第44話 偽りの声

「ねえ、岡ちゃん。木本さんのことで、ちょっと相談したいことがあるんだけど」


「どうしたの、服ちゃん。そんな真剣な顔して」


「まだ付き合いたてだというのに、私と話してる時も、彼ちっとも楽しそうじゃないの。なんか心ここにあらずというか……」


 土曜日の夜、今服喜多代は岡伊代を自宅に呼び寄せ、思いの丈をぶつけた。


「明日、一緒に動物園に行くんだけど、このままだと盛り上がるかどうか、とても不安なの。どうしたらいいと思う?」


「それなら大丈夫よ。とりあえず何観ても『かわいい!』って言っておけば、木本さんも自然と笑顔になるから」


「そうかな? それだと、逆に変な女と思われない?」


「あははっ! そんなこと思うはずないじゃない」


「じゃあ、どんな動物を観ても、『かわいい!』って言ってればいいのね?」


「そういう事。じゃあ、明日のデート頑張ってね」






 翌日、喜多代は前夜伊代から助言された通り、『かわいい』を連発していたが、カバを観て「かわいい!」と叫んだ瞬間、「さすがにそれは無理があるだろ」と、木本に真顔でツッコまれた。


「今までの動物はまだしも、カバがかわいいだなんて、君の美的感覚はどうなってるんだ?」


「ご、ごめんなさい! 昨日岡ちゃんに、『何観ても、とりあえずかわいいって言っておけば盛り上がるから』と助言されて、それを素直に実行してただけなんですけど……」


「はははっ! なるほど、そういう事だったのか。でも、岡さんはなんでそんなアドバイスをしたんだろうな」


「木本さんのことを相談したからだと思います」


「相談?」


「はい。実は昨日、『木本さんは私と話してても、ちっとも楽しくなさそう』って、彼女に打ち明けたんです。木本さん、もしかして、まだ長谷川さんのことが気になってるんですか?」


 木本は少し考えた後、「なるほどな」と呟くように言った。


「俺は隠してるつもりだったんだけど、どうやら隠し切れていなかったようだな。君の言う通り、俺は正直まだ長谷川さんのことを引きずっている。実を言うと、君と付き合うことにしたのも、彼女を早く忘れたいからだったんだけど、やっぱりそう簡単にはいかないみたいだな」


「やっぱり、そうでしたか。それならそうと、早く言ってくれればいいのに」


 木本のバカ正直な発言に、喜多代は本心を隠し、ぎこちない笑顔で返した。


「これで君も愛想が尽きただろ? 君なら、俺よりいい男とすぐに巡り合えるよ」


 そう言って、木本がその場を去ろうとすると、「木本さんよりいい男なんて、簡単に見つかりませんよ!」と、喜多代は彼の背中に向かって思い切り叫んだ。


「いつか私が長谷川さんのことを忘れさせてみせますから、このままお付き合いを続けてください!」


 喜多代の熱い思いを一身に受けた木本は、困惑した表情で「こんな俺の、どこがそんなにいいんだ?」と訊いた。


「全部です。顔も体も性格も。その中でも一番好きなのは、その魅力的な低音ボイスです」


「はははっ! 俺、自分の声はあまり好きじゃないんだけど、そう言ってくれる女性って結構いるんだよな。やっぱり女性って、低音な声の方が魅力を感じるものなのか?」


「中には例外もいるでしょうけど、一般的にはそうだと思います。特に木本さんの声は、とても二十代とは思えないような渋い声なので、すごく貴重なんです」


「じゃあ裏を返せば、もし俺の声が高かったら、君は俺に魅力を感じなかったんだな」


「えっ! そんな事ないですよ! さっきも言ったように、顔も体も性格も全部私好みなんだから!」


「でも、一番好きなのは声なんだろ? それがもし偽りの声だとしたら、君はどう思うかな?」


 怪しげに笑いながらそう言う木本に、喜多代は不安げな表情で「偽りの声ってなんですか?」と訊いた。


「この声は、女性にモテるために作り出した声なんだよ。俺の地声は本当はもっと高いんだ」


 木本の衝撃発言に、喜多代は目をカッと見開きながら、「嘘でしょ?」と呟いた。


「嘘じゃないよ。その証拠に今から本当の声を聞かせてやるから、よーく聞いてろよ」


 そう言うと、木本は今までの声とは全く違う高い声で喋り始めた。


「な? 全然違うだろ? これが俺の地声なんだよ」


 ショックのあまり、喜多代は茫然自失になりながら「なんで、そんなことを……」と、精一杯声を絞り出した。


「もちろん女にモテるためだよ。この低音ボイスを習得してから、俺は今までいろんな人と付き合ってきたんだ。君だってそうだろ? だから、もう俺には魅力を感じてなんかいないはずだよな?」


 そう言うと、木本はスタスタとその場を離れていった。


 そんな彼を、喜多代はただぼう然と見送ることしかできなかった。  

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