探さないでください

仲 懐苛 (nakanaka)

第1話 探さないでください

クロエは着慣れない侍女服に急いで着替えていた。


王城の端のクロエがいる部屋の中は、荒らされ金目の物が全て盗まれていた。


昨日まで、沢山の使用人が働いていた王城はガージニア王国が帝国に敗戦したと分かると大混乱に陥った。


使用人達は、王城から我先に逃げようと正門へ急いだ。ガージニア王国は千年以上の歴史を持つ国だ。現在はランガ帝国が大陸最大の国だが、はるか昔はガージニア王国こそが、大陸を支配していた。


年代物の金細工。古びた純銀のスプーンやナイフ。ハンカチの一枚に至るまで、逃げる使用人達は強奪した。


正門の方から、叫び声が聞こえてくる。


早朝から聞こえるその叫び声は、逃げようとして殺されている使用人の声かもしれない。


クロエがいるのは、ガージニア王国第九王子の私室だ。王城の最奥に位置する王子の私室の周辺は静まり返っている。


そこに複数の足音が近づいて来た。


ガシャガシャ、ガシャガシャ。


重装備の兵士達の足音だ。


クロエは緊張で身震いした。


大丈夫だと思うが、絶対に見つかるわけにはいかない。


やっと侍女服に着替え終わった。誰一人として、クロエが侍女の姿をしているとは思っていないはずだ。


部屋の中央の大きな暖炉に、残っていた王子の痕跡を投げ入れた。


暖炉の炎が大きく燃えた。舞い上がり一瞬で消える火花が消えゆく王国の最後を物語っているようだった。









その時、ドアが大きく開かれ、数十人の帝国兵が部屋へ押し入ってきた。




帝国兵の先頭にいるのは、真っ黒な鎧を身にまとった長身の兵士だった。光る銀の剣からは、血が滴り落ちている。


クロエは、長い茶髪を背中で一つにまとめ、薄汚れた侍女服を着ている。


もしかしたら、ここで死ぬかもしれない。


そう思うと、秘密を隠し通す為、ずっと前かがみの姿勢を取ってきた事がバカバカしく感じる。


クロエは、王城で初めて胸を張り正面の兵士を見た。


真っ黒な鎧はよく見ると返り血で所々が汚れているようだ。鎧の下から見える瞳は血のように赤い瞳をしていた。


その瞳にクロエは既視感を思える。


どこかで会った事があるような気がする。


どこで、、、、




黒い鎧の帝国兵が言った。


「もしかして、クロエか?こんな所でなにを、、、、」



クロエは驚いた。


その声には覚えがあった。王都の広場で出会い、親しくしていた若い商人だった。


「ジークなの?」



黒い鎧の帝国兵は、頷き、付き従う兵へ指示を出す。


「ルルージュア王子を探せ。」










ジークの指示に従い、沢山の帝国兵が部屋の奥へ進んでいった。


ジークはクロエへ話しかける。

「クロエ。どうしてここに。戦争になるから早く逃げるように言っただろ。」


クロエは言った。

「母さんの調子が悪かったから逃げれなかったの。ジークは商人じゃなくて帝国兵だったの?」


ジークは罰が悪そうに言った。

「騙して悪かったよ。ルルージュア王子がどこに行ったか知っているか?彼で最後なんだ。」


クロエはその言葉に驚く。ルルージュア王子はガージニア王国の第9王子になる。


「最後って、、他の王子様たちは、、」


その時、部屋の奥で一人の兵士が叫び声を上げた。


「見つけました。隠し扉です。足跡があります。」








ジークはクロエを置いて、奥へ進んで行き言った。


「必ず、探し出せ。生死は問わない。」


その言葉にクロエは身震いした。


見つかったら殺されるかもしれない。


「ジーク様。その侍女はどうなさいますか?確認しても、、、」


ジークの隣にいた大柄な兵が話しかけた。


「この娘は知り合いだ。問題ない。後は頼んだ。クロエ、来い。」


クロエはジークに腕を握られ、王子の部屋から移動した。


すれ違う帝国兵達は、皆ジークに頭を下げる。


「ジーク、痛いわ。離してちょうだい。」


ジークはその言葉に、手の力を緩めた。


「ああ、悪かった。クロエ。まさか、王城にいるなんて、、、」



ジークと共に移動したのは、広い客室だった。


普段使用していないその部屋には、逃げた使用人達も興味を覚えなかったのか、比較的整っていた。


ドアの側に灰色の軍服を着ている帝国兵が立っていた。


「ジーク様。その娘は?刺客かもしれません。こちらで確認します。」


その鋭い目の帝国兵は、ジークに詰め寄る。クロエは思わずジークの背後に隠れた。


「知り合いだ。私が確認する。しばらく下がっていろ。グロウ。」


グロウと呼ばれた帝国兵は、訝し気にジークを見る。


「しかし、まだ王族を全員捕らえていません。」


ジークは言った。

「残る王子は第九王子だけだろ。封鎖は終わっている。直ぐに居場所が分かるはずだ。」











客室にクロエはジークと一緒に入った。


商人として王都を訪れていたジークとは、1年前に出会った。

クロエがジークに王都を案内した日からジークとの付き合いの始まった。その日以来、時間が合う度にクロエはジークと一緒に行動した。商人のジークは王国外の事をよく知っていた。クロエは母が落ち着けば国外へ行くつもりだったから、ジークに沢山国外の話を聞いた。忙しそうなジークもクロエとの時間を楽しんでいるようだった。





客室に入り、鎧を脱いだジークはクロエを抱きしめてきた。


クロエも恐る恐るジークを抱きしめ返す。


「クロエ。いつから王城に?行方が分からなくて心配したんだ。店も急に辞めたって聞いた。クロエはガージニア王国から離れたと思っていた。国外へ行くつもりだって言っていただろ。」


クロエは返事をした。


「ジークがいなくなってすぐに、王城で採用されたのよ。もうジークは帰って来ないと思ったから、、、」



「クロエ、会いたかった。あの時の約束を覚えている?」



「もちろんよ。私も会いたかったわ。ジーク。」




その日は、夜が明けるまでクロエはジークと共に過ごした。


1ヵ月間会えなかっただけなのに、長い間離れていたような気がする。


連絡が取れなかった不安や焦燥を埋めるように、二人は体を繋げた。










早朝、ジークとクロエがいる部屋がノックされた。


ジークが起き上がり、ドアへ向かう。


その後ろ姿を見ながら、クロエは涙を流した。


本来なら昨日、クロエは死ぬはずだった。運よく生き残ったクロエだけど、何時命が狙われるか分からない。


気がかりだった母は1週間前に息を引き取った。


すでに戦争がはじまり、逃げ遅れたクロエは王城へ留まるしかなかった。


だけど、王城から離れる準備はずっとしていた。何時でも逃げる事ができる。


最後に、愛するジークとの思い出もできた。


たとえ、ジークが、、、、









ノックをした帝国兵がジークへ話しかける。

「陛下。隠し扉の先でルルージュア王子らしき死体が発見されました。逃げようとして地下の罠にかかり死亡した様子です。落とし穴に落ちたらしく、遺体の回収が困難です。王子の証であるペンダントを身に着けていました。」









たとえジークが、クロエの実父である国王や異母兄の兄王子達を殺した皇帝であったとしても、、、、、







ジークは、言った。

「分かった。すぐに向かう。」









着替えて、クロエが寝ているベッドへ戻ってきたジークは、クロエの長い茶髪をそっと撫でた。名残惜しそうに口づけし、ジークは去って行った。



ドアが閉まった瞬間。クロエは目を開けた。




逃げなければならない。クロエの秘密が露見する可能性は減ったが、油断はできない。



もうガージニア王国に未練はなかった。





終戦前は城壁を取り囲むように帝国軍が配置されていた。抜け道の出口付近に帝国兵がいた為、クロエは逃げる事ができなかったのだ。でも今は、城門を取り囲んでいた帝国兵達は、城門の中に入ってきている。抜け道の出口には兵たちはいないはずだ。



今ならクロエは逃げる事ができる。



少しだけ、ジークとの未来をクロエは夢見た。



だけど、そんな事はあり得ない。



クロエこそが、第9王子として育てられたルルージュア・クロエ・ガージニアなのだから。













ガージニア王国には古くから伝わる言い伝えがあった。


「金髪碧眼の王女が滅びの子を産む」


クロエの母は、好色なガージニア王の末端の妃として王城へ入った。身分の低い妃に仕える者はおらず、クロエを産む時も、年老いた産婆と侍女の二人しか側にいなかった。


だからこそ、クロエは生き延びる事ができた。滅びの子を産むと言われる金髪碧眼の王女が産まれた場合は、ガージニア王国では、すぐに殺されてきた。過去には、滅びの予言を恐れ、産まれた王女を全て殺す王もいたらしい。


年老いた産婆は、視力が衰えてきていた。生まれた子供が言い伝えの王女だと気が付いた母の侍女は、とっさに王女ではなく王子が産まれたと偽った。


第9王子のルルージュア・クロエ・ガージニアは、誰からも気にされる事なく成長した。













ジークがいなくなった客室に一人クロエは残された。



クロエは、ベッドから起き上がり侍女服を再び身に着ける。




ガージニア城は、過去の王達が作った抜け道が至る所に張り巡らされている。



第9王子は後ろ盾がなく、病弱で引きこもりの王子と言われてきた。力のない第9王子を気にする貴族はほとんどおらず、クロエは王城の古くて汚い抜け道を何度も一人で通り王都へ行った。病で倒れている母の為に、髪を染め王都で小銭を稼ぎ、栄養価の高い食べ物を購入していた。



そんな中、王城から王都の外まで続く抜け道を見つけていたのだ。クロエしか知らない抜け道を。









侍女服に着替えたクロエは、客室の窓から外へ出た。



窓の外は白く濃い霧に覆われている。



クロエは、その霧の中を一人進んで行った。



































潮風が吹く港町に、金髪碧眼の美しい母親と、金髪で血のように赤い瞳の1歳の息子が買い物をしている。


「ルルー。今帰りかい?。お疲れ様。」


店主が笑って挨拶をする。


訳ありのルルーがこの町に住みついたのは、2年程前だった。


美しい娘は、外見からは想像ができない程、逞しくすぐに仕事を見つけて働きだした。


腹の子供の父親について、誰にも伝えず、一人で子供を産み育てている。







この港町では、夫が遠洋漁業に行き、子供を母親だけで育てている世帯が多い。


ルルーは、そんな女性達に、溶け込み、一緒に働きながら子供を育てている。



「ルルー程の美人なら、金髪でも皇帝の妻になれるんじゃないかい?」


「皇帝が、まだ茶髪の女性を探しているだろ。先月も隣町のエリーゼが、帝国まで行ってきたらしいよ。あの子が皇帝の探し人なわけないのにね。」


「ははは、違いない。」


ルルーと呼ばれる女性は一緒に笑いながら、仕事をした。











息子のザックを託児所に迎えに行き、一緒に帰路につく。


自宅の近くの丘の上で、ザックと少しの間、休憩をする事がルルーの日課だった。


その丘は見晴らしがよく、遥か彼方にジークのいる帝国が見えるような気がする。



ルルーは幸せを感じていた。



暮らしぶりは質素だが、温かい人たちに囲まれてルルーは仕事もしている。



思いがけず得た愛しいジークとの子供は、とても愛らしく元気に育っている。



ルルーが王子だった痕跡はなにも残っていない。



クロエを名乗っていた時に茶髪に染めていた髪は、抜け道を出てすぐに金髪に戻した。






ジーク。今でも貴方だけを愛している。



私は、今幸せなの。



貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。



だから、、、、、





ルルージュア・クロエ・ガージニアは、夕焼け空を見ながら遥か遠くにいる愛するジークに向けて言った。







「探さないでください。」





















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