ホームランボール

口羽龍

ホームランボール

 ある夏の夜の事。日中は鳴いていたセミの声が嘘のように静かだ。外は夜になっても蒸し暑く、歩く人はみんな汗をかいている。


 ここは大阪府藤松市にある新興住宅街。10年ぐらい前に建てられて、多くのマイホームが立ち並んでいる。大阪市内にも近く、立地がいいので、人々には好評のようだ。


 そんな住宅街に住む士郎は小学生。この近くの小学校に通っている。成績はそんなに良くないが、野球が好きで、近所の子供とよく遊んでいる。夢はプロ野球選手で、名門高校に入学して甲子園に行き、プロ野球選手になりたいと思っているらしい。両親はそんな士郎の夢を応援している。


「士郎、ごはんよー」

「はーい」


 2階で夏休みの宿題をしていた士郎は部屋を出て、1階に向かった。匂いからして、今夜はカレーライスのようだ。士郎は笑みを浮かべた。


 士郎は1階のリビングにやって来た。士郎の予想は当たっていた。今夜はカレーライスだ。士郎は笑みを浮かべた。


「おいしそうだなー」


 士郎は椅子に座った。父はすでにカレーライスを食べている。士郎もカレーライスを食べ始めた。


 と、父がプロ野球中継を見て、何かを考えているようだ。野球中継は見ていて楽しいはずなのに、どこか寂しそうで、とても気になる。


「お父さん、どうかしたの?」

「いや、何でもないよ」


 士郎は気になって声をかけたが、父はその理由を言おうとしない。士郎は首をかしげた。どうして寂しそうな表情をしているんだろう。




 午後10時頃、士郎は今日の宿題を終えて部屋でのんびりしていた。士郎の部屋には様々な本やぬいぐるみの他に、野球のボールが置いてある。父が子供の頃に取ったホームランボールだそうだ。だが、あまり詳しい事は知らない。


 士郎は夜景を見ていた。今日も夜景がきれいだ。遠くには通天閣やあべのハルカスが見える。何度見ても美しい風景だ。


 士郎は両親に連れられて行った時の事を思い出した。街があんなに小さく見えた時の興奮は今でも覚えている。また行きたいな。


 士郎は勉強机の横にある時計を見た。もう寝る時間だ。士郎はベッドに向かった。明日も夏休みの宿題を頑張ろう。登校日までに出す宿題もあるし。


 士郎はベッドに横になり、目を閉じた。いい夢が見れますように。


 士郎は夢を見た。そこはどこかわからない。だが、通天閣が家と同じように見える。ここは家のある場所だろうか? いや、違う。ここは球場だ。


「ん? ここはどこだ?」


 見た事のない球場だ。屋根がないし、どこか古びている。観客はそんなに多くないし、鳴り物応援がない。そして、照明がそんなに明るくない。


「プロ野球の試合だ」


 どうやらプロ野球の試合のようだが、見慣れないユニフォームだ。昔の試合の夢を見ているんだろうか? 士郎は首をかしげた。


「どこの試合だろう」


 ピッチャーが速いストレートを投げた。バッターはボールを芯でとらえる。打ち返されたピッチャーは呆然としている。


「打った!」


 打球はぐんぐん伸びて、スタンドに届いた。ホームランだ。それと共に、バックスクリーンから花火が上がり、ファンファーレが聞こえる。ホームランボールは観客の少年が取った。少年は喜んでいるようだ。


「おー、ホームラン!」


 と、士郎は気づいた。ホームランボールを取った少年が自分にそっくりだ。あの少年は誰だろう。もしかして、お父さんだろうか?




 翌朝、士郎はいつものように目覚めた。何事もなかったかのような朝だ。昨日の夢は何だったんだろう。とても気になる。


「あれっ、夢か」


 士郎は1階に降りてきた。ダイニングでは朝食ができていて、父が朝のニュースを見ながら朝食を食べている。


「おはよう」


 士郎は椅子に座った。テーブルの前にはごはんとみそ汁とオムレツがある。


「昨日、プロ野球を観戦する夢を見たんだ」


 それを聞いた父は、何かを思い出したかのような表情になった。


「そっか。士郎、ここには昔、プロ野球の球場があったって知ってるか?」

「本当?」


 士郎は驚いた。まさか、昨日の夜に見た夢は、その球場の夢だろうか? あのホームランボールは、その球場で取った物だろうか? だとすると、あの少年は父の少年時代だろうか?


「ああ」

「全然知らなかった」


 この住宅地の近くに球場があったなんて初めて知った。これは夏休みの自由研究のネタになるかもしれない。もっと調べたいな。


 と、朝食を食べ終えた父が、リビングに向かう時、士郎に向かって振り向いた。


「この近くに、記念碑があるんだけど、知ってるか?」

「知らない」


 その球場の正門があった場所には、ここに球場があった記念碑があるという。生まれてずっとこの住宅地に住んでいるが、これは知らなかった。ぜひ行ってみよう。これも自由研究のネタにするんだ。


「行ってみようかな? 自由研究にしてみよう」

「いいじゃん!」


 父は笑みを浮かべた。父はそのホームランボールを取った事を一番の思い出だと思っているようだ。




 朝食を食べた後、士郎は家を出た。あの記念碑の事が気になる。これはいい自由研究のネタになりそうだ。9月の発表でみんなに褒めてもらおう。


 士郎は住宅地の入口付近にやって来た。そこには球場を模したモニュメントがある。夢で見たあの球場とよく似た外観だ。


「これが記念碑か」


 記念碑によると、その球場は『藤松球場』と言い、プロ野球の本拠地だったという。住宅地の真ん中にあり、鳴り物応援ができなかったものの、庶民的な雰囲気で多くの人々に親しまれた。だが、大阪市内に新しくドーム球場を建設する事になり、その球場は本拠地ではなくなった。それでも2軍の球場として使われてきた。だが、老朽化で解体されたという。そして、球場の跡地には住宅地ができた。


 と、士郎はある事を思い出した。藤松市の中心駅、河内藤松駅の壁画に球場らしき絵があった。


「待てよ、河内藤松駅の壁画に球場があったっけ?」


 その壁画も自由研究に載せてみよう。士郎は河内藤松駅に向かった。


 河内藤松駅には多くの人が行き交っている。河内藤松駅は藤松駅の中心駅で、急行の停車駅だ。2面4線の駅で、緩急接続が多く行われる。また、大阪市の方からやって来た準急はここから各駅停車になり、ここ始発の普通も多く設定されている。


 士郎は河内藤松駅の壁画をじっと見つめた。横10mの大きな絵だ。藤松市出身の画家が描いたものと言われている。


「これか?」


 よく見ると、昨夜の夢に出ていて、住宅地の入口のモニュメントにある球場にそっくりだ。


「どうしたのかな?」


 だれかの声に気付き、士郎は振り向いた。そこにはスーツを着た男がいる。河内藤松駅の駅員だ。白髪交じりの50代の男性のようだ。


「この駅の近くに球場があったって聞いて」

「そうか。おじちゃん、この頃から河内藤松駅にいたんだ。試合の前後は多くの人でごった返していたんだ。だけど、もう球場はなくなってしまったんだ」


 その駅員は河内藤松駅に30年以上勤めていて、この駅の駅長だ。駅長は球場があった事を思い出した。あのころはもっと賑やかだった。試合日にもなればユニフォームを着たり、応援グッズを持った人が多くやってきて、とても賑やかだった。そして試合が終わると、多くの人が駅に戻って来て、これまた賑やかだったそうだ。


「そうなんですか」

「そうだ! おじちゃん、いい事教えてあげよう。この近くに居酒屋があって、そこの店主が元プロ野球選手なんだって」


 駅長によると、この駅の近くに元プロ野球選手が経営する居酒屋『ロッカールーム』があるらしい。この人は藤松球場を本拠地としていたプロ野球チームの選手らしい。


「へぇ。行ってみたいな」


 士郎は思った。この人にもその球場の事を聞いてみよう。これも自由研究のネタになるかもしれない。


「どうして? 子どもでしょ?」


 駅長は驚いた。どうして子供が単独で居酒屋に行くんだろう。まだお酒が飲めないのに。


「自由研究でこの球場の歴史を知りたいんです」

「そうなんだ。自由研究頑張ってね」


 駅長は笑みを浮かべた。その事を発表して、みんなから褒められてほしいな。


「ありがとうございます!」


 士郎はお辞儀をした。駅長さんのためにも、きっといい自由研究を作ってみせる。




 士郎は河内藤松駅の近くにある居酒屋『ロッカールーム』にやって来た。居酒屋はまだ開店前だ。中には何人かの店員がいる。


「ごめんくださーい」

「はい」


 50代ぐらいの男性が答えた。その男は小太りで、腕が太い。この人が主人だろうか?


「ここに、栗原大樹(くりはらだいき)さんっていますか?」

「わたくしですけど」


 その男が、元プロ野球選手の栗原大樹だ。引退後、野球評論家をする傍ら、居酒屋を経営しているという。


「ここにあった藤松球場について聞きたいんですけど」


 その話を聞くと、栗原は何かを思い出したかのような表情になった。現役時代の思い出と重ね合わせているようだ。


「いいですよ。藤松球場は狭くて汚いし、鳴り物応援のない球場だったけど、庶民的でファンとの距離が近かったんだよ。今の球場とは違う魅力があったんだよ」

「へぇ」


 士郎はいつの間にか栗原の話に聞き入っていた。こんなに楽しい球場だったんだ。今のプロ野球の本拠地ではあまりないものがそこにはあった。自分も実際に行きたかったな。


「引退して、ここに居酒屋を開いたのは、選手たちが本音を言える場所にしたいと思ったからだよ。今でもチームの後輩がよく来て、本音を言ってくれるんだよ」


 ここに居酒屋ができてからは、現役の選手はもちろん、観戦を終えたファンや近隣の住民がよく来るようになった。


「選手が来るんですか?」

「ああ。でも、最近来ない人が多くなったね。本拠地が移って、遠くなったからだろうな。あの頃が懐かしいよ」


 そう思うと、栗原は寂しくなった。球場がなくなり、選手があまり来なくなり、徐々にここから球場の面影は消えてしまう。だけど、そこには球場があったのは事実だ。いつまでその記憶は語り継がれるんだろう。

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ホームランボール 口羽龍 @ryo_kuchiba

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