第23話 金井の思い

 俺たちは、あの後は特に追手が来ることもなく、無事に田園を抜けることできた。

しかし、灰場は、病院に預けられた。灰場にも最後まで戦って欲しかったが、あのケガでは仕方がないだろう。


「おお、着いたな。何日ぶりなるかねえ」


 大日向さんが、それを言い終わると同時に、軽トラックが止まる。


 簡素な建物だった。もともとは白だったのだろうが、薄く汚れていて灰色のようになっている。建物の形状は四角形で、大きさは、少し小さい。とまあ色々と目につく長所を挙げてみたが、要するに倉庫のような建物だ。


「なんというか、物寂しい建物ですね」

「まあ、目立った作りにするわけにもいかないからね。とりあえず入るよ」


 俺たちは、そう促されるがまま、建物に入った。そして、驚き、足を止めた。


 唐突に、大日向さんが言う。


「鷲沢も亀山も、何もないって思ってるだろ」

「まあ、はい」


 俺と鷲沢さんは、全く同じ様子で答えた。


 そもそも思わないはずがない。軽トラックの道中で聞いた話だと、大方の生活用品も、装備も、もしもの時のテレビの電波をジャックする装置も大方のものはそろっていると聞いていた。鷲沢さんも金井さんから同じように聞かされているはずだ。だが、周りを見渡しても、それらが収納できそうなものさえ見当たらない。


「大抵ここに初めて来たやつは、そう言うんだ。金井、頼む」

「はい」


 亀山さんは、そういって、隅のほうの床板に手を当てる。持つ。


 おお、開いた。


「こっちが本当のアジトだ。少し階段多めだから気を付けろよ」


 階段は、言われた通りやけに長かった。しかし、俺たちは、その道中一言も話はしなかった。さっき書いた会話も、文面だけ見れば楽しそうな会話だが、実際誰も心から笑えたものはいなかっただろう。数時間前に人を殺し、今でもその感触がじっとりとこびりついている。そんな状況の中で、どうして心から笑えるやつなどいるだろうか。そして、金井さんも直接手を下しはしなかったものの、人殺しに加担したことは事実なのだ。


 俺たちは、そのまま誰も一言とて発することなく、地下の開けたところに出た。


 ずいぶんと広いところだった。作るのに一体どれくらいかかったのだろう。特に何か別の部屋があるわけでもなく、平坦な空間になっていて、隅に箱が二か所に集められていて、整理されて、置いてある。おそらく片方が火器類で、もう片方が生活用品なのだろう。


 それらに見とれていた俺に、大日向さんが言った。


「さて、ここが俺たち革新派の本拠地だ。ここなら流石の追手もやってこないと思う。定期的に集まる場所は変えるようにしてるし、一応ここは、次に集合場所にするところだったから、月田たちは知らないはずだ。それじゃあ、着替えて、飯にするか。今まで碌な飯食えてなかったんだからな。金井、コンビニで弁当買ってきてくれ」


 俺は、それにがっついた。正直今まで、非常食続きである。それがどれだけうれしいことか。


 俺たちは、一人一人欲しい弁当を頼んだ。まあ誰も肉系の弁当を頼む者はいなかったが、それでも、その食事は、俺たちに希望を与えてくれた。


金井さんはそんな俺たちを嬉しそうに眺め、箱に入れてあった私服に着替え、買いに行った。




 全員の着替えが終わった後、金井さんが戻ってきて、俺たちは飯にありつく。いろいろそろっている場所ではあったが、流石にいすや机のような家具類はなかったらしい。下は土だったが、誰もそのことに対して文句を言うものはいなかった。


 各々がそれぞれの弁当を開封し、食べ始まったころ、俺は聞いた。


「大日向さん、それで、いつ電波ジャックするんですか? 幸の戦いが終わるまでには間に合いますか?」


 当初の予定だと、幸の置かれている状況を打破するために、明日の朝に電波をジャックし、金井さんが演説をする予定であった。そのために今日は、色々と準備をするはずであったのだ。しかし、ここに着くまでにあまりにも時間がかかりすぎた。長野の軍の妨害によってである。時刻はもう十二時を回ろうとしていた。


 大日向さんは、ゆっくりとかみしめるように答える。


「ごめんな。亀山。間に合いそうにない。正直電波ジャックなんてやるのは初めてなんだ。だから、結構時間がかかると思うし、絶対に朝にはできない。そして、幸ちゃんは、明後日になる寸前に帰るんだろ。だから、仮に昼や夜やったとしても、国民の意思はそんなに早くは反映されない。間に合わないのは確実だ。だから、今日はしっかり睡眠をとって、明後日の朝にしっかりと準備をしてから、やろうと思う。下手な時間にやっても、直接見る人がいなかったら、どうしようもないからな。明後日は休日だしちょうどいいはずだ。本当に幸ちゃんを助けられなくて申し訳ない」


 大日向さんは、勢いよく頭を下げた。しかし、理由を聞いても、大日向さんが悪い要素はどこにもない。俺だって怒ってはいるが、大日向さんだって辛いのは同じであろう。


「大丈夫ですよ。きっと青人たちがしっかり守ってくれるはずです」


 そうきっと大丈夫である。白羽が、朱音が、青人が、しっかりと幸を軍の手から守ってくれるはずだ。俺の役目はもう終わっているのだ。



 

 眠れない。


 全員が弁当を食べ終わり、俺たちはそれぞれ眠りについた。ベッドも布団もないが寝袋はあったので、地べたに寝るという事態は避けられた。


 地べたに比べれば寝袋は、はるかにいい。枕が変わると眠れないたちなのだなどというつもりはない。ただ、寝ようとするとどうしても、あの軍人のことを、俺が殺した軍人のことを思い出してしまうのだ。だから、今は眠れない。


 寝ることを諦め、俺は、外に出た。あの長々とした階段はしんどかったが、あの軍人を思い出すよりはましだった。


 少し外を見上げる。満点の星空を期待したのだが、ほかの建物の光に負けて見えなかった。そういえば、ここは北島ではなかったのだ。


 急に故郷が恋しくなり、ため息をつく。すると、急に声が聞こえてきた。


「亀山君かい?」


 金井さんが笑いながらこっちを見ていた。どうやら少し散歩でもしてきたようである。


「ああどうも。どうしたんですか? こんな遅くに」

「それはこっちのセリフだよ。亀山君はどうしてこんなところにいるんだい」


 さりげなく質問を質問で返された。まあ、ちょうど誰かに相談したいという気持ちもあったのだ。俺は、特にためらわずに言った。


「どうも眠れないんですよ。目をつむると撃ち殺した軍人が浮かんできて」

「そう」


 金井さんは、軽くそれに頷き、そして続けた。


「確かに人を殺す機会なんて普通はないからね。僕だってまだ殺したことはないけど、きっとすごいトラウマになるだろうね」


 俺は、その言葉に深く頷く。金井さんは、その様子を見て、続ける。


「でも、わかってるとは思うけど、大日向さんだって、鷲沢さんだって、人を殺すのは、初めてだったはずだよ。自衛隊も人を直接殺す演習なんてしないから。じゃあなんであの二人は、君ほど人を殺した影響がないんだと思う?」


 俺は、首をかしげた。そんなことはこっちが聞きたいくらいである。人を殺したなどということは、普通忘れようとしても忘れられるものではない。特に大日向さんが殺したのは、信用していた部下なのだから。


 俺は、心から素直に答える。


「分かりません。見当もつかない」


 金井さんは、俺のその様子に笑みをこぼし、言う。


「あの二人にはね。覚悟があるんだよ。確固とした信念がある。二人ともよく分かってるんだ。人を一人殺すぐらいで、落ち込んでいる場合でじゃない。これからやる戦いは、きっとこんなものでは済まないんだから一応、演説では、非暴力不服従のデモを呼びかける予定だけど、相手は、蛇塚なんだから、向こうはきっと非暴力にはなってくれないだろうね。そしたらきっと、人が死ぬ。きっとたくさん死ぬ。そして、その人を殺したのは、その運動を示唆した僕たちでもあるから」


 ああ、なるほど、もっともである。


 なるほど。


「つまり、金井さんがここにいる理由は、それなんですね」

「鋭いね」


 また、金井さんは、笑った。そして、やっと今その笑顔が虚勢であることに気付いた。


 電波ジャックを起こし、演説をするのは、金井さんだ。蛇塚と戦う代表であり、反乱の象徴とともなるのだから、その役割は、かつて唯一蛇塚と戦った清水聖司の友人である金井さんでなければならない。


 でも、金井さんの心は、大日向さんや鷲沢さん、ましてや灰馬よりも強くできているわけではない。人を殺せる心ではない。だから、金井さんは、今、この建物の強い光が照らす道を細々と歩いていることしかできないのだ。


「だって、死ぬかもしれないんだ。僕の一声で多くの人が。それなのにおちおち眠れるわけがない。僕はそんなに強くなれない。それに、もう兵力も絶望的だ。月田さんも木原も本気で蛇塚政権を倒そうとしてたのに、あっさり吸収された。そんな集団に僕みたいな弱い奴が本当に勝てるのか」


 金井さんは、そう続けた。己の心にたまったものをぶちまけるかのように、その声は、金井さんにしては大きかった。


 その姿を見て、こういうしかなかった。


「すいません。何も言えません。俺も同じくらい弱いですから。強いてひねり出すとするなら、頑張ってください。これしか言えませんけど、頑張ってください」


 金井さんは、また虚勢を張り、言った。


「ありがとう頑張るよ」


 そう言って、金井さんは、一足先に、地下に戻っていった。


 みんな同じくらい辛い。それが俺が、この二日間で何よりも強く思ったことだった。鷲沢さんや木原さん、今の金井さんを見て感じたことだった。そして、それがこの世の真理とさえ思う。


 みんな辛くて、現状にいつも不満を抱いていて、幸福を求める。そして一人が一つの幸福を得たとき、一人の人が一つの不幸を得る。そしてそれが、時に争いをであり、戦争をなのだろう。


 現に俺は、一人の命を犠牲にして、今の生きているという幸福を得た。しかし、金井さんの役割は、もっと大きなものを犠牲にして、もっと大きなものを得ようとしている。


 そのとき、一体何人の人間が不幸になるのだろう。何人の人間が幸せになるのだろう。


 俺は、地下室に引き返した。金井さんのように、そこらへんでも散歩するかと考えていたが、そんな気分にはなれなかった。


 戦争をやめなければいけないことは間違いない。蛇塚を倒さなければいけないことは間違いない。

 ただ、今の俺たちに、不幸を国民たちに強いる力が、果たしてあるのだろうか。

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