異世界ロケーションサービス Co.

イツミキトテカ

第1話

 石造りの、殺風景で小さな事務所に、リンリンと小気味よい電話の音が鳴り響く。その瞬間、待ってましたとばかりにすらりとした細い指が伸びた。


「はい!『異世界ロケーションサービス』です。え…? 違います…。弊社では異世界のロケ地をコーディネートさせていただいております。はい……ええ……蕎麦屋じゃありません」


 そう言って、がちゃりと受話器を置き、がっかりしたようにため息をつく美少女。彼女の名はシェリー。陶器のような白い肌、そのもち肌によく映える銀色の長い髪、加えて、白くふさふさした毛並みの耳と尻尾を持つ「ニンゲン+犬」っぽい生き物。この世界では「クー族」と呼ばれる種族である。


 彼女がいる場所は、電話でも言っていたとおり『異世界ロケーションサービス Co.』、その事務所。これも先に言ったとおりだが、異世界のロケ地をコーディネートする会社である。


 この小さな事務所にはデスクが2つしかない。1つはもちろん、今シェリーが使っているデスクである。小さいながらも工夫を凝らし、綺麗に整理整頓されていて、いかにも使い勝手が良さそうだ。彼女の真面目で前向きな性格をよく表している。


 それに比べてもう一方はどうだ。


 窓際にあるその大きなデスクは、乱雑に物が置かれ、見るからにとっ散らかっている。そのうえ、丸まった紙くずだとか、飲みかけのコーヒーだとか、へんてこな木彫りの何かだとか、そんなものばかりで大したものは置いていない。 


 そのデスクの主はというと、背もたれに全身を預けたまま読みかけの新聞を顔に載せ、時折何かむにゃむにゃ言っていた。


 この国『ツェルヴェ』は常冬の国。室内の暖房設備が充分整っているとはいえ、珍しく窓から差し込んだ自然の陽光が、手ぐすね引いていざなう睡魔に抗える者など存在しない。


 ―ただ、うららかな陽の光があろうとなかろうと、たいていこの男はだらりとしているのだが…。


 シェリーはそんな男の体たらくを見下ろしながら、軽く息を吸って勢いよく吐き出した。


「社長! また蕎麦屋さんと間違えられましたよ!」

「へあっ」


 突然の大声に、社長と呼ばれた男は情けない声をはねあげて椅子から崩れ落ちた。彼の名はタチバナ。中肉中背、少し猫背、剃り残しのヒゲに、よれよれシャツのくたびれた中年のニンゲン。この世界ではまだ名前の無い種族である。


 タチバナは本能から安眠の地である社長椅子に再びよじ登った。そして、何が起きたかわからない様子でしぱしぱと目をしょぼつかせた。


「なに? なに?」


 シェリーがキュゥンと鳴く。


「だからぁ! また蕎麦屋さんと間違えて電話が掛かってきたんです。いい加減番号変えましょうよぉ」

「なんだ、そんなことか」


 タチバナは自分で聞いておきながら、途端に興味を失った。床に散らばった新聞紙を椅子に座ったまま手だけ伸ばしてものぐさに拾い始める。そして、ただでさえとっ散らかった机にまた懲りもせず無造作に置くと、一仕事終えたとばかりに大きく伸びをした。


「却下。番号変えたらお客さん困るでしょうが」


 シェリーはムッとして頬を膨らませる。


「そもそもお客さんがいないじゃないですかっ。最近は蕎麦屋さんの電話ばっかり取ってますよ!」


 最近できた蕎麦屋の電話番号が、どうやら『異世界ロケーションサービス Co.』の電話番号と最後の一桁以外全く同じらしく、間違い電話がひっきりなしに掛かってくるようになっていた。


 多少の間違い電話はこの会社の存続に必要不可欠なアクシデントだ。しかし、新しくできた蕎麦屋は何がそんなに良いのか、すこぶる大繁盛らしく、あまりにも頻繁に掛かってくるので、めっぽう辛抱強いシェリーもさすがに気が滅入っているのである。


「そうは言ってもさぁ」


 彼女の苦労を知ってか知らずか腑抜けた声が返事する。タチバナはすっかり冷め切ったコーヒーに口を付け、顔をしかめた。


からに連絡出来ないんだからしょうがないでしょうよ。番号変えたらまた0からになっちまう」


 シェリーは冬眠準備に勤しむリスのように大きく頬を膨らませた。一体何年一緒に働いていると思っているのだ。出会いから数えるとさらに長い。彼のについては当然熟知している。


「そんなこと、分かってます」


 言いながら、純白でふさふさのご自慢の尻尾がゆっくり左右に揺れた。


「おっ、シェリちゃん、ご機嫌だねぇ」


 シェリーはタチバナをキッと睨みつけた。


「これは、イライラしてるんです!! 新しいコーヒー淹れてきますっ」


 そう言って、シェリーはタチバナのマグカップを乱暴につかみ取ると、自分は飲みもしない黒い液体を淹れ直しに出ていった。



「まったく犬心は難しいぜ…」


 殺風景な事務所に一人残されたタチバナは、大して思ってもいない独り言を呟いたあと、上に向かって大きく伸びをした。彼は基本的にいつも気怠い。に来たときに賦与された彼のスキルが彼の意思とは関係なく発動し、常にごっそり体力を持っていくからだ。


 その時、リンリンと小気味よい電話の音が小さな事務所にまたしても響き渡った。この会社に電話は一つしか存在しない。そして今、シェリーちゃんはここにはいない。


「はいはい、俺が取りますよ」


 タチバナはおもむろに立ち上がると、のっそりとした足取りでシェリーのデスクに向かい、電話線の繋がっていない赤色のダイヤル式電話器に手を伸ばした。


「はいもしもし。うちは蕎麦屋じゃないんですよ」


 タチバナは見えない相手に先制攻撃を仕掛けた。どうせ蕎麦の注文だろう。そう思いながらシェリーのデスクを見るともなく見回す。デスクマットの隅っこに、イケメンアイドルがウインクしている雑誌の切り抜きが挟まっていた。シェリーの最推し『城風しろかぜひかる』である。ご丁寧にラミネート加工され、デコレーションまで施されている。


 たしか数年前からファンだったはずだ。シェリーの相変わらずの御執心振りに思わず笑みがこぼれる。そんなことを考えていたから、タチバナは電話が繋がっていることをすっかり失念していた。


「蕎麦がないならうどんをお願いしようかな、橘くん?」


 電話越しに聞き覚えのある陽気な男の声。我に返ったタチバナは丸眼鏡で大柄な男の茶目っ気のある笑顔を頭に浮かべ、思わず顔を綻ばせた。


「その声は…布袋監督! 三年ぶりじゃないですか。儲かりすぎて引退したのかと思ってましたよ」


 電話の相手は大きな笑い声をあげた。


「儲かりすぎて世間が引退させてくれないんだよ」

「はぁ〜羨ましいこって。で、今度はどんなロケ地をご所望で?」

「うん。中世ヨーロッパみたいな街をピックアップしてほしい」


 この世界でよく見られる典型的な街だ。タチバナは早くもいくつか候補を思い浮かべながら、軽く頷いた。


「12〜13世紀くらいのイメージ?」

「うんうんそのくらい。できればいろんな種族が一緒に暮らしているほうがいいね。シェリーちゃんみたいなケモミミ多めで」

「海より? 山より?」

「海よりだけど海沿いじゃないところ」

「季節は?」

「どれかというと春かな」

「了解」


 ロケ地の選定は済んだ。それから、二、三、質問し、スケジュールを打ち合わせ、とりあえず手の甲にメモをとり、タチバナは静かに受話器を降ろした。


「ふぅ」


 一仕事を終え顔を上げると、ちょうどシェリーが熱々のブラックコーヒーをお盆に載せ、こちらに向かってやってくるところだった。


「布袋監督からだった」


 電話を指差しながらタチバナは自分の席に戻る。コースターをずいっと前に押しやり、淹れたてのコーヒーをいまかいまかと待ちわびる。声を掛けられたシェリーは一瞬何のことかときょとんとしていたが、すぐに状況を理解するとコーヒーを零しかねない勢いでタチバナを振り返った。


「お仕事の依頼ですか?!」

「そう。『ベルガ』にしようと思う」


 タチバナは次の出張先を告げたあと、催促するようにコースターの端を軽くトントンした。そして、シェリーの尻尾に気が付き、怯えたように身を縮めた。


「えっ、なに? なんで怒ってるの?」


 シェリーの尻尾はブンブンに振り回されている。当の本人は言われて初めて気がついたらしい。新雪のようにきめ細かな白い頬が一瞬にして朱に染まった。


「こ、これは、嬉しいんです! わんわん!!」


 久しぶりの仕事。久しぶりのタチバナ以外のニンゲン。これは興奮せずにはいられない。


 この日、シェリーは自分ではどうにもコントロール出来ない尻尾をしばらく振り続けていた。

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