第十八話 大丈夫
僕の叫びを聞いてこっちに視線を向けたエフエスさんはまず僕に抱きついている見知らぬ少女に警戒心を向けた。
敵意に似た感情の動きに少女は敏感に反応し、僕の後ろに素早く回り込むと顔だけを出して獣のように唸り始める。
「ウゥゥ――――ッ!」
「……よしよし。落ち着け落ち着け。このお姉さんは全然怖くないからね」
獣じみた威嚇を放つ少女をなだめるように声をかけ、頭を撫でると今度は僕の方へパァッと太陽のような笑顔を向ける。
エフエスさんはその光景を見てどう応じるべきかと混乱しているようだ。端から見ていると相当に意味不明と言うか僕自身が困惑しているので当然の反応である。
「……で、この子が昨日あなたに懐いていたおチビさんって?」
「僕だって信じられませんけど状況的にはそうなります」
少女の胴体に括られている紐を示しながら僕自身半信半疑の色を声に込める。
「いえ、信じるわ。信じると言うか……そういうギフトがあるの。でもね、それはそれで疑問が生まれるというか」
「なるほど、《ギフト》ならありえそうですね」
僕の《アイテムボックス》も大概理屈が不明なのだ。狼男よろしく変身することが出来る《ギフト》があってもおかしくはない。
「そういうこと。でもそれはこの子が人語を話せないことの説明にはならないのよねぇ」
「ああ、人が竜や獣になっても言葉や知性までは消えないってことですか。そこまで変化したらそもそも人に戻れなくなりそうだ」
「ええ、人伝に聞いた程度だけど変身中もしっかりと人の意識は残るはずなんだけど。人間らしさの欠片もないわね。あなた相手なら可愛げはあるけど」
「言ってる場合ですか。《ギフト》を使っているうちに何か取り扱いを誤ったとか?」
「違うわね。《ギフト》はそういうものじゃない。どちらかと言えば
「……?」
エフエスさんが呟く言葉を僕はとっさに理解できなかった。
置いてきぼりにされた僕を他所に、彼女はまじまじと少女の身体の各所に見られる鱗を見詰め、思考を纏めるように次々と言葉を紡いでいく。
「この特徴から《九似の一族》であることは確定。その上でこの状況……もしかして《龍樹の森》で最近生まれた第一世代? で、刷り込みで穂高に懐いた?」
ブツブツと呟く中身はこの世界に特有らしい単語もあって半分以上意味不明だ。
だが彼女の中でだんだんとピースが繋がりつつあるらしいことは僕にもなんとなく伺えた。そのまましばらくの間考え続けていたエフエスさんだが、やがて結論が出たようだ。
「なんとなくだけど事情は掴めたわ。断言はできないけど多分間違いない」
「おおっ!」
流石はエフエスさん。さすエフである。
上位冒険者の尊称は伊達ではないようだ。
「色々細かい事情をすっ飛ばして結論から言うと、この世界には
「はい? じゅもく……樹木? え、樹から人が生まれる? 流石に冗談ですよね?」
衝撃のパワーワードの連続に思わず自分の耳か正気を疑って問い返すとエフエスさんには真顔で頷かれた。
次に少女を見る。ところどころ鱗が生えている以外はどこからどうみても人間そのものだ。
(この子が樹から生まれた? なんの冗談だ?)
多分今の僕はマジかよ、と言いたげな顔をしていると思う。
え、なにそれ異世界の人類怖すぎる。ちょっと根本的なところから理解ができそうにない。何がどうしたらそうなるんだ?
「言っておくけど流石にいまのは《龍樹の森》っていう聖域だけで起きる例外よ。世の中で元気に生きてる人の99%は両親がいて母親のお腹から生まれてくるわ」
「良かった! いや本当に良かった」
得体のしれない恐怖感から開放されて思わず安堵した僕は悪くないと思う。
流石にそんなケースが異世界のスタンダードなら性と生に関するカルチャーギャップが恐ろしすぎる。異世界に来てから出来た僕の夢の一つが美人のお姉さんがいるお店で色々とサービスしてもらうことなのだ。
「何も良くないっての。むしろ問題は大きくなったわ」
「それは一体……ちなみに彼女のようなケースって普通どういう風に育つんですか?」
エフエスさんが深刻な顔をしていたので思わず問いかける。
だがその途中で彼女が言いたいことがなんとなくでも分かってしまった。要するにこの子がこれからどうなるのかという話だ。
(家畜を育てるのとは訳が違う。よく考え直さないと……)
昨晩までとは状況が変わった。
同じ育てるでも獣と人の子ではその重みが違いすぎる。
「大体はある程度身体が出来上がったところで培養樹から生まれ落ちて、《龍樹の森》の住人が保護するわ。でもこの子はそこから漏れたのね。そのままたった一人孤独を抱えて彷徨いながらこの近くにまで辿り着いた。そしてあんたと出会って、曲がりなりにも守られた。初めての体験だったでしょうね。価値観がひっくり返ってもおかしくない」
「……この子から見た僕は親みたいなものですか」
「そ。この世界でたった一人の味方と思っていそうね。多分引き離そうとしても縋り付いてくるわよ。あんた、心を鬼にして引き離せる?」
エフエスさんから視線を外し、少女を見る。
深刻な声音、表情で話し合う僕らを見て少女は不安そうに視線をさまよわせていた。
やはり見捨てられない、せめてその未来に道筋をつけるまでは。
「この子が生まれたらしい《龍樹の森》の人たちに保護は求められないんですか?」
正直僕自身が育てるのは難しい。それ故の妥協案だがエフエスさんは難しそうな顔をして首を横に振った。
「多分無理。なんていうか……あそこの連中は私達とは常識が違うの。この子があんたと一緒にいることを望むならそれを尊重するわ。その結果この子が死のうがあんたが共倒れしようが気にも留めないでしょうね。自然のままにって」
実体験から来る懐かしさと若干の苦々しさを渋面に浮かべながらエフエスさんは断言した。そう言えばエフエスさんが使う大弓の建材の一つを龍樹の若枝と話していた。過去、現地に滞在したことがあるのかもしれない。
「一応言っておくと私に引き取ってくれそうなアテはないわ。孤児院に預けてもギフトがギフトだから持て余しそうだし。ああ、完全変身系のギフトはかなり稀少だから、ギフト目当てに名乗りを上げる奴隷商人もどきくらいはいるかもね」
「それじゃ意味がないでしょう」
厳しい現実に空虚な皮肉を零すエフエスさんについキツイ口調で返す。
とはいえ僕が突然名案を思いつけるはずもない。ただの八つ当たりに過ぎない言葉に自己嫌悪が募った。
「つまりこの子の面倒を見られるのは……」
「現状あんたしかいないわね。一応希望もあるにはあるわ。この子の《ギフト》はかなり優秀よ。キチンと人間として育ててギフトの使い方まできっちり仕込めば冒険者として大成する可能性はかなり高い」
「……この子を、育てる」
正直考えるだけでキツイ。責任の重みに押し潰されそうだ。
ごくごく普通の高校生の僕に子育ての経験などない。この子を立派に育て上げる自信など欠片もなかった。
「当たり前だけど所詮獣でしかない恐爪竜より人の子どもを育てるほうが何倍も大変で責任を伴うわよ」
「……でしょうね」
「師匠として言っておくわ。昨日と今日じゃ状況が違う。抱え込めない荷物を手放しても私はあんたを責めない」
それはエフエスさんの優しさだ。
この子を手放す……いや、見捨ててもそれは仕方のないことなのだと擁護してくれている。
実際僕自身も心が一方に傾いていることを自覚する。最初から出来ない道を選ぶのは勇気ではない、無謀だ。だからそれはやむを得ないのだ、なんて言い訳が脳裏をよぎった。
「……………………」
迷う、いや自分の迷いを説得するための時間と材料を探すだけの沈黙が過ぎていき、それでも最後の一線が振り切れない。
そんな時、
「――――――――――――――――ホダカ?」
不意に少女が僕の名を零した。この一言にはこの子の全てが詰まっていた。
腰にしがみついて縋るような上目遣いに見詰められ、少女の瞳に映る感情がよく分かった。
恐れ、戸惑い、不安に襲われ、僅かな信頼と僅かな希望が彼女を限界のところで繋ぎとめている。彼女を支える細く頼りない綱が切れればこの子はもう二度と誰かに心を開くことはないだろう。
この子は生まれ落ちた場所から追われ、獲物として狙われ、ようやくたった一人の味方の出来た小さな子どもなのだ。
(ダメだ)
と、僕は思った。僕に縋る少女を思わずキツイくらいにギュッと抱きしめる。
腕の中で震える小さな生命に触れて強烈な同情と使命感に襲われた僕は――――、
「大丈夫」
――――
「なんとかなるさ!」
笑え、と自分で自分に命令する。
不安に怯えるこの子に大丈夫だと示すために。それが全くの空元気だとしても。
このどうしようもないくらいに不細工な笑みが僕の出した答えだった。すぐに言ってしまったと後悔したけど、後悔した分の価値はあるのだと思いたい。
「ホダカ!」
この無邪気な少女のパッと花が咲くような笑顔が見られたのだ。
それはきっと良いことなのだと僕は思う。
「……そ。本物の馬鹿なのね、私の弟子は」
そしてエフエスさんは呆れたように、どこか嬉しそうに笑いながらそれを見ていた。
心の底から愉快そうに、そしてほんの僅かに感傷を乗せて。
「いいわ、あなたもこの子も私の
吹っ切れたようにエフエスさんは朗らかに笑う。
この時、僕などよりエフエスさんの方がよほど覚悟を決めていたのだと僕はのちにそう悟った。
それなりに遠い未来、夜も更け二人でお酒を酌み交わしていた時にエフエスさんはかつて竜の少女を受け入れた理由についてこう語った。
「
その一言にどれだけの重みがあったのか……僕にはほんの僅かに察することしかできなかった。
「そこで啖呵を切ったならこの子が人として生きられるまで親代わりになって育て上げなさい。
「……本当に、いいんですか?」
間違いなくエフエスさんにも重い負担を与えるだろう。これはほとんど僕自身の我儘なのだ。
後ろめたさを乗せた問いかけに返ってきたのは、
「弟子が師匠の言葉を疑うんじゃないの」
バチーン、と音が鳴ってのけぞるほど強烈なデコピンだった。
思わず未来へ向けた不安だとか迷いとかが吹き飛ぶほどに強烈な衝撃だった。
「いい? 私はBランク冒険者。冒険者の上位1%のエリート様よ。依頼もバリバリこなして後の人生遊んで暮らせるくらい貯えもあるわ」
そこには腕を組んで胸を張り、全力のドヤ顔を披露する
「あんたが死ぬほど苦労するのは前提として」
と、さりげなく僕を酷使しまくる前提条件を付けてきたがそれに文句をつけるなどバチが当たるので割愛する。
「師匠として教えてあげるわ。世の中の大体の問題は金貨の詰まった革袋を叩きつければ解決するのよ」
このときの僕が思ったのは一つだ。
やはり
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