第32話 一つのニュース
熊崎が降りたところは、人通りの多い道路沿いであった。とても私が覚悟していたようなことをやる場所とはほど遠い。やはり熊崎が今何を考えているか予想できない。
熊崎は、青みがかってきた空を見ていた。
「なあ、鷲沢。俺たちが、何でお前に対して、英隆の家政婦なんかやるという面倒な返済方法をさせたか分かるか」
「普通に人手が足りなかったからじゃないんですか?」
「違うよ。普通に考えたら、お前に水商売でもやらせて返済させたり、薬物でも売りつけたりして、それで稼いだ金で家政婦を雇ったほうが明らかに得だ。でも、そうしなかった。その理由は英隆の要望があったからだ」
「総理のですか? どうして」
「似てたんだよ、お前が。美奈子に。まさに生き写しだ」
――ああ、だから、蛇塚は私が夫のことを言うとき腹を立てるのか。
実際自分が今まで、家政婦をやっていたとき、その扱いに疑問を感じないわけではなかった。なんせ一度も夫と会う機会がないような仕事などそうそうあるわけない。だが、今の説明で納得がいった。なんというか、あの蛇塚も人間らしいところがあるのかと思った。
「総理は、本当に美奈子さんが好きだったんですね」
私がそういうと熊崎は視線を下に向け、呟くように言った。
「ああ、俺もそう思っていたよ。だから、あいつの言う通り、こんな世界から、あいつを支えてやったていうのに」
その言葉は半分、蛇塚への不満であった。この言葉からもう、熊崎の行動は、蛇塚の指示によるものではないと確信できた。
「昨日、映像と一緒に半田が死んだという知らせも届いたんだ。船の中から死体が発見されたらしい」
熊崎は唐突にそう言った。半田というのは、美奈子さんの弟だったはずだ。私は、「それは・・・・・・ご愁傷さまでした」とだけ言って、先を促した。
「でも、あいつそれを知らせたときこう言ったんだ。どうでもいいって。半田は今まで姉が死んだことに責任を感じて、今まで汚れ仕事にも手を出して英隆を支えてやっていたのに、どうでもいいとあいつは言った。そして、続けて俺に、鷲沢、お前が俺をうらぎるだろうから殺しておけとも言った。その時俺はわかったよ。こいつにとってもう美奈子は過去の出来事になったんだなって。あいつはもう、そういう感情もなくなって、ただ自分の思い通りに日本を動かすことしか、興味がなくなっていたんだ」
熊崎の語気はずいぶん荒々しかった。それは私が初めて見る彼の取り乱した姿だった。
「でも、そう思っていた時、あの映像を見たんだ。衝撃だった。英隆のような青年が、英隆のような行動をして、英隆のような過ちを繰り返す。そしてその後、あいつの行動理由となった美奈子にそっくりな奴が裏切るときた。英隆は確かに逸材だ。あいつは、恐らくヒトラーにも、ムッソリーニにも、スターリンにも匹敵する才能を秘めている。でも昨日今日で、あいつの原点とあいつ自身が否定されるような出来事が続いた」
そう言って、熊崎は足を止めた。どうやら目的地に着いたらしい。私は、熊崎から目の前にある建物に視線を移す。
「テレビ局、ですか?」
「ああ、仕事がら、証拠隠滅のために、ここのお偉いさんに金を払う機会は多い。だから顔パスで通れるだろう。そして、この映像を流してもらえるか交渉してくる。これが俺が暴力団の長として権力を使うことは、最後だ」
その熊崎の言動は、裏切りを意味していた。きっと危険な行動なんだと思う。先ほどの話を聞いても、蛇塚が熊崎の裏切りを許すとは思えないし、蛇塚とつながりのある暴力団も熊崎組だけとは思えない。
だが、熊崎の顔は、朝日の光が照らして、文字通り晴れやかに見えた。
「さて、さっきの質問は、どうしてお前にこの話をするのか、だったか。その理由はな。礼を言いたかったからだ。お前に事情を全部話すことで、俺にけじめをつけるきっかけを与えてくれたことに対して、礼を言いたかったからだ。もうあいつの時代は、燃え上って灰となるだろう。そして、その火をつけるのは俺でなければならない」
熊崎は、そう言いながら、テレビ局のほうへ歩いて行った。そのUSBメモリを強く握りしめて。
――金井視点――
小鳥のさえずりとともに目を覚まし、朝日を浴びて目を覚ますなどということはなく、僕は、締め切った地下の基地の中で、じめじめした布団から起き上がった。
「おはよう、金井。大丈夫か? よく眠れたか?」
と、声をかけてきたのは、大日向さんである。どうやらもう起きていたらしい。相変わらずいつも通り元気で、小鳥のさえずりではないのが残念だが、すっかり目が覚めた。
「おはようございます大日向さん。大丈夫ですよ。むしろ、僕、寝すぎていませんでしたか」
「いや、大体予定通りだ。問題ないよ。でも、せっかく早く起きたやつが多いから早めに飯にするか。一応さっき起きた鷲沢がもう飯を買いに行ってるから、お前は、亀山を起こしに行ってくれないか
「わかりました」
そう言われて、僕は亀山君のほうへ向かう。亀山君はずいぶんぐっすり寝ている様子だし、もう少し寝かせてやりたいところだが、そうすると計画の時間まで寝ていそうな気もする。僕は亀山君起こすため、その体を揺すった。
「亀山君、朝だよ。起きて」
「んー。あー、おはようございます金井さん」
唸り声をあげながら、亀山君は、重たそうに体を起こした。そのまま伸びをする彼の横顔にはクマが見えた。余程昨日眠れなかったんだろう。
「ずいぶん眠そうだね。昨夜一体いつに寝たんだい?」
「ああ、昨夜は結構遅かったんですよね。まあ、最初から徹夜の覚悟だったんですけどね、途中で力尽きました」
「結局、あの四人とは、連絡は取れたのかい?」
僕がそう聞くと、亀山君は、一気に顔を曇らせた。そしてその顔のまま言った。
「いや、まだ」
「そう、もう一回、連絡してみたら?」
「いえ、あいつらも今の時間は寝ていると思いますし、もうじきニュースも始まるからいいです。大丈夫ですよ。あいつらなら、絶対に大丈夫です」
そう言って、亀山君は笑った。笑っているとも取り辛いような笑いだった。それに加えて、まるで自分に言い聞かせるかのような大丈夫に、僕は、「そうだね」と笑うことしかできなかった。
その回答の空気を気にしてか、亀山君は、すぐに次の話題を提示した。
「それで、今何時ぐらいですか?」
「今は、五時になるね。作戦決行二時間前だ」
「いよいよですね。もう後はやることはないんですか?」
「うん、昨日一生懸命準備したからね。いつでもジャックできるように機械の準備は整っているし、万一攻められてもいいように、武器やバリケードも準備した。話す内容も頭に入れたから、後は心の準備だけだよ」
「そうですか、頑張ってくださいね」
そう、僕は今日、全日本国民の前でこの国を変えるきっかけになるかもしれないスピーチをやる。だから、怖気ずかずに伝えなければならない。決して今の蛇塚の政治は正しくないんだと。僕たちは、あの蛇塚と戦い死んでいった、清水聖司の政策を、今こそ皆で行うべきなんだと。繰り返し書くが、国を変えるスピーチだ。失敗は許されない。
ただ、今の僕の心は決して緊張していなかった。ただこれは、僕が大物であると示すものではない。そこは誤解しないでほしい。ならなぜ緊張しないのかと言えば、全く実感が湧かないからだ。自分が世界を変える実感が。
もちろんこんなことは、自分以外の誰にも伝えていない。どの道計画は実行されるのだ。こんなことを言って、みんなに変な不安を与えるのは避けたい。
しかし、僕の中で、自分が国を変えない、もはや確信と呼べるものがあるのは、紛れもない事実だった。
亀山君が起きてから、三十分くらいたった後、鷲沢君が帰ってきた。買ってきたものは無論コンビニ弁当だ。数日前の非常食地獄からまだ抜け出せていない僕らは、飯の知らせを聞きつけたときすぐに動いた。
朝飯は、地下ではなく、上の部屋で食べることになっていた。何故なら、そこには昨日運び出したテレビがあるからだ。作戦を決行する前に、幸ちゃんが捕まったか否かはそれで確認しておかなければなるまい。
全員が、上の階で胡坐をかく。それぞれの弁当を鷲沢さんから受け取る。そして、弁当を開ける前に、大日向さんが、テレビの横に立って出た。この場にいる全員が、一斉に大日向さんのことを見上げる。もちろん彼が話すことが事前に決まっていたわけではない。だが、ここにいる全員は、今このタイミングで彼が話すことをわかっていたのだった。
「とりあえずお前ら。おはよう。いよいよ、虎谷白羽が蛇塚の政策に反対し始めてから今にかけて、ずっと準備してきたことを、今日行う。まあ、長年準備してきたと言っても、今それを始める状況は絶望的だ。ずっと集め続けてきた仲間にはほとんど逃げられた。昨日連絡したがまだ蛇塚の手に落ちていないのは、三県ほどだ。そして、そのうち二つはここから遠い。あまり支援は期待しないほうがいいだろう。実質、金井の演説で、後少しでも群衆がこっちの味方をしない限り、勝ち目はない。呼びかけるのは国民の信用を得るため、非暴力運動と言ってはおくが、蛇塚が必ず軍事力を使ってくる以上、結局内戦まがいのことになる確率は、決して低いとは言えない。最後には、命を落とす危険もある」
そう言って、大日向さんは、全員の顔を一つずつ見ていった。もちろん僕は、大日向さんと目が合う際に、ゆっくりと頷いた。他のみんなも間違いなく何らかの形で、肯定の意思を示したろう。この革命に参加するという意思を。
「分かってる。今更お前らに確認するまでもないだろう。昨日も何度もこういうことをお前らに伝えたが、お前らは誰一人として逃げなかった。こんなに意思の強い奴らが集まったんだ。きっと革命は成功する。頑張ろう、お前ら」
全員が、大日向さんが言い終わるのに合わせて、その言葉に返事をした。それは、絶望を知る前のあの船の上で交わした返事と、何ら変わっていなかった。
大日向さんはそれを聞き、満面の笑みを浮かべた後、続けた。
「ありがとう、さて、後九十分もしたら計画を実行するわけだが、最後に一つやることがある。それは、俺たちがここに来るきっかけとなったもう一つの戦いの結果を見ることだ。間違いなくこのテレビをつければ、三十分以内には放送されるだろう。亀山、来い。お前がテレビをつけろ」
「はい」
急に返事を呼ばれた亀山君は、少し背中を震わせた後、潔い返事をした。そして、そのまま躊躇なく、電源を押した。もう覚悟は決まっているのだろう。
急に、ドラゴンの結末がなんたらこうたらという見出しが現れた。どうやらタイミングは絶妙だったらしい。テレビに表示されている時計は五時半を示していた。そして、その530の下で、ある程度ベテランの雰囲気が感じられるアナウンサーは、重々しい口調でこう言った。
『さて、この間から騒がれていた蛇塚総理のドラゴン捕獲作戦ですが、ある映像がこの局に提供されて、その結果がわかりました。皆さんにはその結果を、提供されたある映像を流すことで皆さんに伝えたいと思います。できる限り編集は加えて、三十分ほどの内容となりましたが、少し、視聴者の皆さんを不快にさせてしまう描写が出てくるかもしれません。あらかじめお詫び申し上げます』
そして、なんとここでCMに入った。僕は、この隙に弁当を口に入れながら、思ったことを話した。
「結果がわかる映像? 誰が提供したんでしょうか?」
「そうだな、蛇塚が一般人を映像がとれるほど近付くのを許すとは思えないしなあ。そういう映像がとれるのなんて、蛇塚の部下しかいないと思うがなあ」
大日向さんは、そう言って返した。まさに大日向さんの言うとおりだ。一般人に、あれだけの軍が派遣されている島で、そのような映像など撮れるはずがない。だから、蛇塚しかそれが可能な人間はいないのだが、蛇塚がその映像を国民に見せてメリットがあるとは思えない。あの蛇塚が、ドラゴンを守ろうとする人間がいて、それに対して、銃を向けている映像を流す、そんなことをして、国民の信用をこれ以上下げる真似はしないだろう。
そうすると必然的に身内の裏切りという考えが浮上するわけだが、果たしてあの蛇塚を裏切ることができる人間がいるだろうか。
僕がそこまで考えを巡らせていたとき、ふいに、ボトッと、音がした。僕は、すぐにその方向を向いた。そこには、下にとんかつを落とし、目を皿のようにしている鷲沢君がいた。そして、その僕たちが向いているのを気にもせずに、独り言のようにつぶやいた。
「まさか・・・・・・京子」
――ああ、なるほど。
僕は、いやこの場にいた全員は、恐らくこの言葉だけで、すべてを理解できたと思う。そう、鷲沢さんの妻である京子さんが、蛇塚を裏切ったということを。どうやって蛇塚の目を潜り抜けたのかはわからないが、今こうして映像が表示さているのだから、うまくやったのだろう。
だが、一度出し抜けたとしても、今これが日本中に放送された以上、もう蛇塚には裏切りがばれているだろう。何もされなければいいが。
鷲沢さんは、落ちたとんかつに見向きもせず、立ち上がった。その後、慌てた様子で、僕たちにこう告げた。
「すいません、ちょっと電話してきていいですか」
「ああ、行って来い。長電話でも構わないぞ。結果がわかったら教える」
と返したのは、大日向さんである。鷲沢君はそれを聞き、バリケードを無理やりどかして外に出ていった。・・・・・・後で直そう。
「すごいですね。ずっと蛇塚のもとで働くしかなかった女性が、まさかこんなことをするなんて」
僕は、気がつけばそう口にしていた。僕の彼女へ対する尊敬がそうさせたのだろう。
「何言ってるんだ、金井。これからお前は、京子さん以上のことをするんだぞ。頑張ってくれよ」
大日向さんは、笑いながら、僕の背をたたいた。
――僕が、彼女以上のことをする、か。
思わず感情を、嘲笑という形で現しそうになったとき、亀山君の、あ、映像が始まりました、の言動がそれを遮った。僕ら三人は、食い入るように、その画面を見るのだった。
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