マシーン・マーシナリー・マインド・オーバー・マター

日向 しゃむろっく

第一章(前)

「——終点です。お客さん」


 その言葉によって大脳が二四時間のスリープから目覚めた。

 僕は立ったままで、四角柱のケースに完全な固定状態でいる。それを覗き込むようにしている宇宙港の保安担当者が四人。


「氏名をどうぞ」


 担当者のうちの一人——細面で色白の男が尋ねてきた。いつものコト。


「——ジニス、です」

「個人IDと渡航目的を」

「IDは喋るのが面倒くさいので、そちらの端末に無線送信で良いですか?」

「許可があるまで発言はしないで下さい。規則違反ですよ。……ええ、どうぞ。はい、確認しました。では渡航目的は?」

「所属する会社へ帰ってきただけです。地球へは社命の出張です」

「はい、確認、確認、確認……。全て検証できました。どうぞ、行動制限解除コマンドです」


 その合図のすぐあとに、僕の体を拘束していたプログラムが解消される。

 ゆっくりと、なるべく担当者達を刺激しない仕草を演じて輸送ケースから出た。


「保安検査はここまでです。内蔵武装については所属会社へ暗号解除コマンドを送ってあります。ようこそ、木星ターミナルコロニーへ」


 担当者達はそれだけ言うと、即座に解散した。サイボーグはロボットと違い暴走する心配もない。そもそも僕のような法に抵触しそうな荷物はゴマンと運ばれてくる。一々気にしていたら残業で過労死してしまうだろう。


 電波暗室でもある隔離室を出るときに、僕はマジックミラーを見つけた。そこに彼らが慎重にならざるを得ない理由が映っている。


 さび色の髪と黄色の瞳。それ以外はまったく人間と変わらない姿の二十代男。

 その実態はBMI二一程度の背格好に、二五六キロ相当の武装と装甲を詰め込んだ高度戦闘用サイボーグ。人間社会に溶け込んで活動し、有事には敵地で絶対に対処しなければならない脅威として暴れ回る自律した戦略兵器。


 軍用ブーツの音をゴトゴトたてながらロビィへ出る。

 静寂に慣れていた聴覚が突然多くの音声を拾いだす。子供が騒ぐ声、カップルが行き先での期待に胸を躍らせる会話、旅行の思い出に浸る夫婦。みんな平穏そうに見える。いや、こういうところに来られる時点で間違いなく平穏で裕福なのだろう。


 当然、僕がそれらを自覚する前にソフトウェアが即座に『どうでもいい』情報をそぎ落としてくれる。そのおかげで苛立たずに済む。


 誰も僕に気を留めない。僕も気を遣わない。


 スリープ状態、記憶のデータと向き合っているとき、作戦シミュレーション中……。そういった一人でいる状況が、僕は好きだ。当然、誰かと会話はしなければならない。仕事は会話で成り立つ。だがフェイストゥフェイスで話す必要なんかない。電子メッセージのやり取りで済む。感情が伝わらない? 知るか。


 突然、意識領域への侵犯を検知する。僕の脳髄を護るセキュリティが即座に対応しているのがチリチリと感じられたが、あっけなく伸されたようだった。

 せっかく、平穏な時間を愉しんでいたのに。


『——……あー、あー? ジニス、聞こえる?』


 無線の着信。声の主はよく知っている女性。


『聞こえてるよ、ブリッツ』

『おかえりー。カウンセリングはどうだった?』


 他人の意識領域に土足で踏み込んでこのセリフ。ブリッツ。君は僕の何なんだ?


『別になんにも無いよ』

『水くさいねえ。そういう仲じゃないでしょ』


 じゃあどういう仲なんだよ。そもそも僕は君にプライバシーを開陳する義理はない。


『ブリッツ。ここ二週間で何か変わったことは?』

『んー、そうだなぁ……。まーた【協会】が条約違反したぐらいかナ』

『何をしたの』

『前宇宙文化圏に対してコンタクトとっていたの。んで、その星の主食だった植物が五種類ぐらい絶滅したの』

『地球政府の支援は』

『原住民と接触したけど無理。完全に敵愾心持っちゃってて……』


 然もありなん。


『ねえ。地球のお土産は?』

『何もないよ』

『ケチだなァ……。じゃあ後で視覚データにアクセスさせてよ』

『なんで』

『ジニスが普段から、何に注目して生きてるのかなって』


 急にブリッツの声が下卑た笑いを含み出す。本当にムカつく。僕を思春期のガキだと思っているらしい。


『——用件はなんなの』

『あー。はい、コレ』


 視界にホログラムの切符が現れた。


『宇宙港から最寄り駅までの切符買っておいたよ。指定席一枚。隣席無し』

『ありがとう』

『むふ。褒めてぇ』

『じゃ』

『あっ、ちょっ』


 意味のない長話に興味はない。ラジオなら垂れ流しでもいいが、応答が必要な物ならノーだ。そもそも切符をくれるのなら添付だけでいいじゃないか。なんで通話した?

 

 ***


 五両編成のリニアトラムで宇宙港からコロニー外縁部へ。

 ここには中央区に勤務する人間のために造られた住宅街が広がっている。地球の焼却ゴミと月の砂を混ぜて造った強化コンクリ製ブロックが地面に並べられ、中央区のアスファルト道路とは雰囲気が異なる。上には青空——これはランダム生成されるプロジェクションである——が広がっている。見かけだけの地上だ。


 そんな住宅街にひっそりと佇むガレージ付き一戸建てが、僕らの所属する会社。

 民間軍事会社『コンサルタント&オブザーバーズ』。その存在すら都市伝説と化している、一般市民には知ることの出来ない『社会の日陰』が僕の居場所。


 玄関扉を開けると広めのエントランスにそのまま繋がっている。人の常駐していない受付の前に立つと、僕の外周センサーは赤外線やら電磁波、その他諸々の走査信号を感知する。肉眼では見えないが、防衛機器と連動した各種センサーで固められているため妙な動きは死を意味する。まぁそもそも、僕は内蔵されたIDで本人確認されるのだが。


「ジニス、帰還しました。社宅入室許可を」


 隠されたスピーカーからチャイムが鳴る。「許可」という意味だ。僕は踵を返して平屋を出て、二ブロック先のアパートへと向かった。


 この辺りの区画は全て『C&O』社の所有物。僕らのように所属する傭兵は全て、適当な社宅に押し込まれる。傭兵はこうやって管理しておかないと『もしも』の時に危険だ。


 ジョギングをする一般人男性や、飼い犬を散歩する家族とすれ違う。

 彼らは意図的に傭兵達の中に混ぜ込まれているエキストラだ。本当に何も知らない一般人。何分の一かは無関係の人間を置いておくことで、僕らの存在を秘匿している。


 そんな普通の住宅地と変わらない見た目の、生活の中の一部のようなアパートが見えてくる。

 二階建て四室の、くすんだ緑色のアパート。学生が住んでいそうな雰囲気があるが、うち三室は入居していると偽装された空室。そして一階の光の差さない部屋が僕の居室。


 ロックを親指の非接触型キーで解錠して中に入る。

 白い無垢の壁紙。無地の灰色のベッド、掛け布団なし。そして場違いな木製の机と椅子(これはブリッツが持ってきた)。その他、機械の体のメンテナンスに使うタンスぐらいの大きさの工具入れ。


 それ以外は何も無い。本も、冷蔵庫も、なにも。

 我が家に帰ってきたとかいう感慨も感じず、真っ直ぐベッドまで歩いていき静かに腰を下ろす。ベッドサイドのデータケーブルを引き出して左耳介裏のジャックに差しこむと、視界がホワイトアウトした。


『——短期記憶の整理を行いますか? Y/N《はい いいえ》』


 白い景色に表示される黒いゴシック体。なんのことはない。プログラムの選択肢である。


『Y』

『——短期記憶容量を計算中……。——二週間分の記憶があります。マニュアルで整理しますか? Y/N』


 正直、マニュアルでやったら大変なことになる。睡眠中のセンサー記録についても取捨選択を聞いてくる。そんなのやってられない。


『N』

『——オートで整理します。処理時間は****《計算中》分です』


 ナマの脳の記憶はいい加減だ。そのいい加減さは時として仇になるけど、普通なら丁度良くなる。僕のように機械センサーを使って感覚を拾っていると、「うまい」だけでも相当な情報量になる。当然ながらそれを全て脳に記録としてたたき込むと発狂する。


 バックグラウンドで不要なデータが高速で消えていくチリチリとした感覚は不快だ。大脳を休ませたいのだが苛々して休む気にならない。だけど新しい短期メモリを買うのも億劫だ。ハードが交換されるからそこまでの短期記憶がスッポリ抜け落ちる。危機的な不具合があったとき、その空白の時間が致命傷になる可能性がある。リスクは低減させたい。


『トピックス指定された連続記憶があります。再生しますか? Y/N』


 ——なんだろう、と。僕はYと回答した。

 中々再生されない。重いデータらしい。


 ——映し出される瓦礫になりつつある都市。降雨の情報。

 ブーツが砂利を噛んでザクザク鳴り、一人称視点の主である僕は息も切らさず走っている。手には汎用装備の自動小銃が抱えられており、作戦中のようだった。


 それを見て、僕は自分のミスを認識する。

 舌打ちをして再生停止コマンドを送ったが、一向に止まらない。

 データが大きすぎてスタックを圧迫し、コマンド処理が滞っているらしい。これだから型落ちの短期メモリは!


 映像の中の僕は、瓦礫によって隠蔽されていた地下施設に突入した。

 深淵のような暗闇にマズルフラッシュ《銃の発射炎》が閃くが、僕はそれを意に介さず突き進み反撃して刈り取っていく。


 本当にバカな奴らだった。サイボーグの暗視能力に太刀打ち出来るわけがない。

 そのうち自動小銃が弾詰まりを起こしたので、それを放棄してナイフを抜き白兵戦に切り替える。一人、また一人と喉や胸、脇、大腿の動脈を切り裂いていく。

 

 みんな、最後は喉に血液が溢れてゴボゴボと啼いて崩れる。あるいは出血が止まらない傷口を押さえて命乞いをする。

 なんでお前らは死ぬ覚悟もないのに、武力抵抗なんてするんだ?


 ——僕は相変わらず停止コマンドを必死になって送っていた。だが逆にそれは処理をビジーにさせ、応答停止を引き起こす。


 嫌だ嫌だ嫌だ。

 見たくない!

 どうする。

 電源を落として強制終了するか?

 いや、電源を落としたら型落ちの短期メモリのデータが全部吹っ飛ぶ。

 そうしたらここ二週間の記憶まで忘れてしまう。


 というか今再生しているこの記憶は、トピックス指定されているだけで短期メモリにはない。つまり僕は、短期メモリに潜んでいた地雷を踏み抜いたのであって、たとえ二週間分の記憶と引き換えに短期メモリのキャッシュを一掃しても、このクソみたいな記憶は消えない。


 そして、問題の場面まで来てしまった。

 唯一といっていいデスクが置いてある部屋。

 ボロボロの、汗と泥で汚れた軍服を着せられた少年を人質に、僕に対して武装解除を喚くニンゲン。型落ちの拳銃を少年のこめかみにあて、手入れのされていない汚い歯をむき出して叫んでいる。


 録画と同時に記録された音声データは翻訳すらかけていない。どうせ泣き言か罵詈雑言ばかりで聞くにたえないし、意味が無いからだ。主要なメンバーを全部殺せというのがミッションなのだから。


 盾にされている少年は「どうして」という風な顔をして呆けている。ああ、そういうタイプの少年兵かと、ぼくはその表情で理解した。


 彼はこの組織で育てられたのだ。痛みや麻薬ではなく、耽美な未来像や彼らの説く理想郷を信じてここにいるのだ。だから、彼を育ててきたこの男の今の振る舞いが理解出来ない。


 同志では無いのか、とか。

 なんで僕らがこんな目に、とか。

 僕を育ててくれたのに、とか。


 ——バカだ。作られたバカだ。どいつもコイツもバカばかり。

 僕は即座にナイフを投げつけ、ニンゲンの右頭部にヒットさせる。幸せなものだ。恐らく痛みも感じず、破壊された脳髄が発する混乱した信号で錯乱したまま絶命するのだろう。


 人質の少年は、「どうしたらいい」という風に僕とニンゲンを見比べていた。

 ——本当にムカつく。

 なんでお前らは、自分が弱いと理解出来ないんだ?

 詰んでる状況を理解出来ないんだ?

 なんでそこでソイツの銃を拾うんだよ! なんで僕に向けて撃とうとするんだよ!

 お前らニンゲンが僕に勝てるハズがないだろう!

 なんで抵抗しようとするんだ!

 そうなったら僕は正当防衛するしかないだろうが!


 次の瞬間、僕の右手は子供の頭蓋を裏拳で一撃し、それを粉砕していた。


 ——そこでやっと再生が止まった。


 即座に削除コマンドを送る。


『コマンド拒否。ニューラルネットの広範囲に、偏在化した同様の記憶が存在しています。この連続データの削除は、類型の似ている別データとの判別が難しく浸潤しています。削除はニューラルネットへの大きな損傷になる可能性があります。サイバネティックボディの管理者への削除許可を得て下さい。Y』


 ——頭の固いAIにはいつも苛々する。ようするに僕の体はC&O社の備品で、それに「付随」している脳をどうこうするのもC&O社の許可が必要ってこと。


『見つけたー』


 聴覚にブリッツの声が突然飛び込んでくる。僕は僅かに苛立った。


『お、すっごいムカついてる』

「脳波を読まないで。プライバシー侵害だから」

『アタシは数値でしか知覚できないんだモン。短期記憶の整理中? 手伝おうか?』

「どうせ、もう覗いてるんでしょ」

『ウン』


 ブリッツは……データ化された元人間。基本的に実体化せず、通信回線という廊下を全速力で走っては色々な電子機器に入り込む。どこにも居るしどこにも居ない。


 気づけば白い背景の中を、真っ黒で立体的な影がうろうろしている。やけにプロポーションの良い女性。ブリッツのアバターである。実際の印象としては部屋に入り込んできたハエみたいなものだ。うっとうしい。


「……そうだ。ブリッツ」

『なーに?』


 黒い人型に、白い輪郭で目鼻口を表示されたアバターが振り向く。ショートカットの怜悧そうな年頃の女性。僕よりも二歳ほど年上に見えるのは、彼女がそういう風にこちらの認識に干渉しているから。


「消して欲しいデータがある」

『お、何消す?』


 僕はさっきAIから拒否を喰らったデータを提示した。ブリッツの回答は即座だった。


『無理。——浸潤が進みすぎてる』

「一ヶ月前の記憶なのに、なんで」

『心当たりがあるから……でしょ』


 ——それを言われてしまうと、僕は何も言えない。


『ねえジニス。本当にカウンセリング受けた? カウンセリングを受ければ、この記憶だって見方が変わると思う。消したいと思っているのなら……』

「僕がズルして、思考テストをパスしたって言いたいの?」


 ブリッツは黙った。


 実際、僕は思考テストをからくりを使ってパスした。通電が要らない外部メモリにカンニング用のプログラムを用意し、それを脳殻に装着しておいたのだ。

 思考テスト開始と同時にカンニングプログラムは勝手に走り、模範解答を返していく。簡単に『異常ナシ』の判定をとれる。


『——だって、行く前は取り乱してたでしょ……。現場で少年兵を手に掛けたことでフラッシュバック起こして……』

「やめろ」

『動転している自分を見た上層部が評点を下げて、クビになるかもって二重に怯えていたじゃない。そういうのが無いっていうのを確認して安心するためでもあったんだから——』

「やめろよ!」


 僕の怒声にブリッツは口をつぐんだ。


「そんなに疑うなら、僕の意識の深部領域を覗けよ」

『それは絶対に嫌。知ってるでしょ? 深部領域を覗くのはレイプと同じなのよ』

「じゃあ僕はカウンセリングに行ったし思考テストをパスしたとしか報告できない」

『……わかった。信じる』


 僕はブリッツが落胆するのを黙殺した。一体何なんだよ。

 カウンセリングで出会ったカウンセラーも医者も同じ事をいう。「一人でいるから新しい情報が増えず、ループばかりになる」と。


 だからどうした。


 例えばブリッツだ。いつまでも僕に世話を焼くように近づいてくる。意識の表層にもズケズケと入ってくるし、下らない読書データを勝手に置いていって記憶域を圧迫する。この部屋に置いてある無駄な机と椅子もそうだ。粗大ゴミを通販で押しつけてくる。


 こんなのを増やせと? ふざけるな。

 シキシマもそうだ。弛んでる。いや、C&O全体が。


 いつ死ぬかも知れない稼業だというのに、フラフラフワフワとしてだらしない。私語は多いし私物も多い。僕が生身だったころに所属していた武装組織じゃ、そんなことは無かった。こんな士気にかかわる連中を増やせだなんて、願い下げだ。


『——ジニス。呼び出し入ってるよ』

「え?」


 記憶の整理中で外部通信を遮断していたため気づかなかった。ブリッツから転送されたショートメッセージを確認すると、記憶の整理を早めに切り上げるコマンドを送る。視界が元に戻り、ブリッツに言わせると殺風景な部屋が見えるようになる。


 いつの間にか視界にブリッツは居なくなっていた。僕が煩わしそうな仕草をしたのを感じて、干渉をやめたのかもしれない。

 最初っからそうしてくれ。

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