第9話 #アカウント泥棒(解決編)

「犯人がわかった」

 私は彼にそうチャットを送り、前と同じ喫茶店で待ち合わせすることにした。

 翌日、喫茶店を椿に任せ、私は犯人の家へと向かう。扉の横にあるインターホンを押すと犯人が顔を出した。

「こんにちは」

 私が声をかけると、

「兄ならいませんよ。出かけてます」

「今日は真紀ちゃんに用があるの」

「私に?」

 一拍置いて、私は言った。

「龍太郎君にアカウントを返して欲しいの」

 犯人は目を丸くした。

「どうして、わかったんですか?」

「認めるのね」

「……」

「少し話をさせてくれるかな?」

 前と同じようにリビングの椅子に座る。真紀ちゃんも私と向かい合う席に座った。

 犯人の前で推理を披露するのは変な気持ちだ。それでも、一応私は推理した内容を話すことにした。

「一緒に住んでいるあなたが龍太郎君のスマホに触るのは難しくない。アカウントを自分の物にすることもね。問題は二つ。どうやってスマホのパスワードを知るか、そもそもどうしてアカウントを盗んだのか」

 確かに彼女はパスワードの由来を知らず、四桁とはいえ偶然見つけられるものではない。

 しかし、パスワードの由来を知らなくても、パスワードを知る方法はあるのだ。

「前者は簡単。あなたは彼の自転車を使った」

 龍太郎君が塾に行こうとしたあの夜、彼が自転車を使ったのだと思っていた。

しかし、彼はこう言った。

「歩いて帰る」と。

 つまり、自転車は彼が使ったわけではない。消去法的に自転車を使ったのが真紀ちゃんになる。

「前会ったとき、あなたは歩いて塾に向かっていた。でも、この前の金曜日は違った。光弘君と遅くまで遊んでいたから、自転車を使わざるを得なかった」

 大事なのは自転車を使えることではない。

自転車にはダイヤル錠がかかっていて、彼女は鍵の暗証番号を知っていることだ。

スマホと同じ四桁のパスワードを。

「……」

 はぁ、と私はため息をついて、

「パスワードを使いまわすのはどうかと思うけど、あなたに悪用されるなんて考えてなかったんでしょうね」

 なぜなら、彼女には動機が無い。彼が容疑者候補に入れず、私に言わなかったのも無理はない。好きな子の誕生日という観点に囚われていれば、私だってこの可能性に気付かなかった。

「たまたまだったんです。自転車と同じパスワードを入れたら、たまたま中に入れて、それで」

「アカウントを盗んだ」

「はい」

 とにかく謎は全て解けた。

 しかし、問題はこれからだ。

「龍太郎君にアカウントを返してあげて」

「……」

 固く結んだ唇には強い否定の意思が見えた。

「あのね、あなたはお兄さんのことを悪く言うけど、今回は明らかに君が悪い」

 私は顔を近づけて、

「お兄さんにそのまま話すことだって出来たけど、私はしなかった。二人の関係に傷を付けたくなかったから。……お願いだから、素直に渡して」

「いやです」

 彼女は身を縮めるように背を丸めた。

「私にはこれが必要なんです」

「ひどいこと言うんだね」

 彼女の懇願を私は冷たくあしらった。

「そのアカウントを一番必要としているのは龍太郎君だよ。あなたは盗んだだけ。最初から君の物じゃない。……今やっていることが正しいと本当に思ってる?」

「……」

 根は良い子なのだろう。言葉にしなくても気持ちがぐらついたのがわかった。もう少しだ。説得のためさらに言葉を重ねようとして。

 玄関の扉が開く音がした。

 乱暴な足音がこちらに近づいてくる。

 程なくして龍太郎君が姿を見せた。

 途端に空気がピリッとひりつく。

「……」

 にらみつける龍太郎君。

 おびえる真紀ちゃん。

 彼の後ろにいる椿の唇が動く。

ごめん、バレた。

龍太郎君が歩み寄る。

「お前がやったんだな」

 沈黙を続ける真紀ちゃんを問い詰める。

「お前が盗んだんだな!」

 彼が拳を振り上げる。

 それが振り下ろされる前に椿が止めた。

「ダメ」

 静かで、でも、彼を抑えるだけの気迫があった。友達の私にも見せたことが無い真剣な表情だった。

 それは龍太郎君にも伝わっていた。

「……っ!何だよ……!」

 今にも泣きそうな顔で真紀ちゃんを指さす。

「悪いのはこいつなのに!」

 彼は椿の手を振り払うと、上に続く階段を駆け上がっていた。乱暴な足音が消えた後には無言の空間だけが残される。

「椿、真紀ちゃんのことをお願い」

 泣き出した彼女を椿に押し付ける。

「どうするの?」

 それは私が聞きたいくらいだ。

 それでも。

「話すの。できるだけ、やってみる」


 階段を昇りきった先にあった龍太郎君の部屋は、当然ながら固く閉ざされていた。完璧な密室で私が入り込む余地はない。

 私は扉に寄りかかって座る。

「……少し、話そうか」

 扉の向こうから返事は無い。

 長期戦は望むところだ。

「気持ちが落ち着いたら、もう一度真紀ちゃんと話をして欲しいんだ」

「……」

「君に隠そうとした私に言う資格はないかもしれない。こうなる気がしてたから、君に話す勇気が無かったんだ。……ごめんね、隠し事なんてするべきじゃなかった」

「……」

「ごめん、本当にごめん」

「……謝んなくていいよ」

 ぶっきらぼうな声が私の耳に届いた。

「悪いのは真紀だ。あいつが俺からまた盗んだんだ」

「また?」

 私の質問に彼は答えてくれた。ずっと考えていたんだろう、文句がすらすら彼の口からついて出る。

「俺の自転車だって勝手に使われて。前に俺が文句言ったら、母さんが使わせてやれって。お兄ちゃんだから我慢しろ、って、いつもそればかりだ」

 ぼそりと最後に付け足す。

「いつも俺ばかりだ」

 それが龍太郎君の本音だった。

 だとすれば、私も隠し事はナシだ。

「私、もう一つ隠していたことがあるの」

「……?」

「私ね、お母さんのこと、嫌いだった」

 

 家族は素晴らしいと皆が言う。

 でも、完璧な家族なんてどこにもない。どこの家族にだって欠陥があって、上手く行かないこともたくさんある。

 私とお母さんもそんな欠陥を抱えていた。

「口を開けばお説教、私が何を見せても無反応。あれをするな、これをしろ、いちいちうるさくて。一度言ったことがあるの、『お母さんは私が嫌いなんだ。だから意地悪ばかりするんだ!』って。そしたら、馬鹿なこと言うなと殴られた。……大嫌いだった」

 私は良い子では無かったし、記憶の中の母も良い母親であった記憶はない。思えば、初めての子育てに悪戦苦闘していたのだろう。

「いなくなってからようやく気が付いた。馬鹿なのは私だったんだよ。冬に洗い物したことある?手が荒れて痛くなるの。ご飯を作ったことある?一生懸命作ったのに全然美味しくならなかった。他にもたくさん、お母さんはずっと頑張ってた。愛してなかったら、あんな大変なことできない」

 泣くものか、と決めていた。

 今さら泣いて謝るっても遅いのだ。お母さんはいないし、泣けば帰ってくるわけでもない。

 それなのに、弱い私はまた泣いてしまう。

「なんで真紀ちゃんがアカウントを盗んだと思う?」

「それ、は」

 怒りで理由は意識の外だったのだろう。

「あなたと同じなの」

 戸惑う彼に私は理由を伝える。

「真紀ちゃんが光弘君のことを好きだから。あのアカウントはね、真紀ちゃんにとって好きな人と話せる唯一の方法だった」

 扉の向こうの沈黙に向け、私は推理を続ける。

「ありえないと思う?海外に行く前に英語教室に通うのは自然だし、実際光弘君は君の妹が下の塾に通っていることを知っていた。可能性は充分あるでしょ?」

 二人がどれほどの仲かは知らない。きっと連絡先を聞き出せるほどの仲では無かったのだろう。

 ずっと疑問に思っていた。ただ、光弘君と話したいだけなら、スマホから彼の連絡先を抜き出すだけでいい。それなのに、わざわざアカウントを盗むという回りくどい手を取った。

理由は今ならわかる。

彼女が欲しかったのは彼と話す方法じゃなくて、仲良くなる方法だったのだ。

「ウソだ、そんなの」

「あなたは真紀ちゃんについてどれだけ知っているの?否定できるほど彼女について知ってる?」

 痛い所を突かれたのか、再び彼が黙る。

「……でも」

 次に飛び出した言葉に今までの勢いは消えていた。疑問が怒りを上回ったのだろう。

「でも、連絡先なら、俺に聞けば良かったのに」

「あなたに素直に聞いたとして、ちゃんと答えてあげた?彼女の気持ちを馬鹿にしたり、意地悪したりしないと言える?」

「……」

もちろん、同じことは真紀ちゃんにも言える。彼の大切なアカウントを盗むことで、彼の気持ちを踏みにじった。

「今回のことは真紀ちゃんが悪いし、龍太郎君には怒る権利がある。君には彼女を嫌いになる権利がある。兄妹だって仲良しばかりじゃない。……でも、嫌う前に、話を聞いてあげて。別れがいつ来るかなんて誰にもわからない。別れの後で、もっと話せば良かったって考えても遅いの」

 探偵では無く、西園寺実桜として。

 自分の胸の前に手を置いて。

「ちゃんと話してあげて」


 龍太郎君の手を引いて、私がリビングに姿を現す。泣きはらして赤くなった目をこする真紀ちゃんの肩に椿が手を置いていた。

「ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる。後ろで縛った三つ編みもしょんぼりと下に垂れた。龍太郎君は揺れる先端を黙って眺めている。

 やがて口を開いた。

「いいよ、もう」

「……」

「今度はちゃんと言えよ。……聞くから」

 真紀ちゃんの顔が顔を上げる。反対に龍太郎君は顔をそらす。はまらないパズルのピースのようなぎくしゃくとした関係。

 それでも、一歩進んだ。

「一件落着だね」

 椿は安堵の笑みを浮かべる。もしかすると彼女の笑顔が一番の報酬かもしれない。そう錯覚してしまうほど素敵な笑顔だった。

 それなのに、なぜか私は心の底でわだかまりを感じていた。何か、大切なことを忘れている気がして。

 その答え合わせはすぐに来た。

 玄関の扉が開く音がしたのだ。

「あ、お母さん帰って来た」

「それって」

 椿と顔を見合わせる。

「ヤバいのでは……!」 

 泣いている娘、見知らぬ二人の女子高生。

 第三者が見たら間違いなく警察案件だ。このままでは、探偵から容疑者にジョブチェンジしてしまう……!

「ど、ど、どうする?」

「に、逃げよう!」

 逃げるといっても玄関に行くわけにはいかない。うろたえるばかりの私たちに龍太郎君が助け舟を出してくれた。

「とりあえず俺の部屋に隠れてて!」


 そんなわけで彼の部屋に隠れて一時間が経過した。彼の両親が寝静まった夜にこっそり逃げ出すしかない。当然それまでに見つかったらゲームオーバーだ。

 学習机の隣にある椅子に座り、スマホで何度も時間を確認する。こういうときに限って時間の流れが遅い。

「何かドキドキするね。スパイになった気分」

 そう言って、ベッドの上に座った椿が跳ねた。

 のんきなものだ。一周回ってうらやましい。

「見つかったら終わりだからね。探偵活動も終わり、私たちは警察に怒られて学校に怒られて親に怒られるの」

「私、実桜のそういう所苦手」

 私の口ぐせを椿が使ったのは初めてだった。椿はハリセンボンみたいにほっぺを膨らませて不満を表現する。

「実桜ってばいつも終わりのことばかり考えてる。そりゃ、見つかったら終わりかもしれないけど。でも、何だっていつかは終わるじゃん。隠した赤点のテストだっていつまでも隠せるわけじゃないし」

「そもそも赤点取らなきゃいいのでは」

「そういう話じゃないの」

「そうですか」

「そうなんです」

「で、何が言いたいの」

「そういうのがダメ」

 ……突然ダメだしされた。

「いつか終わることなんてわかってる。高校卒業したら今みたいに会えるかわからないし、実桜がお母さんを見つけたら探偵活動も終わる」

 だからっ、と彼女は声を張り上げた。

「終わりが来るまで楽しもうよ」

「楽しむ?」

「私は実桜の助手楽しいよ。大変なことも、怖かったこともあるけど、人に感謝されるのは好きだし!今回みたいに皆が幸せになったら嬉しいし!……頑張ってる実桜が、好きだし」

 好きだと言われて心臓が跳ねた。

「カッコいいって意味で」

 補足のように付け足された言葉。

 うん、と私は不器用な返事を返す。

「と、とにかく、未来のことばかり考えてたら、今の大切なことを見落としちゃう。終わりが来たらそのときはそのとき考えよ。今はさ、今を大事にしようよ!」

 それは奇しくも私が龍太郎君に語ったことと同じだった。

今を大事にすること。

過去でも未来でもなく、今を。

簡単なようで難しいこと、わかっているつもりでいつの間にか見落としていること。

私は座っていた椅子から立ち上がり、椿の横に座った。

「そうかもね。不安になってもしょうがないし、今は気長に待ちましょうか」

「そうそうっ。それで、何してヒマ潰す?」

 深夜に解放されるまで私たちは一緒の時間を過ごした。いつも一緒にいるのに、こんなにも話題が続くのかと驚いた。

 変わっていくもの、変わらないもの。もしかしたら、終わりはもうそこまで近づいているのかもしれない。この先私たちの関係がどうなるかなんてわからない。いるけど。

 変わりたいという気持ちと変わることへの恐怖が私の中で同居していて、自分がどうしたいか正直わからない。

 でも、どんなときでも、椿が一緒ならいいな、と思う。

「そろそろ大丈夫かな?外の様子見てみる?」

「もう少し待とう」

 私はベッドの上に寝転んだ。

「夜はまだ先みたいだから」


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