桜と、夢と、わたし

かつエッグ

桜と、夢と、わたし

 最近、同じ夢を見る。 

 朝ご飯をたべながら、私がぼんやり夢のことを考えていると、そんな私の様子を見ていた夫が

「どうしたの? なにか、心配事でもあるのかな?」

 と、やさしく聞いてきた。

「あ……ごめんなさい」

 私は、あわてて謝った。

「夢の、話」

「夢?」

 夫は怪訝そうな顔をする。

「へんな、夢をみるのよ。その夢の中で、わたしには行かないといけない場所があるようで」

 私は、見ている夢の内容を説明しようとするが、どうしてもうまく言えなかった。

 言葉にしようとすると、その端から溶けていく夢のなかみ。

 私は、なんとか自分の見た夢に筋道をつけて、伝えようとした。

 しかし、

「ああ、だめ。あいまいになっちゃった……」

「ふうん……」

 私の話をきいた夫も、けっきょく、よくわからなかったようだ。

「まあ、夢って、そんなものかもな。ああ、ぼくはもう、行かないと」

 そう結論づけて、夫は出勤のために、立ち上がる。

「あんまり、おもいつめないほうがいいよ」

 鞄を手に取って言う。

「そうね」

 私も夫を見送るために、椅子から腰を上げる。


  ※      ※


 私は歩いていた。

 ここはどこだろうか。

 それは夜だった。

 あたりはうすぼんやりとして、細かいところまでは見えない。

 私の足下に、道が続いていた。

 舗装されていない、両脇に草の生えた土の道が、ぼうっと続いている。

 さあ、この道を行け。

 そんなふうに言われた気がして。

 私は歩いて行く。


  ※      ※


「ねえ、道が出てきたよ」

 私は夫に言った。

「道って?」

「例の夢の話」

「え? ……ああ、つづいていたのか、あの夢」

「うん。なんなのかなあ……」


  ※      ※


 歩き続けると、いつか野原に出た。

 ああ、ここだったのか。

 私のどこかが、その景色に納得したのだ。

 それは私のよく知った場所だった。

 とはいえ、そこがどこかと問われると、私にはいえないのだけれど。

 一本の桜の木が、そこにある。

 夜の昏さの中で、桜の木は、ぼうっと白く、光るように見えていた。花が、満開の花が、その木を夜目にも白く見せていたのだ。

 風がふわりと吹いて、葉叢がざわざわとゆれ、そして、白い花びらが舞い散る。

 ここだ。

 私が呼ばれたのは、この場所。

 私は、桜の木に近づいていく。

 風は乱れるように吹き、桜の花びらが、わたしに降りそそぐ。

 私の手にはいつの間にか、シャベルが握られていた。

 おや。

 いつからこんなものをもっていたのか。歩き出した最初からもっていたのだっけ。

 わからない。

 しかし、何をすれば良いのかはよくわかっている。

 私は桜の木の前に立つ。

 そして、木の根元の、花びらが降りそそぐ黒い土に、シャベルを突き立てた。


  ※      ※


「ねえ」

 と、トーストを載せた皿をテーブルに置きながら、私は夫に言った。

「桜の木の下には、死体がうまっているって言ったのは、誰だったかしら」

「ん……?」

 夫は、トーストを手にして、少し考えた。

「ええと、あれは確か――」

 そして言った。

「ああ、思い出した。梶井基次郎だね」

「そう、それ……ねえ、ほんとうに、桜の下に埋まっているのは、死体なのかしら」

 夫は、私の顔をじっとみて、言う。

「どうして急にそんな——それも、なにかの夢?」


  ※      ※


 柔らかく、黒い土には、サクリとシャベルの刃がもぐりこむ。掬い上げた土を放り出し、また土を掬う。

 湿った土の、濃密な匂いを私は嗅いだ。

 何回かくりかえすと、トン、とシャベルがなにかに当たった。

 私は膝をついて、シャベルを横に置き、そこからは、手で土をかきわけていった。

 そして、とうとう、土の中から、私の探していたものが現れる。

 覆っている土を拭い取る。

 黒く長い髪。滑らかな白い肌。閉じられた瞼。赤くみずみずしい唇。

 そこにあるのは、目を閉じた人のかお

 見覚えのある、その貌は、つまり私。

 見ているうちに、土の中の私の、両のまぶたが震えた。

  そして——。


  ※      ※


「ねえ、あなた」

「ん?」

「わかったのよ」

「なにが——」

 問い返す夫の目に、怯えの色があるように思えたのは、私の気のせいだろうか。それともそれは、諦めの色なのか。

 私は、かまわず、答えた。

「埋まっているのは、わたし」


  ※      ※


 ……目を開けると、すぐそこに、私をのぞきこむ私の顔があった。

 私と私が見つめ合う。

 お互いの、瞳の奥を。

 のぞきこむ私は、何かを悟ったかのような表情で、静かにつぶやいた。


「夢は私……、私が夢……、花びらは記憶……、かりそめの……」


 降りそそぐ、桜の花びら。

 そして、私をのぞきこむ私は、その花びらの中に、溶けるように消えていった。


 ——夢が終わった。

 私は、ゆっくりと、土の中から起き上がる。

 本当の自分の世界を生きるために。

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