第三十七話 ”恐爪王”ディノレックス②

「さぁて、どうしようか」


 苦しい時ほど笑え。精々不敵に見えるように。敵が怯むように。ダイナが不安に思わないように。

 それがエフエスさんの教えだったから。


(……手はある。だけどそのために少しでいい、時間が欲しい)


 できれば切りたくない類の切り札だが、この状況を切り抜ける手はある。僕はチラリとダイナの首にゆるりとかかる紐に視線を送った。蜘蛛型の巨蟲種が吐く糸を織った、大型魔獣ですら千切るのが困難な紐でできた、ある種の首輪を。


「ダイナ」

「うン」


 告げるは一言、答えるも一言。阿吽の呼吸と言うと大袈裟だけど、伊達に半年間を相棒として過ごしていない。互いの言いたいことは多くを告げなくても読み取れる。

 この場はなんとか逃げて、態勢を整える。僕らの意志は一致した。そのために、


「まず一発、強烈なやつをぶち込む!」


 それくらいでないと牽制にもならないと判断。《アイテムボックス》内で最も大きい巨岩を呼び出し、ディノレックスの直上に配置。ディノレックスの倍近い大きさのそれが標的目掛けて自然落下していく。

 例えるなら家か小さなビルが降ってくるのに等しい質量攻撃。人間なら頭から爪先までペチャンコに押しつぶされる一撃だが、


「躱されたっ!?」


 こちらの気配を読んだか、野生の勘か。ともかく驚くほどの反応速度でその場を飛びのいたディノレックス。巨岩の鉄槌から素早く逃れ、威力圏内から逃れた。

 落下する巨岩が大地に叩きつけられ、ズズンと重く響く重低音とともに大きく揺れる。


「いまだっ!」


 群れの大多数の注意がそちらに向いたのを見計らい、ダイナに合図。猛然と駆け出したダイナが比較的包囲の薄い方面へと突破を図る。


(感覚が鋭い、それともただの勘? どっちみちあれだけ鮮やかに躱されちゃ僕じゃまともに当てられそうにないな)


 結論、やはり正面から狩るのは難しい。逃げるのが最善だろう。

 問題は逃げ道だが……、


「ホダカ、この先は――」

「うん、分かってる。賭けになる」


 僕らが首尾よく方位を突破した先には断崖がある。かつて僕らが隘路を使って恐爪竜ディノニクスの群れを一網打尽にした時を思い出す断崖だ。高さは軽く二、三十メートルはあるだろうか。

 そして今回あの時のような都合のいい隘路はない。ただ逃げれば追いつめられるだけ。


「任せていいかな、ダイナ?」

「……ン。分かっタ」


 流石の《アイテムボックス》にも空が飛べるような装備はない。なのでダイナのギフトが頼りだ。

 問えば、静かにダイナは頷いた。流石は僕の相棒、思い切りがいい。

 その援護をすべく、後ろから猛然と追ってくる恐爪竜ディノニクスの群れへ次々と大岩をめくら打ちで投下。当たらずとも障害物になればいいくらいの気持ちで叩き込めば、後ろの吼え声が遠ざかる。多少は猶予ができたらしい。


「出タっ!」

「ああ、ここからだ」


 そして森を駆け抜ければ、目の前には切り立った断崖があった。

 最早逃げ道はない、絶体絶命。そんな状況。


「それじゃ、降りるよ」


 恐爪竜ディノニクスの群れが追いつく僅かな猶予を使ってダイナに着けた鞍から素早く降り、鞍や余計な装備を回収。

 次いでギフトを解いて少女に戻ったダイナを素早く背中に負ぶる――というよりもしがみつかせると言った方が適切か。

 そしてあとは……あとは、僕自身が勇気を出して一歩を踏み出すだけ。


「……………………」

「ホダカ?」


 迷う僕にダイナが声をかける。

 これは……断崖絶壁を前にすると、原始的な恐怖が勝る。踏み出そうとして、踏み出しきれない状況が数秒続き……


Giiiiギィィィ……!」

GiShaAaAaAaaaaギシャアアアァァァ――!」

GuRuRuuuuグルルゥゥゥ……!」


 もっと直接的に恐ろしく、命の危機を感じさせる脅威に背を押されて僕はようやく一歩を踏み出した。


「あ”あ”あ”っ! もうちょっと時間をくれよ本当にさぁ!」


 気合いを入れるため、腹の底に力を入れて叫び――僕は、

 思い切りよく崖を踏み切り、何もない中空へとその身を投げ出す。足場をなくした浮遊感が延々と続く頼りなさ、身体を揺さぶる風の荒々しさ。断崖絶壁からのノーロープバンジー。何もかもが未体験で、できれば一生体験したくない感覚だった。

 

「ダ、ダイナッ! 悪いけどあとよろしく!」

「うン、大丈夫。任せテ」


 落下の恐怖に慌てる僕と違ってダイナは落ち着いたもの。

 そして背中のダイナが僕の胴体に手を回し、ギュッと痛いくらいの力強さで抱きしめ――

 落下が、飛行へと変わったのだ。

 僕からは見えないけれど、いまダイナの背には翼が生えているはずだ。

 天使のような、というにはその翼は刺々しく、禍々しい。鳥類の羽毛に覆われた翼ではなく、蝙蝠に似た被膜で風を受ける翼だ。

 空を舞う飛竜の翼だ。

 僕という重石がある以上飛翔というよりは滑空に近い飛行だったけど、ディノレックス達から逃れるにはこれで十分。あとはとにかく無事に降りられる場所を探して……探して、


「ダイナ」

「うン」

「どこに降りようか?」

「うーン」


 問いかけたダイナにも首を捻られた。

 眼下は森の木々で覆われ、僕らが無事に着陸できそうな空き地の類は見当たらない。

 しまった。とりあえず奴らから逃げ出すことに集中して、無事に着陸する方に全く考えが回ってなかった。


「とりあえずなんか上手い感じによろしく!」


 なにもかもダイナに投げっぱなしとは言わないでほしい。こんないざという時に備えている人が早々いるとは思えないし、できればこんな経験は一生したくなかったのだから。


「分かっタ。とりあえズ、だね」


 そしてダイナは僕の指示をとりあえず死ななければいい、くらいに解釈したらしい。

 思い切りよく眼下で一番大きな大樹……衝突の衝撃を力強く受け止めてくれそうなクッションへ向かって飛行の舵を切り――結論だけ言えば僕らの緊急着陸は成功した。

 ズキズキと骨に響くような全身の痛みと引き換えに。人間って意外と頑丈なんだな、とおかしな方向で感心したくらいだ。

 ともあれ、これで僕らは奴らの包囲網から逃げ出せたのだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「…………うん、まあ、覚悟はしてたよ」


 そして目の前には焼き直しのようにディノレックスとディノニクスの群れ。まるで人生ゲームで「振り出しに戻る」の目が出たかのような光景に憂鬱なため息を吐いてしまう。

 違うのは奴らの目の前に立っているのが僕一人なことくらいか。

 この森は奴らの庭。そして元々薄く広く展開していた奴らの群れから逃げ切るのは困難で、一度はその包囲網から逃れたもののすぐに再補足され、再び網にかけられてしまった。

 奴らもかなり疲れているが、僕らも覚悟を決めなければならない場面だ。幸い、一度仕切りなおせたことで戦うための準備は終わっている。


「仕方ない――戦おう、ダイナ!」

『分カッ、タ。一匹残らズミナゴロス、ネ?』


 最後の号令は当然姿を隠した相棒に向けて。

 闇から返ってくるダイナの声はいつもよりずっと非人間的な、怪物が無理やり人語を発そうとしたような、金切り声。

 僕の「よし」が出た途端、暗闇に覆われた森の空気がと蠢動する。

 殺気だ。

 相棒である僕ですら身の毛がよだつダイナの殺気がこの一帯を覆っている。それを感じ取ったディノニクス達が怯えているのだ。


 ――ザン、と。


 微かな気配のみを伴に、密やかな実行された襲撃。闇の奥から前触れなく振るわれた爪牙で、一頭の恐爪竜ディノニクスが前触れなくその五体を引き裂かれた。


Gyaギャッ……」

Gyiiii……!」


 最初の一頭を皮切りに、闇から伸びた爪牙が次々と断末魔の鳴き声を上げる恐爪竜ディノニクス達。最早僕に構っている余裕すらない、恐慌状態に陥っていた。

 そこに一石を投じるのは、群れの女王。ディノレックスだ。


GuRuOoOoOoOoOooo――ッ!!』


 正体を現せと言わんばかりに女王ディノレックスが吼え猛る。同時に叱咤を受けた群れが統制を取り戻した。

 その瞬間、微かな月光が森の暗闇を照らし、影に潜んだ巨獣のシルエットを捉えた。


『――――――――』


 ディノレックスをも圧倒する巨体、狼に似た精悍な顔立ち、夜の闇に紛れ込む僅かな藍の混じった漆黒の体色、硬質化してささくれだった体毛。

 その巨獣は”影狼竜”ナイトカルド。闇に紛れ、夜を駆け、獲物を狩る夜闇の狩人がそこにいた。

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