……。他の二人は合格だったのに、自分一人だけ不合格なのか。考えてみれば発表の順番も三番目だったし、そうだよね。


 ……実力もないのに変に期待して、馬鹿みたい。


 自嘲の笑いと同時に涙が出てきた。

 ――マズい。

 格好悪すぎる。こんな感傷的な人間だと思われたくないのに……それが悔しくて余計に涙が出る。


「いや、誤解だ、そうじゃないんだ」


 パブロは涙に弱のか、浮気現場でも見られたような台詞を吐いた。


「予算に限りがあると言ったろ、月給三千五百は無理だ。それに、その水準のところに受かる見込みがあるなら、そちらへ行った方が将来性があるだろ」


 そういう意味か。早とちりをしたのもまた、馬鹿みたいだ。

 涙は止まりそうにない。

 悔しくて泣いたのは小学校の運動会以来か――十年分くらいの涙が溜まっていたんだろう。この際、全部ここに捨てていこう。


「将来性? それを決めるのは私ですよ、先生じゃない!」


「そうは言ってもな、山麓支店は不安定な職場だ。依頼がいつなくなるかもしれんし、国の補助金も途絶えるかもしれん。いつ潰れるかも分かったもんじゃない。そういうのを楽しめる奴の職場だ」


「楽しめるか決めるのも私です。雇える金額だったら結果はどうでしたか、私は合格ですか、不合格ですか」


 パブロは気圧されたように体を後ろにそらす。


「待て待て、ちなみに聞かせてくれ。内定をもらえそうだと言っていたな。それはどこのことだ」


 もはや、隠す意味もあるまい。


「オーストウッド病院です。実は既に内定をもらっています。そこの内科部長からこの採用試験を受けて来るよう言われたんです。理由なんて知りません。力試しのつもりで受けて、こちらの仕事の魅力にも気付いたんです」


「どういうことだ。内科部長ってのは誰だ」

「ジェームズ・ベア教授」

「知らんな」


 知らないでは話が進まない。

 リズは脇にあった鞄をたぐり寄せ、漁り始める。この中に、あのとき渡されたサングラスを入れたはず。


 ……あった。


「知りませんか。いつもこんなサングラスを着けている熊みたいな」


 泣き腫らして赤くなった目の上に、ギラギラしたスポーツサングラスを着けた。ベアの印象の八割はこのサングラスだ。思い出すのではないか。


 ツボに入ったのか木蓮が突っ伏して震え始めた。

 失礼な奴め、後で覚えていろ。


「ああ、いたいた、そんな奴。そのサングラスどうしたんだ」

「無理やり渡されました」

「そうか、うん、良かったな。それはそうと、確かにそいつとは話したことがある気がするな。学会か何かで会ったときだったか……」


 思い出そうとしているのか、パブロは少しの間、じっと一点を見詰めてぶつぶつ呟いた。


「今のオーストウッドがどうだとか、最近の新人は優秀だとか、新しい制度がどうとか。たしか、病院の交流……」


 そこでふと、パブロが言いさした。

 そして、顔を上げる。


「本当にベアから依頼されて受験したんだな」

「はい、受験してこいとだけ言われて。たとえ受かってもオーストウッドでの内定に影響はないからと……」


「なるほど」


 彼は何かを悟ったように、悪そうな笑みを浮かべた。

 一人で分かった気になられても困る。リズはサングラスを外してパブロを見詰める。

 すると、彼は不可解なことを言った。


「ベアに伝えて欲しいことがある。これから言う事をよく覚えてくれ」

「え、はい」

「リズの能力は合格に値する。雇いたいとは思うが、後ろにベア教授がいるのなら不合格にせざるを得ない。その方が効率的だからだ」


 彼の見込み違いでなければ、それだけで何もかもが上手く回るのだという。


 騙されてはいまいか――?

 説得が面倒になって、その場しのぎの御託を並べただけではないのか。リズの疑り深い性分が警鐘を鳴らす。


 それでも――彼の真っすぐな目を見た瞬間、そんなちっぽけな疑いは全部消えさった。そして、強く悟ったのである。

 私はここで、彼のもとで働くことになるだろうと。


「たぶん、また会うだろう」


 パブロがそう締め括って立ち上がった。

 長い一日が終わろうとしている。


「さあ、今日はこれで解散だ。駅まで送ろう。木蓮は明日から荷物を運んで来い、店の空き部屋を使わせてやる」


 これが、山麓支店の採用試験の全容であった。






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